ついに……来てしもた。
Kanzaki って洒落た字体で書かれた表札が、やけに現実味を帯びて俺を見下ろしてくる。
平常心のつもりでおったけど、指先がちょっと震えてんの、自分でもわかる。
ここを押したら、天音の声が聞こえる。
柔らかくて、耳に心地ええ、あの声が。
もしくは、すぐに玄関が開いて、パーカー姿とかで「信介〜!」って出てくるんかもしれん。
そんなん想像しただけで、心臓がちょっと騒がしい。
……どっちにしても、俺にはたまらんやろな。
けど、変に浮かれて見られたらダサいし、ここは一旦深呼吸や。
ゆっくり息を吸って、吐いて——
意を決して、インターホンのボタンを押した。
ーーガチャッ
「お疲れさん、信介。どうぞ〜」
天音が玄関から顔を出してくれて、ふんわりした声でそう言うた。
ああ、正解は “インターフォン越し” じゃなくて “いきなりドアオープン” やったか……って、胸の中でひとつ呟いた。
……で、問題はや。
その姿や。
ふわっとしたカーディガン。
下は短めのショートパンツ。
髪はラフにまとめてあって、妙に色っぽい。
これが休日モードの天音……か。
なんや、もう……ほんまに可愛すぎる。
見たらあかん、って頭でわかってても、目が勝手に上から下までジロジロ動いてまう。
どこまでがセーフで、どっからがアウトなんかわからんけど、たぶん俺、今ぎりぎりのラインにおる。
「……お、お邪魔します」
開け放たれた玄関の中に足を踏み入れた瞬間、ふわっと優しい花の香りが鼻先をくすぐった。
目の端に映る、綺麗に並べられた写真立てや、見たことのない花。
どれも品があって、どこか天音らしい空気を纏ってた。
さすがにじろじろ見まわすのは野暮やと思って、そっと靴を脱いで、かかとを合わせて丁寧に揃える。
ほんで「こっち」って手招きされた方へついていけば、天井の高い開放感あるリビングに通された。
なんや、広いし綺麗やし……えらいとこ来てしもたな、ってちょっとだけ背筋が伸びる。
「お昼まだやんな?なんか食べる?あ、それとも先にシャワーでも浴びる?」
「は、しゃ……シャワー……?」
一瞬、耳がおかしなったかと思った。
いや、言うたよな、シャワーって……。
な、なんでや、まだ来たばっかりやぞ……?
思考がグルグルまわりながら、天音の方を見たけど、キッチンで何やら作業をしているようで顔は見えない。
ちょっと待ってくれ……天音。
それは、ちょっと気ぃ早すぎひんか。
いや、ちゃう。焦ってるわけやない。
ただな、こういうのは……段取りとか、タイミングとか、な?
……俺にも心の準備っちゅうもんがあんねん。
「部活、汗かいたやろ?さっぱりしてきぃ。」
「……そういうことか。」
「え?なにが?」
「いや、こっちの話や。」
……あかん、俺、何を勘違いしてたんや。
頭ん中で勝手に暴走して、何やもう、自分が恥ずかしいわ。
「お風呂こっちね。タオル出しとくから、ほなな。」
そう言うなり、背中を押されるようにして脱衣所に入れられた。
パタン、と控えめに閉じられた扉の音が妙に静かに響く。
その時、ふと気付いた。
――なんやろう。
今日、天音と一度もちゃんと目ぇ合ってへん気ぃする。
……気のせいやろか。
それとも、天音も緊張しとるんかな。
ふと、胸に手を当ててみる。
……あかん、鼓動がやけにうるさい。
ほんま、今日はずっと落ち着かんわ。
天音と一つ屋根の下で一晩過ごせるなんてな――
そりゃあ鼓動も早うなるっちゅう話や。
けど、天音も俺と同じ気持ちでおってくれたら……それが一番嬉しい。
思わず口角が上がる。
俺はそっと風呂場の扉に手をかけた。
.
体を拭き終えた頃には、湯上がり特有のぼんやりした気分が少しずつ落ち着いてきた。
鏡越しに自分の顔を見ながら、ほんの少し眉を寄せる。
……落ち着くんや、北信介。
別に今日、絶対そうなるって決まってるわけやない。
けどもしそうなった時のこと、ちゃんと考えとくのが男ってもんやろ。
昨日の練習は2回連続でうまくゴムを付けれた。
練習で上手く出来たことは、本番でも出来る。
そこはバレーと同じや...。
小さく息を吐いて、タオルを肩にかける。
あんまり考えすぎん方がええ。緊張し過ぎたら、逆に不自然になってまうかもしれんしな。
けど——
お互い、普段は人に見せん部分を晒すってのは、やっぱり恥ずかしいもんやろなぁ
……天音の、普段隠れてるとこまで、見てええんやろか。
あかん。
想像したら勃ってまう。
いや、もう既に少しだけ下半身が熱い気ぃするわ。
そう目視で今の状態を確認しようとした時だった。
――ガラッ。
「っ!?わっ、ご、ごめんっ!!」
いきなり開いた引き戸に驚いて振り返れば、目を丸くした天音の姿。
「食器洗剤のストック、ここに置いてあって…」
そう言いながら、天音はパッと俺から視線を逸らした。
……そらまぁ、上半身裸のまんまやもんな。
気まずいって思うんは当然か。
「…あ、悪い。こんな格好で。」
そう言いながらTシャツを手に取ろうとしたその時やった。
天音がふいに近づいてきて、俺の手をふわっと掴んだ。
「…天音?」
声をかけても返事はない。
けど、その手はぎゅっと俺の手を離さんくて。
なんや、胸の奥がジンとする。
しばらく沈黙が流れたかと思ったら、天音はそっと顔を上げて、ポツリと言うた。
「…こっち、きて。」
その小さな声と、揺れたまつ毛と、ぎこちないけどしっかりしたその手の温もりに、俺の心臓はまたドクンと鳴った。
俺は天音に手ぇ引かれたまま、階段をのぼっていった。
なんや…訳が分からんままやけど、とりあえず黙ってついていく。
半開きの扉の部屋に入ると、カーテンは閉まってて、部屋ん中はほの暗い。
棚には小さなぬいぐるみとか可愛い雑貨が並んでて、天音の部屋なんやとすぐに分かった。
「…天音、どうしたん?」
ベッドの前まで連れてこられて、気づいたら俺はそっとそこに座らされとった。
見上げた先には、俯いたままの天音。
なんとも言えん空気に、俺の胸の鼓動がやけに大きく感じる。
「…信介、私な。信介のこと、ほんまに…ほんまに大好きやねん。」
「っ…それは、俺も——っ!?ま、天音、なにして——っ」
突然の天音の言葉に、心臓がドクンと跳ねた。
俺も好きだ——
そう返そうとしたその瞬間やった。
天音が羽織ってたカーデガンをふわりと床に落として、なんの前触れもなく中に着てたTシャツを下から捲り上げたんや。
「っ——!」
あまりに予想外すぎて、変な声が喉の奥から出かけたのを慌てて飲み込んだ。
けど、目の前に広がった光景はそんなもんで終わらへんかった。
薄々気づいとったけど…天音は胸が...かなり大きい。普段制服やと着痩せするのか、分かりにくいがずっと見ていれば気ぃつく。
目の前には、その胸をギュッと包み込んどる黒いレースの下着。
下から見上げる形になってしもた俺には、それがもう圧巻で——
思わずゴクリと唾を飲み込む。
見たらあかん、でも目が離せへん。理性と本能が綱引きしてるみたいやった。
「天音、ま、待てって…まだ、その……!」
ギッ、とベッドが軋む音がして、天音が俺の横に片膝ついてきた。
その手が、そっと俺の胸に触れる。
直接触れられるのなんて初めてで、思わず心臓がバクバク鳴り出す。
熱い。
天音の手も、俺の体も、もうすでに火照ってるみたいやった。
迫ってくる、綺麗すぎる谷間。
必死に目ぇ逸らそうとすんねんけど…無理や。
見たらあかんって思えば思うほど、吸い込まれてまう。
俺、天音と、今から……
一人で勝手に妄想を膨らませ始めた時、ぽた、ぽたって、俺の胸に何かが落ちてきた。
水や。
しかも一滴や二滴やあらへん。
立て続けに、ぽたぽたと温い雫が肌を打つ。
「……?」
不思議に思て顔を上げた瞬間、目が合う。
天音は目に涙がいっぱい溜め、じっと俺を見とった。
その顔見た瞬間、俺の体はぎこちなく硬直した。
なんでや。
なんで、そんな悲しそうな顔してんねん……。
胸がキュッとなる。
さっきまで熱くて仕方なかった体の芯が、すぅっと冷めていくのが分かった。