アンニュイな昼下がり
偶然にも命を助けた女は花屋を営んでいた。俺にとってはただそれだけの話。それでも、お嬢さんにとってはそれだけで終わる話ではなくて。些細なきっかけを繋がるものとするのは、何ともお嬢さんらしかった。
「ヒマリさん!お疲れ様です」
「どうも」
「お二人とも!」
花屋のドアベルを鳴らすのはこれで何度目だろうか。気付いたら彼女らは互いの本を貸し借りする仲になり、窓際のソファーに向かい合うように腰掛けてハーブティーを楽しむのは定番となっていた。お嬢さんの護衛である俺はそれを毎度共にするのだが、年頃の娘同士とは思えない色気のない会話に少々心配してしまう。まあ、同時にこの二人らしいとも思うのだけど。
「―あっ!ここに押し花が挟まってますね」
「実は押し花を栞代わりに使っていて、よく読む本には挟まってると思います」
「そうでしたか。素敵ですね」
行儀良く陳列された本棚から選ばれた数冊はテーブルの上に広げられる。進むページを追う彼女らの瞳はまるで宝石でも見ているかのようにきらきらと輝いていた。
「(よくもまあ飽きないね……)」
幾度となく口にした台詞を赤のハーブティーで奥へと流し込む。のめり込む二人に退屈さは感じていたけれど、そこに苛立つ気持ちなんてものはない。城で過ごすお嬢さんにとって、何のしがらみもない唯の友人と呼べる人との繋がりは貴重であると知っていたから。
「また押し花作ろうと思うんですけど、一緒にやりますか?」
「いいんですか?是非やらせてください!」
赤髪はそよ風に遊ばれてゆらゆらと揺れる。随分と見慣れたけれど、鮮やかなそれを綺麗だと思うのは変わらなかった。
「(おねーさんは、普通だな)」
お嬢さんと並んでいる彼女は、鎖骨にかかるアッシュグレーの髪と黒々とした瞳を持つ、絵に描いたように平凡な町娘。
そんな彼女に俺が抱いた第一印象は間抜けた女。何かしら理由はあると言え、素人があんな断崖絶壁に一人で行くなんてそうとしか言いようがない。助けたはいいけれどその後関わるつもりなど毛頭なく、俺と彼女の関係は作り笑いで完結するはずだった。それがこうやって続いていくのだから、お嬢さんには頭が上がらない。
「オビ、向こうで花を選んでくるね!」
「ん。いってらっしゃい」
「せっかくですし、オビさんもしますか? 押し花」
少し強めの風が窓から吹き入る。アッシュグレーの髪はふわりと横に広がり、花屋の店内とは違う仄かに甘い花の香りがした。
「―いや、俺はいいかな。レディ二人で楽しんで」
「そうですか?それでしたら、少しの間のんびりしててください」
お嬢さんを連れてビーズカーテンの向こうへと移る背中を見送った。テーブルに視線を戻せば、分厚い本に紛れている一冊のくたびれた絵本の存在に気付く。
「(…へえ。こんなのもあるのか)」
手に取り読み進める。何度も読み返したのだろう、ページの一枚一枚に擦り切れたような跡が目立つ。既視感を覚える光る花とその周りを飛んでいる妖精の絵が、物語を深く印象付けた。
「(…ルシオラとようせいのもり、ね。なるほど)」
途中のページで比較的新しい押し花を見つけた。つまり、おねーさんがこの絵本を最近まで読んでいたことを表していて。テーブルに戻した絵本の表紙を暫く眺め、小さく溜息を零した。
「……こりゃおねーさんに謝らないといけないな」
つい、彼女の煮え切らない態度に焦れて心情を蔑ろにする台詞を吐いたことを思い出す。確証はないけれど、気付いたのだ。彼女があんな断崖絶壁に一人で向かった理由を。華奢な背中に背負ったのは、恐らく一人の想いだけではない。長い間、家族であの花を焦がれていたのだと。
硬いものがぶつかり合う音を拾い、顔を上げる。その方を見遣ればお嬢さんがビーズカーテンの向こうから顔を覗かせていた。
「オビ!木々さんにも作ろうと思うんだけど一緒に花を選んでくれないかな?」
「木々嬢? いいけど―…」
主にはいいのかい?続けようとした台詞は喉に支えて出なかった。お嬢さんの側にやって来た彼女の言葉に呑まれたのだ。
「あれ。白雪さん、他の皆さんにはいいんですか?」
「えっ!…じ、じゃあ作ろうかな」
おねーさんが言ったW他の皆さんWは暗に主のことを指していて。お嬢さんもきっと主のことを想っているのだろう。その表情は一気に年頃の娘らしいものになる。一瞬、目を奪われたことを悟られないようにへらりと笑って戯けた。
「そしたらミツヒデさんにもあげないと。あの人寂しがるよ」
「もちろんそのつもりだよ!」
「それなら、オビさんもやっぱり作りましょう。皆さんでお揃いを持つのは自分で思うよりもずっと嬉しいものですよ」
ふっ、と自らの口元が緩むのが分かった。主やお嬢さんと同じように、花屋の彼女も持っていた。人の心を解くような温かい言葉を。
「―だね。そうしようかな」
「そうと決まれば早速花を選ぼう!オビも早く来てね」
「はいよ。―おねーさん、ちょっといいかい?」
店先に戻ったお嬢さんに続いて、そこを離れようとする彼女を呼び止める。するといくらか歩みを戻し、不思議そうにこちらを振り向いた。
「なんですか?」
「前に言ったことなんだけど―…」
ごめん、と謝れば彼女は目を瞬かせて。優しく微笑んだその顔は、花の香りと穏やかな風が通るこの花屋に相応しいものだった。
愚かだと思った彼女は、関わって行くうちに俺はそうでないと知るところとなっていた。彼女は花屋という仕事に真摯に向き合い、人の気持ちに敏感な聡い人間だった。
それを身を持って体感するのはもう少し後の話なのだけど。
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