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08 悩み恋




どのくらい、時間が経ったのだろうか。

私が抱きしめている大きな体は先程からピクリとも動かない。
視界の端に映る耳は相変わらず赤い。
というより、さっきよりも赤みを増している。

なんというか、少し恥ずかしくて自分から動けない。
多分、私も今彼と同じような顔してるんだと思う。





「はあ”あ”あ”ぁ”」

突然の大きな溜息に肩が跳ね上がる。

『どうしたの?』

「……これは現実じゃ無いんじゃねぇかって思ってなァ」

『え?』


夢みたいだ、とでも言いたいのだろうか。
実弥さんってこんなこと言う人だったっけ。

そう思っていたら、両肩を掴まれ体が離れた。
改めて向かい合って互いの顔を見る。

実弥さんの顔はもう赤く無い。
耳が少し赤いだけだった。
私の顔はまだ熱を帯びている。

なんだか私だけ赤い顔を見られているというのはズルイって思ってしまう。


「いつ、言おうか今日考えてたんだがこんなにアッサリ行くとは思わなかったなァ」

それは独り言なのか、それとも私に言ったのか。
どう捉えるべきか迷う。

『えっと、うん…良かったね…?』

意味わからない返事を返してしまった。
案の定、実弥さんは片眉を吊り上げた。

『ごめん、何言ってんだろ、ちょっと頭回ってないかもしれない』

頬を両手で押さえ彼に背を向ける。
態度には出ないが、私自身思ったより今余裕がないのかもしれない。

今までに無い事だ、これが”真の恋”というやつなのだろうか。
でもこんな急になるものなのか…。

ぐるりとぐるりと回る思考をよそに、彼は後ろでフッと笑った。
ぽんっと頭に置かれた手にゆっくり振り向けば、わしゃわしゃと犬を撫でるように撫で回される。
これは多分セットしてたら怒るやつだろう。
どんな女でもそうだ。

「飯、食うぞ」

頭から彼の温もりが離れ、私達は言葉通り食事を再開した。

特に会話もなく、静かな食事となった。
でも全く気不味いという事は無く、寧ろとても心地が良かった。


今まで告白されても適当に良さそうだったら付き合って、適当にやる事ヤッてきてたから、好きとか恋っていうのがイマイチ分からないでいた。
気持ちがしっかりないのに付き合うって最低とか誰かに言われた事もあったけど、付き合ってからそういうの知れると思ってたんだよね。

でも、結局ずっと分からないままだった。

だからこんな気持ちは初めてで困惑している。
過ちから始まった恋なんて、どこかの漫画かな。
なんだか他人事のように笑いが溢れそうになる。




けど、私。

本当にこの人のこと、好きなんだと思う。







『片付け、私がやるからお風呂どうぞ』

「いや、片付けも俺が」

『お昼の食器とかもあるから、私がやる。…やったら怒る』

そう言えば、やっぱり不貞腐れた。
どうしてそんなに世話焼きなのか。
やはり下に兄弟がたくさんいると、自分からやろうっていう気持ちが強いのかな。
でも彼女にそれは、もはや甘やかしになると思…

あれ。


お皿と泡泡のスポンジを片手に思わず動きを止める。


『実弥さん、私って……”彼女”になったの?』

不貞腐れてキッチンから出て行こうとした彼の背に問いかける。
ピタリと止まった体。
ジャーっと流したままの水を一旦止める。

「…ちゃんと付き合おうって言ってないから付き合ってないって言いたいのかァ?」

『あ、じゃないけど… そう、思って良いのかなって。てっきり実弥さんって、私の事性欲処理相手としか思ってないとっ…っ!?』

言いかけた所で急に唇が塞がれた。
勢いがすごくて少しだけ歯がぶつかり地味に痛い。

『さ、ねみさん…?』

長く続くと思ったキスはその一瞬で終わった。
いつの間にか目の前にきていた彼の顔を見上げれば、メラメラと目の奥で何かが燃えていた。
ついでに眉間にはビッキビキの青筋。

「後で覚えとけよォ」

それだけ言い残し、彼はお風呂の方へ向かって行った。

何で怒ったのか、私には分からなかった。

あぁ、そういえばっと手に持っていたものを置き、泡のついた手を軽く濯ぎ寝室へ行く。
寝巻き用にと買っておいた未使用のメンズのビッグTシャツと、ゆったりジャージズボンをタンスの奥から引っ張り出す。

どうせ脱ぐからいらないとか言いそうだな。
なんて思いつつ、脱衣所へ行き、多分わかると思う所に服を置く。


脱衣所から薄らと見えるお風呂の中の人影とシャワーの音に少しだけドキドキする。




—あぁ、早くシたいなぁ。



ふつふつと溢れそうな厭らしい気持ちを押さえ、私は脱衣所をそっと後にした。
洗い物の続き、やらなきゃ。
あぁ、それから実弥さんと恋人になった事カナエ先生に言ってもいいかな。
大分前の女子会の時に実弥さんの事、押してきてたんだよね。

でもいくら仲がいいとはいえ、職場の人だしな。
変に気を使わせても悪いよね。

惚気なんて聞きたくないとか言いそうな友人が何人か思い浮かぶ。
でも誰かにこの事を言ってしまいたい気持ちもある。

『んーー….』


二人分の溜まった食器を洗いながら私は一人唸る。

そういえば、一緒に住むっていう話って本気なのかな。

この家は、元々実家だ。
両親と3人で住んでおり、私の就職をきっかけに両親二人が一戸建ての家に住みたいと言い引っ越し、この家を私に譲ってくれた。
家をくれる両親って何?っと、よく言われるが、確かに凄いと思った。
それに私にとって思い出の家だから、売るって言わなかった両親に感謝だった。

だから一緒に住もうって言う話が本気なら、部屋は空いてるから問題ないけど…。

でもでも、いいのかな。
こんな付き合ってすぐに同棲って…。
もっと色々段階っていうのがあるんじゃ。

でも私達って、スタート可笑しいからこういうのもいきなりで可笑しくないのかな。


『んんーーー…』


悩ましい事が多く、私は一枚のお皿を永遠に洗っている事に気づかなかった。


そしてこの数分後に、実弥さんが腰にタオルを巻いて出てきて、「悪い、服貸してくれェ」っと言うのはまた別のお話。








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