09
「周正、俺の親も個性婚なんだ」
…え?
私は振り返り、掴まれた腕に沿って、轟君の顔を見た。
あまりにも必死なその表情は、多分彼が今日一番で感情が表情に現れているんものじゃないだろうか。
『いま……なんて?』
「......とりあえず、座ってくれねえか」
そう促され、少し戸惑ったが私はまた座る事にした。
椅子に腰を下ろすと、先ほど私が置いた千円札が視界に入り、そのままにするのもどうかと思ったので、一旦鞄の内ポケットにしまった。
今さっきまで少しイラついていた気持ちが、今は酷く落ち着いている。
それも、彼の一言のせいだろう。
「悪い、嫌な事思い出させたよな。」
轟くんは私が向き直るとすぐ話を始めた。
『…ううん、大丈夫』
それから彼の口から語られたのは、いろいろだった。
まずは中学の時に初めて私の事を知ったきっかけが、あの個性婚の噂だと言った。
自分と同じで親が個性婚の人は初めてだったから、私が気になっていたと…。
それでで少しして誘拐事件、そして推薦入学の話、卒業式に私を見かけたっていう話。
「卒業式後の、あの時…あの表情を見て、俺はずっと勘違いしてた事に気付いた。」
轟くんの言う、あの時とあの表情っていうのは私には何を指しているのか分からない。
けど、卒業式後といえば私は同級生達が楽しくお喋りしたり、写真を撮り始めていた時にこっそりその輪を抜けて1人帰ったのを覚えている。
やっとアホらしい”お友達ごっこ”から解放されたって、とっても気分が良かったはず。
帰り道の途中、突然の強風で勢いよく散っていく桜の花びらを見て、今までの嫌な思い出も同時に散って消えていくような感じがして、嬉しいはずなのに…とっても胸が苦しくなったのを覚えている。
その気持ちに無理やり蓋をするようにサヨナラを告げたはずだけど、実はまだ一ヶ月前とかの話なんだよね。
新しい日常が初日から濃厚過ぎて、どこか遠い記憶に感じていた。
ぼんやりそんな事を思い出していたら、轟くんの話は轟くん自身の話に変わっていた。
自分の親があのNo2ヒーローのエンデヴァーで、オールマイトを超えるヒーローになる為に幼い頃から厳しく特訓をさせられた事。
そしてその事によって唯一の支えだった母親が精神を病み、自分に煮湯を浴びせたという事。
この火傷は、そん時のだ。と言う。
私は何も言葉が出なかったし、何も考えられなかった。
ただただ彼の話を聞く事しかできなかった。
「……俺は戦闘において左は使わねえ。右の力だけでヒーローになって、あいつを完全否定する。」
…轟くんは、私と同じ。
両親2人の個性を受け継いで生まれた、親からしてみれば”最高傑作”。
けど、一つ大きく違う事がある。
彼には母親がいる。
短い時間だったかもしれないけど、母親から愛情を貰っていた時がある。
私には産まれた時から母の愛がない。
だから、轟くんが突然信頼していた母親に煮湯を浴びせられ、その愛情を断ち切られた時の気持ちなんて想像もつかない。
でも——。
でも分かる気がするよ、それがとっても悲しくて、とっても辛いって事。
『と…どろきくっ…』
急激に目頭が熱くなり、涙が出そうって思った時には、既に私の目からはポロポロと涙が溢れ始めた。
「っ!?しゅ、周正!?」
突然泣き始めた私に彼はギョッとして慌て出した。
「わ、悪いっ…俺のせいだよな。悪い」
ひたすら謝り続ける彼と、涙を止めようと必死な私。
『ごめっ…ごめんね』
しゃくりをあげながら、私は声を絞り出す。
だが涙は止まるという事を忘れてしまったようで、次々と溢れてくる。
「周正……」
轟くんの落ち着いた声が私の名前を呼ぶ。
少し俯いていた顔を上げれば、彼の右手が伸びてきた。
『っ……』
そのまま左頬にそっと手が添えられ、親指の腹で優しく涙を拭いとってくれた。
「…どうしたら、泣き止んでくれるんだ?」
何度も何度も拭っては溢れる涙に、轟くんは眉をハの字に困ったような顔をした。
そんな顔、して欲しいわけじゃないのに。
どうしてか涙が止まらない。
しばらく、私は泣き続けた。
そして轟くんも、ずっと涙を拭ってくれていた。
..
『ごめん…もう、大丈夫……ごめんね』
添えられていた手に自分の手を重ね、そっと剥がし、その手を机の上においた。
涙はもう枯れたようで、止まっていた。
泣き過ぎて少し目が痛い。
「いや、俺の方こそ…やっぱり嫌な事思い出させたよな、悪かった」
なんか、今日は轟くんにいっぱい謝ってもらってばっかりだな。
こんな空気の中、そんな事を思っていたら何でかフフッと声が出た。
轟くんはまた驚いた顔をして私を見た。
それもそうだ。
今の今までボロボロ泣いていた女が、泣き止んだと思ったら急に笑い始めたのだ。
でも私は、泣いて少しすっきりした気持ちでいた。
『……ねぇ轟くん。今日の事は、2人だけの秘密にしよう。親に抗う同士、自分の目的に向かって頑張っていこう。…今の私たちには、その位しか出来ないだろうから…』
重ねたままだった彼の手を握り、そう微笑みかける。
雄英高校に入学してまだ2日。
お互い目的を果たす時まで、恐らく数年はかかるだろう。
でも、だからって立ち止っている訳にはいかない。
目的を果たした先に実際何があるかだって分からないけど。
私達は今をそうして進んでいくしかないのだ。
「…周正。…あぁ、そうだな。」
この日、轟くんと私は少し特別な関係になった。
お互いの深い悲しみを知り、それを少しだけ分かり合える関係だ。
少し違うかもしれないけど、戦友というのが一番しっくりくる気がする。
「周正、そろそろ帰るか」
スマホを取り出し、時間を確認したのか轟くんはそう言った。
私もスマホを取り出し、時間を確認すれば、ここにきてもう時期2時間は経ちそうだった。
店の小さな窓から見える景色は、既に赤み掛かっており帰宅を促されている感じがした。
『帰ろっか』
帰る前に少しだけ目を洗ってくると、お手洗いへ向かった。
綺麗な手洗い場にあるお洒落な鏡には、目元が真っ赤になった自分の顔が写り、まじまじと見てしまう。
泣いたのなんて、いつ振りだろうか。
思い出すが、パッと出てくるのはあの誘拐事件の時だ。
そういえばあれ以来、泣いた事ないな。
もしかしたら、今まで我慢していたのが全部溢れてきたのかもしれない。
バシャバシャと目が傷つかないように洗う。
持ってきたハンカチで優しく拭き取り、私は戻ったらもう一度、彼に謝ろうとお手洗いを後にした。
『ん…?』
席に戻れば、そこには誰もいなかった。
しかも私の鞄も、轟くんの鞄もなかった。
あれっと、店を見渡せばレジの前に立っている彼の後ろ姿が見えた。
『と、轟くん…』
急いで駆け寄れば、丁度店員さんが彼の手にレシートとお釣りを渡しているところだった。
「あぁ、出るぞ」
『え、ちょっ…』
カランっとお店のドアのベルを鳴らして轟くんは先に出ていった。
レジでお金を片付けている店員さんにご馳走様でした、っと一言いい私は急いで後を追った。
..
『と、轟くんお金…』
「あぁ、気にするな」
そう言いながら彼は私に鞄を渡してきた。
いや、気にするなって言われたって…。
受け取った鞄を開け、さっき内側のポケットにしまった千円札を彼の前に差し出す。
『私、奢られるのとか…あんまり好きじゃないの。』
「……今日は俺が誘った事だし、その、泣かせちまったから、奢らせて欲しい。」
頑として受け取ろうとしない彼に、私は渋々折れる事にした。
『…わかった。じゃぁ、明日何か飲み物でもおごる。……あと、な、泣いちゃったのは轟くんのせいじゃないからっ』
泣いてしまった事を今更ながら、少し恥ずかしくなり顔を背ける。
受け取ってもらえなかった千円は、再び内側のポケットにしまい、チラッと彼の方を見れば穏やかな表情でこちらを見ていた。
「…あぁ。わかった。」
『…じゃ、帰ろう。』
くるっと踵を翻し、駅の方へ歩き始める。
隣を並んで歩く轟くんは、時折こっちを見ては何か言いたそうなにしていた。
『え、何?』
「…いや。そういえば一つだけ聞き忘れてたんだが、お前、今苗字ちげえよな。」
『あー…。なんていうか、父と同じ苗字でいるのが嫌でね、高校からは母の旧姓を名乗る事にしたの。だからその、あんまり周正って呼ばないで欲しい。』
そういえば、轟くんには母の事を話していない。
まぁ、これは今すぐに話す必要がある訳ではないし、またタイミングがあったら話せばいいかな…。
「…なら、なまえ?」
『え?』
「…周正が嫌なら、なまえか?」
そう首を傾げる彼に、カッと顔に熱が集まるのを感じた。
『ふ、普通に狐森でいいよ』
「?…苗字で呼ばれるのが嫌なんじゃねえのか?」
『えっ…、いや、そうなんだけど、周正って言われるのが嫌で…』
「……なまえがいい。ダメか?」
うっ…。
何その仔犬みたいな目。
私は異性から下の名前で呼ばれる事に慣れていないので、何だか少し擽ったく感じるが、悪い気はしない。
『…ちょっと、慣れるまで恥ずかしいけど、いいよ』
「………」
『…轟くん?』
「っ…あぁ。ありがとう。」
そんな会話をして、私たちは帰路についた。
中学が一緒という事で、最寄りは一緒だと思ってたけど、轟くんの最寄りは私の一つ先の駅だった。
まぁ、駅の間隔はそんなに離れていないので、最寄りが違くても何も疑問には思わなかった。
寧ろ、轟くんの最寄りが隣で感謝した。
『私、家のお手伝いさんの家が轟くんの最寄りと一緒なんだよね。寄って帰らなきゃ行けないの忘れてたから、良かった〜』
そう。
昨日、寝泊りした荷物を置きっぱなしだからそれを取ってから帰らないといけないのだ。
すっかり忘れていたので、本当に良かった。
「そうなのか。…送るか?」
『え!?いや、いいよ!!そんな、送るとか友達なんだから、しなくていいよ!?』
「?…男が、女に奢ったり、家まで送るのは当たり前なんだと思ってたが違うのか?」
その発言に思わず口がポカンと開いてしまう。
『轟くん、今までそういう事してきてたの…?』
「...いや、さっき奢ったのが初めてだ。誰かを送るっていうのもした事ねえな。」
彼がその知識をどこで身につけたのか分からないが、少し勘違いしている気がする。
私も、そういう経験が無いから分からないけど、多分そういうのは…。
『そういうのは、好きな子とか、恋人とかにするんだと思うよ?友達には、しないはず。』
「…そう、なのか?」
正直、私も合っているのか分からなくて、はっきり頷けなかった。
それから気付けば目的の駅に到着し、私達は中途半端な会話のまま駅を出た。
『じゃぁ、私こっちだから、また明日ね轟くん』
「あぁ。明日な、なまえ。」
『っ……。』
やっぱり、名前で呼ばれると少し恥ずかしい。
慣れるまで時間がかかりそうだな。
轟くんと別れ、私はそんな事を思いながら和美さんの家に向かった。
その日の夜。
お風呂から上がりスマホを確認すれば、今日新たに友達追加した轟くんからメッセージが来ていた。
[今日はありがとう。また明日。おやすみ]
簡潔なメッセージだが、何となく彼っぽいなと思った。
布団に潜り、それに私からも簡潔にメッセージを送り、そのまま目を閉じた。
ちょっと話進めた過ぎて詰めました。