向日葵の背中
乾いた音を立てて閉じた扉は、私に現実を知らしめるかのように無情に響いた。
「―オビさん」
「はい?」
「……も、もしかして私とんでもないところにいますか?」
「さぁ、どうでしょう」
聞くところによると、私を助けてくれた二人は白雪さんとオビさんと言うらしい。
あの後、白雪さんはルシオラを保管するといって「リュウ!リュウ!」と半ば叫ぶようにして部屋を出て行った。一方の私は白雪さんに念のため休んでいくように言われたけれど、無断で閉じた店が気掛かりで帰ることを決めたのだ。そうして手早く身支度を済ませ、見た目とは裏腹に紳士的な所作で扉を開けたオビさんに促されるまま部屋を出たところで冒頭に戻る。
頭の後ろで手を組み半歩先を行くオビさんは、本当にこの豪華絢爛な廊下を歩いているのかと疑いたくなるほど気楽な背中を見せていて。
「あれっ、オビ殿」
「オビ殿がちゃんと廊下を使っているなんて……!」
「あのね、俺だって廊下くらい歩きます」
時々すれ違う衛兵と慣れ親しんだ口振りで二、三言交わす間もオビさんの歩みが止まることはない。立ち竦みたくなる気持ちを抑え置いてかれまいと彼の背中を追いかけるけれど、嫌な予感は段々と確信めいたものに変わりヒヤリとする冷たい汗が頬を伝う。
漸く出口についたところで私はおそるおそる今までいた場所を振り返った。
「う、そでしょ………」
そこには天晴れと言わんばかりの荘厳な城が佇んでいて―知らなかったのだ、まさか、自分が運び込まれた先がクラリネスの城の中だなんて。
「わ、私はいくら謝礼金を用意すれば……」
「それは主に聞いてみないと」
オビさんに縋るような目線を送れば、けらけらと楽しそうに笑う姿が返ってきて肩を落とす。
白雪さんはともかく、オビさんの風貌を見て誰がここを王宮内だと予想できようか。未だ可笑しそうにする彼からは失礼ながら王宮付きのような雰囲気はあまり感じ取れずに、ただあり得ないと再認識するだけだった。
「おねーさん?」
「……あの、私はどうしてこの場にいたのでしょうか」
それでも、起きてしまった現状を憂いても仕方がなくて全てをきちんと受け止める他なかった。自己紹介さえしたけれど、私は自分が助けられた事の顛末をまったく知らされていない。
「んー、俺が連れてきたから?」
「オ、オビさんが?!」
「そう。俺」
「私が崖から落ちるところを…?」
「まあそうだね」
助けられたとは漠然に分かっていたけれど、その話を実際に耳にすれば信じられないとすら感じた。疑うようにオビさんをよく見れば、額以外にも小さな古傷がところどころに見当たり確かに“それっぽい”と納得する。
「おねーさんどうしたの?さっきから俺のことじっと見つめて。もしかしてときめいちゃったりした?」
「なっ、そんなわけないです!」
「なーんだ。残念」
「―でも、助けてくれてありがとうございました」
そう。例えどんな人であろうと、オビさんは私の命の恩人に変わりは無いのだ。
お辞儀と共に感謝の言葉を告げればそんな私の様子に不意打ちを食らったのか、少し歯切れが悪く話題を変えるかのように話し出した。
「あー……ところで聞いてもいいかい?」
「何ですか?」
「なんでおねーさんはあの場にいたの?」
「え、」
「あの花……ルシオラだっけ?そのためだけに普通あんな断崖絶壁に行く?」
「それは……」
「ましてや摘んできたの一輪だけでしょ?どうも商売用とは思えなくてね」
たった一輪の花のためにどうしてあそこまでしたのか、オビさんは私にそう言いたいのだ。しかし、口から言葉は出て来なかった。想いを果たせなかった今、私は何て言えばいいのだろう。
「……っ」
二人の間に吹き上げた強い風が私の髪を舞い上げて目の前にいる彼の姿を遮る。風に言葉をのまれて黙りこくった私を見てオビさんは困った様子で小さく溜息をついた。
「―ごめん、野暮だったね。おねーさん。馬は乗れる?」
「ええ、まあ……」
「送ってくよ。その腕じゃ厳しいでしょう」
呟くようにお礼を言えば「馬を引いてくるから」とオビさんは身を翻し厩舎へと向かう。私は頭を軽く縦に動かすと彼の後姿を見送るだけでそれ以外の反応はできず、ただ春の生温い風を身体中に感じていた。
*
「…………」
「…………」
「か、風が強いですね」
「春だからね」
「…………」
「…………」
気まずい、物凄く気まずかった。
私の怪我に気を遣ってくれているからだろうか、オビさんは馬を走らせることなくゆっくりとその足を運ばせていて。けれど、さっきの会話のこともあるせいか周りを流れる景色の速さは一段と遅く感じられてどうも居心地が悪い。
「(まだ、かな……)」
それだけじゃない。
背中から伝わる熱に、私の心は落ち着くことをしてくれなくて。それは私が朦朧とする意識の中で感じたものと同じで、私を助けて運んでくれたのはオビさんだったのだと改めて実感した。
「(心地よかった、な……)」
そう考え始めると段々と頬に熱が集まるのが分かって、可笑しな気持ちを追い出そうと勢いよく頭を振る。目を閉じ必死に知っている花の名前を脳裏に並べて行けば、熱の感覚をとらえながらも幾分かは気持ちが落ち着いた。
そうして再び街並みを瞳に映した頃には、いつの間にか近くまで来ていたようで見慣れた店構えが目に入り「あっ」と小さな声を洩らす。
「ここでいいのかい?」
「はい。ありがとうございます」
私の声にオビさんは軽く手綱を引いて馬の足を止める。その反動で自ずとより密着したことにどぎまぎしながらも、ようやく気まずさから解放されて何処かほっとしている自分がいた。
―店に着くまでの間、背中に触れていた熱に落ち着かなかったことを私は上手く隠せていただろうか。
「っ!」
悟られまいとオビさんから逃げるように馬を降りようとしてバランスを崩す。しかし、待てどもそこに衝撃は生まれなく、代わりに肩を抱かれるような形でオビさんに支えられていた。
「……っと。あんたさ、本当に大丈夫?危なっかしすぎ」
「す、すみません」
何処か呆れたような声色ではあるものの解くことのない彼の支えに素直に甘え、今度は足元を見ながらゆっくりと地に足を着ける。なんとなくオビさんの顔を見れなくて会釈と共に僅かに俯向けば、夕焼けの光を浴びた艶やかな毛並みの黒茶。
「―それじゃあね。花屋のおねーさん。これからはあんまりお転婆しちゃだめだよ」
馬の臀部を軽く蹴り上ると、手入れの行き届いた蹄が石畳を叩き軽快な音を響かせた。その音にはっとして咄嗟に大きく声を張れば、少し遠くのオビさんが身体を少しだけ捻らせ振り返る。
「オビさん!色々とありがとうございました!白雪さんにもよろしくお伝えください!」
人目を憚らず張り上げた謝辞に少し驚いたような顔をしたオビさん。直ぐに目を緩やかに細め片手でひらりと手を振ると、夕焼けの街に溶けていった。
柔和なオレンジを纏う街を歩く人は確かにそこにいるはずなのに、その声はどこか遠くで聞こえて自分の心臓の音だけがやけに煩かった。
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