虫喰いアスターの呼び声



花曇りの空を鈍色の雲が埋めていた。低気圧が運んだ重たい空気は野山に被さるようにして覆う。最近は穏やかに太陽がその姿を見せていたというのに、ここまですっきりしない空模様は久しぶりだった。

ぱちん、と鋏で目当ての花を切り落とす。色を確かめるように花びらをよく見れば、それは小さく虫に喰われていた。


「今日はみんな元気ないね……」


売れない一輪はまた別の袋へと仕舞われた。喰われていない部分は、ハーブティーやアクセサリーに活用できるからあって困ることはない。けれど、今日はいつになくその量は多く、花たちは袋の中で狭そうにしていた。


「…っ」


何気なく触れた葉が鎌鼬のように私の指を切った。そこからじわりと滲んだ鮮やかな赤は、タンバルンへと行った彼女の赤髪を彷彿とさせるもので。


「(…白雪さん、元気かなぁ)」


気丈な彼女のことだ。きっとタンバルンでの滞在を楽しんでいるに決まっている。うつけと言われる隣国の王子と張り合う白雪さんを思い浮かべて少しだけ笑みが溢れた。


「―あれ? この音……」


しばらく会えていない友人を思う私の元へ、静かに唸る風が運んだのは何処か焦るような蹄の音。花鋏を動かす手を止めて音のする方を振り向く。


「!」


樹々の間から見えたのは、林道を走る複数の馬。彼らは閃光のようにそこを走り抜けた。向かった方角には隣国タンバルン。私の見間違いだろうか。とらえたのはサファイアブルー。先頭の白馬に跨って荒々しくマントを靡かせていたのは―…


「ゼン、殿下……?」


夜は明けたはずなのに辺りは鬱蒼としていて、樹々を吹け抜ける風はざあざあと妖しげに草木を揺らす。


W謎の美少年に、狙われているW


ふいに浮かんだのはあの時の言葉。
今日は、白雪さんがタンバルンから帰ってくる日だった。









「17時、か……」


店に響く鳩時計の長閑な鳴き声が、不安を募らせるようになって何日目だろうか。カウンターに顔を突っ伏して、そこにあった花を手遊びにする。

本当は、白雪さんが帰国した翌日にオビさんを交えて会う予定だったのだ。けれど、約束の日を迎えても彼らが店に来ることはなかった。


「(今日も来ないなぁ……)」


推測ではあったけれど、白雪さんとオビさんの二人と関わって行くうちに、気付いたことが幾つかあったのだ。

白雪さんの城での立場。彼らの話には、ゼン殿下とその側近の方の話が多いこと。その時の白雪さんの愛おしそうな表情。そして、ゼン殿下が伝令役であるオビさんを白雪さんの護衛にした理由。それが物語るゼン殿下と白雪さんの関係。彼らとの会話を通して、これら全てがパズルのピースのように繋がっていた。


「(きっと、見間違いなんかじゃなかったんだ……)」


恐らく、あの時、私の瞳がとらえたのは本当にゼン殿下だったのだ。そう何度も目にしたことはなかったが、彼らの装いから城の人間であるのは一目瞭然であった。それに、あのサファイアブルーの瞳。不似合いな焦燥を孕んでいたけれど、ゼン殿下のもの以外考えられなかった。

だから、ゼン殿下があんなに焦った様子でタンバルンに赴いたのは、約束の日にオビさんだけでも店に来れなかったのは、白雪さんの身に何かあったとしか考えられなかった。


「白雪さん、オビさん……」


また、二人に会いたい。呟くように小さく呼んだ名前は、誰の耳に届く事もなくそのまま空気に溶けていった。





「白雪さん!?」


カランコロンと軽い音を立ててドアベルが鳴る。身を案じている待ち人かと期待して勢いよく顔を上げれば、そこに赤髪を揺らす彼女はいなかった。


「こんにちは」

「…こんにちは! いらっしゃい」


笑顔を作り、出迎える。ベルを鳴らしたのは小さな女の子と母親の親子連れだった。繋がれた手は母親を引っ張るほどで、きゃっきゃっと楽しそうに店内を見て回る。


「今日は何かお探しですか?」

「娘がお花大好きでして。一輪だけお願いします」

「ふふっ。分かりました」


母親は困ったように笑うと疲れていたのか、抱えた荷物を下ろしスツールに腰掛けた。目を輝かせて店内の花を眺める小さな女の子は昔の自分を見ているようで。懐かしい感覚に包まれ、さっきまでの不安を少しだけ拭ってくれた。一輪を見繕い、手触りの良いリボンを丁寧に掛ける。


「(喜んでくれるかな)」


その時。パリン、と何かが割れる嫌な音がした。見遣れば女の子の周りに無数の硝子の破片。目には溢れんばかりの大粒の涙を溜めていて、小さな嗚咽からは声を上げて泣くことを我慢しているのが伝わった。


「シロナ!!」

「ママぁ……」

「すみません! ほら、シロナも謝りなさい!」


慌てて駆け寄る母親を窘めて、女の子の前で目線を合わせるように屈む。痛みのないその柔らかい髪の毛を優しく撫でれば、次第に嗚咽は減ってきた。


「シロナちゃん、大丈夫? 怪我はない?」

「うん……っ」

「良かった。このお花でいい?」


後手に隠していた花を手品のように差し出す。涙でぐちゃぐちゃになっていた顔は、ぱぁっと輝きを取り戻すとそのまま縦に大きく振った。


「…おねえちゃん、ごめんなさい。おはな、ありがとう!」

「大丈夫だよ。また来てね」


母親から謝罪と共にお代を受け取る。シロナちゃんの両手には、母親の大きな手とリボンを掛けられた一輪の花がしっかりとあった。


「(片付けないと……)」


ドアが閉まるのを見届けて小さく溜息を零す。割れた花瓶に紛れていたのは数本のユラシグレの花で。嫌な予感は増すばかりだった。

硝子の破片を一つ手に取り照明に翳せば、それは表面で鈍く光を反射させた。破片が残らないよう箒で慎重に掃いていく。暫くすると、再び聞き慣れた乾いた音がした。


「すみません、ただいま片付け中でして―…」


半身を捻り目を見張った。


「オビさん……!!」

「おねーさん、ごめんね。遅くなった」


その横に白雪さんの姿はなくて。一人ひらりと現れたオビさんは自らのアラマンダの瞳に、何処か戸惑うような、今まで見たことのない複雑な色を浮かべていた。

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