グレイハウンドの憂鬱


朝日を迎えたということは、つまり皆が起きてくる時間が近づいてるということで。私とオビはあれから騒ぎにならぬように急いで屋敷へと戻っていた。


「(そっちは大丈夫ですか!)」


少し離れたオビに向かって大きなマルとバツを交互に作る。これで伝わるだろうか。互いの声は極めて小さいもので、まるでテレパシーか何かを送っているかのようだった。


「(今なら誰もいませんよ!)」


対するオビは両手を大きく振ってこちらへ来いと合図をする。ここまで来ると、言葉じゃなくてほとんど身振り手振りで会話をしているようなものだと駆け寄りながら思う。


「捕まってください」

「っ……」


塀の上に飛び乗ったオビが私に手を差し伸べる。それを握り返せば一気に上へと引き上げられた。今回の件を通して私はオビの身のこなしが一段と優れたものだと思い知った。まさか、本当にここから抜け出せるとは思わなかったのだ。


「お義父様達に見つからずに済みそうですね…」

「まだ見回りの人しか起きてない頃ですからね。彼らにさえ見つからなきゃ平気です」


オビは簡単に私の部屋を目指して進んでいた。一方の私はそんな彼に着いて行くのがやっとで。体力には自信があったけれど、もう息も絶え絶えなのが現実だった。


「オ、オビ…早いです……!」

「メイお嬢様、しっかりしてください。あとちょっとですよ」


そう言うオビは私の情けなくひーひーと声を上げる姿を目にすると軽く吹き出した。


「ほんとにメイお嬢様はいい顔しますね」

「それ、褒めてないですよね…」

「とんでもない!褒めてますって」

「嘘ばっかり……」


膨れっ面をすればまた笑われて。けれど私はそんなオビに対して怒っているわけではなく、軽口を叩きつつも感じるさりげないオビの優しさに心がくすぐられていた。


「(なんだかんだ言って、何度も腕を伸ばしてくれるんだよね)」


オビの助けもあり私たちはあっという間に屋敷を抜け出した場所でもある部屋の窓を前にしていた。オビは私をぐっと抱き寄せると一気に中へと飛び移った。


「はい! 着きましたよ」

「あ、ありがとうございます…」


無事に戻ってきた私は安心したせいか、急に脱力感に襲われその場にへたりと腰を抜かした。


「あらら。やっぱりメイお嬢様には俺との初デートは少しハードすぎましたかね?」

「―そんなことないです!」


最初は帰りたいの一心だった。けれど、いつの間にかどこかわくわくしている自分がいて。オビと屋敷を抜け出すという状況を楽しんでいたのだ。


「とても、楽しかったです!」

「―へえ」


自分の心からの気持ちを伝えたはずなのに、オビの食えない反応に少しだけムッとする。


「何ですかへえって…また是非オビとデートさせてくださいね!」

「…もったいないお言葉ですが、私でよろしければ喜んでお受けいたしましょう」


一瞬だけオビは狼狽えたように見えたが、誤魔化すように声色を変えてまざまざしく私に一礼した。そんなオビに似合わないと一蹴すれば、彼はいつもの顔で笑ってみせた。

完全に安心していたのだ。そんな私たちの様子を見ている目があることにこれっぽっちも気付かずにいた。









「オビ……?」


荒々しく扉を叩く音で目が覚めた。帰ってきてから私は寝台へと潜り身体を休ませていた。オビが義両親達に呼ばれる時間になるまでに起こしに来てくれるらしく、それまで部屋で寝てるよう強く言われたのだ。


「僕だけど。入るよ」


しかし耳に入ってきたのはオビではなく義兄エリックの声で。私は慌てて時計を確認し寝台から降りる。まだ呼ばれる時間ではないのだ。


「あれ。まだそんな格好でいるの」

「お義兄様……」

「殿方を誘惑するならさー、もっと色気のあるネグリジェの方がいいと思うよ」

「私そんなつもりは!」


私の否定の言葉を軽くあしらって、エリックは近づいてきた。後退りしようにもすぐそこには寝台がありそれを阻む。エリックとの距離は狭まるまま、とうとう彼の手が私の頬に触れる。


「…っ」

「ねえ、お前さ。夜中どこ行ってたの?」

「!」


言葉に詰まる。やはり気付かれたのだ。いくらオビが上手くやれるように思えてもあそこまで大胆なことをすればバレないはずがないのだ。


「なんの、ことでしょう……」

「驚いたな!まさかこの僕に対してとぼけるつもり?」


義兄の手が頬を滑る。それはオビの手とは違って気持ち悪く感じた。


「使用人達が話してるのを聞いちゃってね。詳しく訊けば何でもお前と最近来た使用人…オビだっけ?二人で夜中ここを抜け出したらしいじゃん」


心臓が大きく脈打つ。悪い予感が頭を支配していた。オビも特定されてしまった。そうなると彼はこのままここに残ることはできない。義両親達によってどこかへ―…


「…どうすれば、無かったことにしてもらえますか」

「ふーん。僕に交渉しようっていうのか」

「はい」


エリックはしばし考えるような素振りを見せたあと、ふいに私の肩を突き飛ばした。寝台のスプリングが音を立てて思考が停止する。


「味見」

「え?」

「お前のこと味見させてよ」


再びギシッと軋む音がする。覆いかぶさろうとする義兄を私は呆然とした様子で眺めていた。

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