造られたベロニカ
ギィ―と重たい扉を開けばそこはおとぎ話の舞台のようだった。淡い色のステンドグラスが一面に連なるさまは雨上がりの花畑のように穏やかで。その中央に大きく描かれている聖母が、春の日差しを浴びて婚儀を見守るかのように微笑んでいた。
「綺麗……」
「こりゃ見事だね」
ここの祭壇を見たのは初めてだった。ブーケを届けた後、是非結婚式に参加してほしいと新郎新婦に誘われ私たちは今ここにいる。服装のこともあり一度は遠慮したのだけれど、自分たちの誓いをより多くの人に見届けてもらいたいとのことだった。
「花嫁さん、来たよ」
呟かれたオビさんの言葉に振り向けば、純白のウェディングドレスが真紅のバージンロードに美しく映えていた。
新婦の手に優しく抱かれる春の柔らかいパウダーピンクのブーケは、艶やかなパールビーズやオーガンジーのリボンで飾られていていて、控えめながらも確かな存在感がそこにはあった。
「(新婦さん、嬉しそう)」
一歩、また一歩と今までを確かめるようにゆっくりと新郎の元へ。その隣を歩く男性は、絡んでいた腕が名残惜しそうに解けると今にも泣き出しそうなほどくしゃくしゃな顔になって。神父の並べる誓いの言葉が、まるで魔法のように響き渡り二人の唇を静かに引き寄せた。
こちらを向いた二人は何処か泣きそうで、それでいて心から幸せそうに笑っていた。
*
「はあ…素敵だった。いいですね結婚って」
様々な香辛料の匂いと楽しそうな人々の声が混じり合う空間で、うっとりと先程の温かい光景を思い出す。私の中で結婚というものは、文面でしか知らない世界だった。
「へえ、あんた男に興味あったの?」
太い骨の肉にかぶり付きながら戯けるオビさんに軽くムッとして頬を膨らます。帰りの道中でオビさんに聞こえるほどの腹の虫を鳴らした私は、吹き出してしばらく笑われた後にご飯に誘われたのだ。
「失礼な。私だってゆくゆくはーとは思ってますけど、花屋なんてやってると縁がないんですよ」
「ああ…花屋に来る男なんて、女に花を贈ることが目当てなやつがほとんどだもんね」
「仰る通りです」
我ながら悲しい台詞であった。同時に蘇るのは苦い記憶で。何度も花屋に訪れた男性に恋をしたことはあった。けれど、それら全てが恋人に贈られたものだと知ったのは暫くしてから。幸せそうに寄り添う二人が来店して、その時に会話を聞いて知ったのだった。
「昔馴染みの男とかいないの?」
「お兄ちゃんみたいな人はいましたけど…小さい頃に何処か遠くへ行ってしまいました」
ふーん、と気の無い返事。はきはきした声とともに届いたスープには色鮮やかなグリンピースが点々と浮いていた。口に運べば途端に広がる春の匂い。
「そういうオビさんこそ実際のところどうなんですか? 女性慣れしてそうですけど」
「さあて。おねーさんは男慣れしてないよね」
「…オビさん、そこは空気を読んで触れないところですよ」
「ははっ。やっぱり?」
オビさんの言葉に乗せられ、まんまと躱されたことに気付く。当の本人はけたけたと可笑しそうに肩を揺らしていた。そんな彼に冷めた視線を送りながらも不思議と嫌な気持ちは抱いていなかった。
「(誰かとご飯を食べるの、久しぶりだなぁ……)」
随分と仲が縮まったと思う。会ったばかりの頃の私たちは、とてもいい関係とは言えなかった。ただの命を救われた人とその恩人。
私はオビさんに対して、なんとなく後ろめたくて遠慮するような気持ちを抱いていた。一方のオビさんも、私に対しては笑顔の裏にどこか踏み入らせないような雰囲気があった。
「あっ、これ美味しい」
「どれ?」
けれど、今は違った。テンポよく弾む会話が二人の雰囲気を明るくした。流れ出る軽口も、少し低く掠れるテノールも、へにゃりと笑うその顔も、全てが心地よかった。
「ほんとだ! 辛いしうまい」
「この辛さたまらないですね!」
「あんた、分かってるね」
顔を見合わせてはにかむ。絶妙な辛さが舌を刺激した。誰かと囲む料理の味はいつもより何倍も美味しく感じられた。
「―おねーさんさ、花屋を辞めようとは思わないの?」
ふいに投げかけられた問いは心の奥まですとんと落ちていった。確かに、女性としての幸せを思うなら、花屋を閉じて何処かに嫁ぐのは十分考えられる選択肢の一つだった。だけど、
「―私、自分が幸せの手伝いをしてるって漠然には分かっていたんです。けど、それをああいう形で目にするとやっぱり花屋をやってて良かったなって改めて思うんです」
だから、花屋は辞めません。そう告げた私は白雪さんのような真っ直ぐな瞳を持てていただろうか。
「…そっか。ご両親に言われて、とかじゃないんだね」
「はい。私自身の意思です」
オビさんは私の答えを聞いて満足そうに頷いた。そこで、気付く。彼は私の両親が既にいないことを察していると。
「それなら、おねーさんを独りにしない素敵な殿方が現れるといいね」
どこで気付いたのかと尋ねようとして口を噤んだ。どうしてだろう。オビさんの言葉に僅かに胸の奥がちくりと痛んだ。
「…そうですね。気長に待ちます」
あくまで自然に言えたはずだ。悟られないように違う料理を勧めれば、オビさんはどれどれと身を乗り出した。
「(なに、これ……)」
それからは、さっきまで美味しく食べていた料理の味が分からなくなった。沸々と浮き上がる噛み切れない思いは、大きな蟠りとなって心を侵食していった。
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