アラマンダの黄昏



「んー…どうしようかなぁ」

「そっち、行ってもいいかい?」


今朝摘んできた花たちと睨めっこしながら唸る私に一つの声が届いた。テーブルを叩く指を止め声のした方を振り向けば、自宅と店を仕切っているビーズカーテンの向こうからオビさんが覗いていた。


「どうぞー」


平坦な声をあげて苔のような深緑の湿ったスポンジに視線を戻す。視界の隅では、微睡んでいたのか大きな欠伸をしながらこちらへやってくるオビさんをとらえていた。


「白雪さんは?」

「まだおねーさんが貸した本に熱中してるよ」

「なるほど。それでオビさんは退屈になってこちらへ来たと」

「はは、正解」


からからと笑んだオビさんは慣れた様子で目の前にある年季の入った木製のスツールに腰掛ける。

ハーブティーを囲んで一頻り話し込んだあと、私は白雪さんとオビさんを部屋に残し店内へと戻っていた。二人でのんびり寛いでるものだと勝手に思っていたらそういうわけでもなく、白雪さんが私が貸した植物図鑑にのめり込んだ結果、オビさんはものの見事に相手にされず暇を持て余したようだった。


「―こっちに来ても退屈だと思いますよ」


私もまたブーケ作りの最中だった。まだ時間はあるけれど、怪我を考慮すると進捗状況は良いとは言えなくて、オビさんを相手にできるほどの余裕はなかった。


「(…だめだ、どうしよう)」


ブーケホルダーに埋まっているスポンジはまだ一輪の花もなく裸のまま。いつもなら直ぐに思い浮かぶ具体像もまるっきり出てこない。水分を含んで暗く濃くなったその色は、まるで私の心を表しているようで余計に焦れさせた。

けれどそんな私を知ってか知らずか、何も聞こえなかったかのように私の言葉を無視して、オビさんは突拍子のないことを尋ねてきた。


「おねーさん、本当に花が好きなんだね」

「…もちろん大好きですよ。どうしたんですか、急に」

「あれ」


彼が徐ろに指差した方向には小さく前後に揺れるビーズカーテンがあって、それは動くたびに違う色をきらきらと見せていた。


「あそこに花がある。他にも向こうの部屋には花の要素が所々にあったしね」

「!」


目敏い彼は私の心を躍らせた。あまり気付いてくれる人はいないのだ。反射して七色に輝くそこには一部に花を象ったものが混じっていた。


「他には?」


オビさんがどこまで気付いてくれたのか知りたくて、私は続けざまにそう訊いた。そして彼の口から連なって流れたのは、テーブルキャップや食器棚の縁であったり、普段の生活ではあまり目に留まらないような所ばかりだった。どれも、花を愛した両親が遺していったものだった。


「……オビさん」

「何?」

「レディの部屋はそんなにジロジロと見るもんじゃありません」


なんとなく、いつも飄々としているオビさんに素直に喜んでいるのが知られるのは悔しくて。そうして私の口から出たのは可愛げのない照れ隠しだった。


「それは失礼。…でも、顔が喜んでるように見えるよ。おねーさん」


頬が緩むのを我慢するかのように込めた力が一気に解かれた。オビさんにはバレバレの嘘だったけれど、決して取り繕うことはしなかった。


「―気分転換にはなったかい?」


ここにきて初めて、オビさんの顔を自らの双眸にちゃんと映した気がする。思ったよりもオビさんは眠そうには見えなくて、その三白眼には驚いたような顔つきをした私がいた。


「…そのために来てくれたんですか?」

「さあね。唸り声が聞こえてたから寝ようにも寝られなくて」


ククッと冗談めかしたオビさんは頬杖をついた。彼がこの部屋に来てからいつの間にか、さっきまでブーケ作りで迷走して沈んでいた心はどこかへ消え去っていたことに気付く。


「それにしても、これがブーケになるんだね。ただ花を束ねるだけかと思ってたよ」

「こうしたほうがブーケの持ちはいいんです。…まだ何もできてないですけどね」

「ははっ。むしろこれからでしょ。―…手伝おうか?」


少し間があったのは、きっと彼なりの気遣い。私の仕事に対する思いをオビさんは確実に見抜いている。その上で、私の右手を考慮してあの間が生まれたんだと思う。


「―春らしいピンクのブーケを考えているんですけど、何か良い案ないですか?」

「そっちね! てっきり飾りを抑える役か何かかと思ったよ」


そんな彼を拒む理由はなかった。
互いの目を合わすと笑みが溢れた。









「(ああ、集中できない……)」


何の迷いもなくオビさんの申し出を受け入れた。実際にオビさんがいてくれたお陰でブーケの具体的な構想も練れたし、こんな右腕で満足なものが完成できるかと言われれば難しいとも思う。

だけど。


「おねーさん、次はここ抑えればいいの?」

「えっ!? あっ! はいっ!!」


声が飛ぶように裏返る。またやってしまったと、心の中で自分自身に呆れ果てていた。アレンジメントを始めてからというもの、私はずっとこんな調子だった。

オビさんとの距離の近さに、私の心臓は鳴り止むことをしなかった。特にオビさんだから、という訳ではないと思う。男性など花屋を営むこの人生において関わることは滅多になく、恋人なんてものもいなかった。

そんな花だけを見てきた私が男性と数える程の拳分しか離れていないのだから、心が落ち着かないのは当然だと思う。


「(綺麗な瞳……)」


ブーケ越しに見える伏せられた睫毛はお世辞にも長いとは言えなかったけれど、その間から細く覗いたアラマンダの金の瞳は私の心を揺さぶるには十分だった。


「おねーさん、ほら。それ巻くんでしょ」

「っ!」


視線が交わる。眉間に寄せていた眉が額へと上がり、アラマンダが見開かれて窓から入るオレンジの光を帯びた。彼が驚いてるのはたぶん、私の頬が赤に染まっているから。


「お、抑えててください!」

「あれっ。はいはい」


余程驚いたのか、オビさんは白のリボンを抑えていた手をそこから離していた。白のそれは逃げるようにするすると流れ落ちる。


「あー…ごめんね」

「大丈夫です。―やっぱり、こっちの色にします」


違う色を手に取った。いつの間にか外から聞こえていた子供たちのはしゃぎ声は減っていて、差し込む光はオーガンジーのリボンを通して柔らかく私たちを暖かい色で照らした。

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