「えー...っと…」
「........」
世に言う壁ドンというのを体験中の私は、その相手が影山である事に動揺を隠せない。
昨日の今日でこれって、どう言う状況?
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遡る事数時間前。
昨夜はリビングのソファで寝ちゃってて、気付いたらもう21時だった。
既にお母ちゃん達は夕食を済ませたようで、私も急いで食べてお風呂に入った。
それから私と入れ替わりでソファに居座ってたお母ちゃんと少し喋って部屋に向かったんだけど、その間一度も彼と顔を合わせる事はなかった。
自室に行く前にある彼の部屋からは薄っすら灯りが漏れていて、まだ起きているのが伺えた。
そういえばいつから顔合わせてないっけ...思い出そうにも凄く前の記憶で覚えていない。
基本彼がリビングにいる時は私が部屋に篭っているし、私がリビングにいる時に彼はそもそも家にいない。
...別に喧嘩したわけゃないけど、今更顔合わせ辛いんだよなぁ。
そんな事を思って布団に入った。
朝になって、リビングに行く前に玄関へ目をやる。
彼の靴はやっぱりもうなかった。
「お母ちゃんおはよう。」
「あぁ、おはよう。お母ちゃん今日からまた夜勤だからね!夕飯はいつも通り冷蔵庫で、寝る前の戸締りは気をつける事。あとは何か問題があったら徹と相談して!」
「んー」
お母ちゃんの話を聞きつつ、食卓に置いてあった牛乳パンとオレンジジュースを手に持つ。
「あ、ごめんね〜、朝ごはん炊くの忘れてて、、食パンも切らしてたから徹の秘蔵牛乳パン貰ったのよ〜」
「……。」
そっと牛乳パンを食卓に置き、オレンジジュースだけ持って私は部屋に戻る事にした。
後ろからお母ちゃんが「要らないのー?」なんて言ってるのが聞こえたが、彼のものを食べるほど飢えていない。
こんな些細な事でも彼と距離を置こうとする自分がなんだかアホらしいけど、何でか我慢できなかった。
やっぱり私は幼稚だ。
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「行ってきます」
そう家を出たのは本鈴がなる5分前くらいで学校に着く時間だった。
別に早く行っても遅く行っても変わらないから、間に合えさえすればいいというのが私のスタンスだ。
昨日は初日だったし早めに家を出ていたけど、普段はこのくらいでいいだろう。
ぼーっと気持ちのいい春の青空を眺めて歩いていれば、そのうち学校の校門が見えてきた。
ペースが早かったのか本鈴10分前に鳴る予鈴の音が聞こえてきて、何人か校内へ駆け込んで行くのが見えた。
校門で怖そうな先生が「早くしろー!」って怒鳴っていて、私もとりあえず走るふりをして校門を通る。
下駄箱に行けば既に誰もいなくて、1年は皆真面目かよ。なんて思った。
とりあえず私も外履きから中履きを履き替えようとした時、ぬっと私を囲うように顔の左右に腕が伸びてきた。
「ぇ…?」
少し振り返って上を見上げれば、今誰よりも会いたくない相手が私を見下ろしていた。
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そして冒頭に戻るのであるが、壁ドンというにはちょっと違かったかもしれない。
だって向き合ってないし、背後から一方的に囲われてるだけだし...。
「ぉ.....はょ」
「え、なんて...?」
ありえないぐらい小さい声で「おはよ」って聞こえた気がしたけど、思わず聞き返してしまった。
というか何で彼はジャージなんだ?
「......」
「......」
お互い無言の時間が流れ、ただただ見つめあっていた。
こんな距離で彼の顔を見たのは昨日ぶりだ。
でも今日は昨日より穏やかだった。
相変わらず眉間に皺がよってるし、口はへの字に曲がってるけど。
何でか私には優しい顔に見えた。
「...凪」
そう紡がれた口が、少しずつ近づいてくるのがわかった。
予想だにしない事に私は思わず身体がこわばった...。
あれ、これもしかしてキスする...?
「ぇ、か、かか影山、待って!」
動かないと思った体を無理やり動かして私は振り返り、そのまま胸板を押した。
「..あれ?」
でも何でか不思議な事にびくともしなくて、影山はさっきと変わらず同じ位置に立っていた。
突然のことで影山もびっくりしたのか目をぱちくりさせていた。
あれ、ていうかこれ今本当に壁ドンの構図じゃない?そう理解した途端、急に恥ずかしくなって顔が熱くなるのを感じた。
そんな私を見て、彼は自分が何をしようとしているのかやっと理解したのか、「悪い」と赤い顔を隠すように片手で口元を覆っていた。
...本当におかしい。
こんな影山飛雄を私は知らない。
お互い顔を赤らめて俯いていれば本鈴が鳴った。
ハッとして私達は教室へ駆けた。
お願いだから教室に着くまでにこの熱が治ってくださいと願いながら。