跳ねるジレンマ
風のある日だった。オレンジと濃紺が入り混じる夕刻の空の下、お嬢さんに頼まれ花屋を目指す。城下に行き交う人通りはいつもより少なく何処かもの寂しい。無造作に仕舞われた手はポケットの中で緩い拳を作っていた。すれ違う人々の声が風にのまれ強く響いた一人分の足音が、お人好しな彼らに悟られまいと奥底に隠した厭な考えを加速させる。
「(あーあ。参ったな……)」
主に手綱を預ける前の自分に興味がないなんて、そうであったら楽なのにと口にした嘘だった。―否、預ける前は本当に自分に興味なんてなかった。それが、彼らと出会い側に身を置いくようになって、昔の自分が引っかかるものと変わったのだ。
今までは、いつ、誰に恨まれるかもしれない仕事ばかりしていたから、特定の誰かと温かい関係を築こうなんて思っていなかった。それがどうしたものか、今となっては主やお嬢さんの側にいることが当たり前になっている。そこは温かく確かに大事にしたいと思うのに、同時に拭えない違和感も大きくて。まるで、今までの俺の生き方を無かったことにするような、自分が知らなかった自分を突きつけられる感覚がどうにも落ち着かないのだ。
W―きみ、本当にオビかい?W
クラリネスに帰る途中で偶然会ったトロウの言葉が再び問いかけるように思い出される。時折強く吹き付ける向かい風は緩やかに前進する身体を押し返そうとし、放り出すように進めている歩みがそこにある小石を低く蹴り上げた。
「(そんなの俺が訊きたいね……)」
吐き出さない言葉は小さな溜息に成り代わった。石畳を叩くブーツが引き摺るように重たく反復する。
それに、気付いてしまったのだ。彼らの側に身を置くことで自分自身が弱くなっているのではないかと。馴染みのなかった温かい言葉に絆されて、彼らの側が酷く心地良くて、だから、隙が生まれた。このまま側に居続けたら、守りたいものも守れないかもしれないと。また、お嬢さんを同じような目に遭わせてしまうのではないかと。
「(……格好悪いな)」
思考をかき消そうと乱雑に頭を掻いた。考えれば考えるほど相対する気持ちに雁字搦めになって分からなくなっていく。温く、弱く変わっていく自分が受け入れ難いはずなのに、彼らの側から身体は動かなくて。
―不意にパリッと乾いた音が虚ろな脳内でクリアーに反響し思わず歩みを止めた。同時にすれ違う人々の声が自身の意識の中に入り込む。視線を落とせばそこで色を失った枯葉がひしゃげていた。まるで、俺自身だと言われているようで。
「ママ!このおはないいでしょ!」
「そうね、羨ましいわ。飛ばされないようしっかり持つのよ、シロナ」
「うん!ぜったいはなさない!」
何気ない親子の会話に自虐にも似た苦い笑みが溢れた。そこから目を逸らすように再び歩き出す。確かに、俺は誰かに愛でられ大事にされる花なんて柄じゃない。この葉のように流れに身を任せ何処かでその身を失くすのがお似合いだし、実際にそれが主やお嬢さんたちと出会う前の俺らしい生き方だから―…
「…向こうの城下に行くときはきっと主が付くだろうしね」
言い聞かせるように、思いを言葉にすれば僅かに胸の奥が鈍く痛んだ。これ以上、あの人らに深入りする前に。弱い自分になってしまう前に。主と想い合うお嬢さんに、個人的感情を抱いてしまう前に。主に預けたWオビWという名の手綱を切り捨ててここを離れよう。
「(…となると、花屋のおねーさんにも世話になった挨拶しとかないとな)」
そこで初めて、彼女との約束も破ってしまったのだと気付く。恐らく何日間も姿を見せなかったから心配しているだろう。けれど、その理由を何と説明すれば良いのか分からない俺はいつの間にか着いた花屋を前に足踏みした。
「(…いや、お嬢さんの言付けだけ伝えればいいか)」
ポケットに仕舞われた手をドアノブに掛ければ知った音が響いた。久しぶりに聞いた声は生気があまり感じられないもので、その姿すら少しやつれて見える。それに気付かないフリをして軽い口調でいつもを演じれば、呆けた彼女は手にしていた箒を放り出した。
「―オビさんっ!!」
まさか、こんな、勢いよく駆け寄られるとは思わなくて。俺はお嬢さんの護衛であって、彼女が待っていた人物ではないから。そんな考えを愚かだと思う程に、おねーさんは真剣に俺のことを案じてくれていたようだった。
Wいるはずの場所にお前の姿がないと、落ち着かん人間がいるってなW
―ああ、今度は主の番か。未だ慣れない感覚に疼く心を隠そうと彼女を揶揄えば、その頬は直ぐさま熟れた林檎のように真っ赤になる。そんな変わらない彼女らしい様子に思わず頬が緩んだのも束の間、顔を覆っていた両手がそのまま破裂音を響かせて彼女が自身の頬を強く叩いた。自然と洩れるのは驚きの言葉で。
「―そんなことより! 白雪さんはどうしたんですか?」
その台詞は頭から消えていた厭な考えを呼び戻した。お嬢さんから預かった最低限だけを伝えれば、彼女は素直にそれを飲み込み深く追求されなかったことに内心で胸を撫で下ろす。このままそれとなく会話に別れの挨拶を織り交ぜて、この場を去ろうと思ったのに。
「オビさんは、どうしたんですか?」
何故、彼女はそんなことを訊くのだろうか。普段と何ら変わりない意を並べればそれは悉く否定された。見せているのはいつのも自分であるはずなのに、真っ直ぐに向けられた瞳に全てを見透かされそうで、彼女から隠すように目を閉じる。そうして再び開いた時に用意したのは以前の自分。
「…仮に俺に何かあったとしても、おねーさんには関係ないよ」
「か、関係あります!」
「ないね」
「……っ!」
人への執着を見せなかった以前の自分が突き放す言葉を吐くのは簡単だった。一線を引くことで生まれた沈黙はいつかのようで、彼女が言葉に詰まる様子が伝わってくる。
「(……なかなか重症だな)」
その一方で自らの口元だけの笑顔に馬鹿らしさすら感じていた。線引きには慣れているはずなのに、奥底の気持ちは靄ついたまま。彼女を視界の中心に入れさえしても意識して脳裏に映すことはできなくて。それでも、こちらから目を逸らすことはしなかった。正面に向けた視線は彼女をすり抜けて、色の無い世界をとらえていた。
「…オビさんが私をどう思っているかは知りませんが、私は貴方という人を、白雪さんの護衛として見ているつもりはありません」
「えっ?」
向けられたのは光をも射抜きそうな黒々とした深い瞳。主やお嬢さんのような鮮やかな色を持っているわけでもないのに、それは不思議と俺の心に焼き付いて。
「私にとって、白雪さんは確かに大事な友人だけど、それと同じようにオビさんも大事な友人なんです!」
「…………」
「だから、関係ないなんて言わないでください」
何も言えなかった。突き放したつもりでも彼女は一線を乗り越えてきて。花のように凛とした声は、俺には不似合いであろう言葉を心の奥まで強く、優しく、響かせた。
―そうか。俺は彼女の、ヒマリという人物の友人なんだ。今迄では考えもしなかった、主やお嬢さんたちとはまた違った存在が、いつの間にか俺にできていた。
「―ぶはっ」
本当に、俺は愚かだった。
主やお嬢さんから貰ったのは、温かい居場所だけではなかったのだ。
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