プリムラ・ジュリアンは歌う



窓の外はまだ薄暗く鳥たちのさえずりもない夜明け前。私は花屋を休みにしてからも普段通りこの時間に目が覚めていた。右腕を軽く動かしてみると、そこからはしぶとく痛みが主張する。


「んー治らないなぁ…」


白雪さんから貰った薬を飲み続けて2週間以上が経つ。毎日きちんと飲んでいたけれど、自分で思ったよりも治りは遅く折れた右腕は私を煩わせていた。

壁にかかっているカレンダーに眼をやる。その中の1日に書き込まれている大きく赤い丸を指でなぞった。


「(とうとう明日か)」


早く治ってもらわないと困る理由が私にはあった。店を休み始めてからまもなく、店に一通の手紙が入ってきた。それは以前うちの店でブーケを作っていったお客さんからで。結婚式を控えた友人が、私のブーケを気に入り正式にお願いしたいという内容のものだった。


「―よし」


小さな花鋏と大きめの腰袋と、いつもの荷物を手に取る。私は気を引き締めてまだ明け切らない夜へと飛び出していった。









あの野山の土を再び踏みしめる。私がルシオラを摘んで、崖から落ちて、オビさんに助けられた場所。私はブーケを作る花を得るために、またここへと足を延ばしたのだ。足取りこそは軽いけれど右腕は固定されたまま。

本当はまだ休むべきであることを分かっていた。正直に言えば、依頼を断ることだってできた。それでも、私は自分の力で誰かを笑顔にする手伝いができるのなら、精一杯にそれを成し遂げたいと思うのだ。


「―やっぱり、気持ちいい」


足を踏み入れて深く息を吸う。空気は柔らかく澄んでいて、久しぶりの感覚に身体の力を抜き身を委ねる。たとえルシオラが無くたって、今ある花のひとつひとつがこの魅力的な空間を作って私を優しく包んでいるのだ。

次第に小鳥たちは歌いはじめ、樹々の向こうから光が差し込んできた。花びらを滑る朝露がきらきらと輝き始めて、朝が来る。


「(さて! どの花にしよう)」


私は服を悩む少女のように目移りしながら花を選び始めた。

手紙にはブーケについての拘りや細かい指定はなくWヒマリさんが素敵だと思うものを。Wとだけ書かれていた。そう頼まれてしまうと、より一層気合が入るくらいに私は単純でもあった。


「(春のウェディングだからホワイトスターと淡い色のラナンキュラスなんてどうかな…)」


小ぶりのシャワーのように咲く白い花やふんわりしていても存在感のあるコーラルピンクの花など、種類豊富に摘んでは袋へとしまっていく。

それは静かな時の流れだった。聞こえるのは動物たちの声と、花や草木が風で擦れ合う音だけ。葉と葉の間から溢れる光を浴びて、私は作業を続けていた。

しばらくして袋の中を確認すれば、既に優しい色合いの小さなブーケが1つ出来上がっていた。


「(うーん…あとフウラギ草もいれたいな)」


フウラギ草とは見た目たんぽぽの綿毛のような、アイボリーカラーの丸い植物。薬草の一種でもあるけれど、その可愛らしい見た目からブーケに取り入れられることも多い。


「(確か、あっちだよね)」


更に山奥へと進みフウラギ草が根を生やす一帯に行く。すると、そこには被り物をした女の人がしゃがみ込んでいた。


「貴女もフウラギ草を探しに来たのですか?」


こんな時間に野山にいる人はだいたい同じ花や草木が好きな人であること知っていた私は、いつもの調子で声をかけた。


「はい、そうなんです。―あっ!」


その女性が振り返り目を見開いた。被り物の下には世にも珍しい赤髪が隠されていたのだ。


「―ヒマリさん!」

「白雪さん! 先日はありがとうございました。まさかこんなところでお会いするなんて……」


振り返った赤髪の女性は私を助けてくれた白雪さんだった。挨拶もそこそこに、程なくして奥から草木が揺れてまた一人お世話になった人物が現れた。


「お嬢さん、あったかい? ―って、あーらら。花屋のおねーさん」

「お久しぶりです。オビさんも」


朝の静かな野山に私たちの声が響いた。そのまま白雪さんは立ち上がり、私の右腕を心配そうに眺める。


「怪我の調子はどうですか?」

「結構しぶとくて。けど、白雪さんから頂いた薬のお陰で痛みはだいぶ取れてきました」

「そうですか、まだ…。それなら! ちょうどこのすぐ下に別の鎮痛用の薬草があるので採ってきますね!」

「ちょっ、お嬢さん!」

「えっ! 白雪さん!」


私とオビさんの声が重なる。思いついたように白雪さんはそのまま下へと降りて行った。それを見てオビさんはやれやれと短く息を吐く。


「…それよりあんた。怪我治ってないのにまたこんな山の中いて本当に懲りないね」


どこか呆れたような顔をするオビさん。私は彼の言葉に納得しつつも、自分の作ったブーケを手にし幸せそうな結婚式を挙げる見知らぬ女性を思い浮かべる。


「―完治してない身で野山に出て、馬鹿みたいって思うかもしれませんが、これが私の仕事なんです」


私が今まで花屋を続けてきた理由がそこには隠れていた。自然と言葉が洩れた私はオビさんの目を見張るような視線に気付き、一気に熱が頬に集まるのが分かった。


「な、なんちゃって……」


誤魔化すように笑い頭を掻く。しかし、彼は依然と驚いたような顔をしていた。何とかして気をそらせる別の話題をと探していると突然に彼は笑い出した。


「はははっ」

「…オビさん?」

「―いや。あんた、なんだか主やお嬢さんを見てるみたいだよ」


それはどういうことか、そう聞き返そうとして言葉が喉に引っかかる。


「(…また、あの顔だ)」


いつものヘラヘラとした笑顔じゃなくて、たまに垣間見えるオビさんの何かを想う顔。それに目が奪われていた私は白雪さんの声で我に返る。


「ヒマリさん!オビ!」

「お嬢さん。平気だったかい?」

「大丈夫だよ。慣れてるもの」

「白雪さん! 度々すみません…」

「いえいえ。オルビアのお礼です。とても綺麗でしたので」

「……っ!」


―思った通りだった。白雪さんは私があげたオルビアの種を綺麗だと、確かにそう言った。優しく笑う2人を前に、私はなんだか少しだけ泣きそうな気持ちになった。

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