present



秋海棠


「なぁなぁ、稲荷崎の女神様って知ってる?」
「んー?あぁ知ってるで、2年の先輩やろ?」

「そーそー!さっき廊下ですれ違ったっぽいねん!」
「マジで!?どやったん?」

「やばかった!!ほんまに!」


入学してから、まだ1週間。

なんとなくぎこちなかったクラスの空気も、ようやくちょっとずつ和らいできて、グループも固まりかけてきた頃――

俺のクラスは、噂の“女神様”の話でもちきりやった。

けどな、思ったよりみんな深くは知らんみたいで、噂だけがふわふわ一人歩きしてる感じやった。


「マジで綺麗すぎる」

「見た瞬間、呼吸止まるって」

「生まれてくれてありがとな、って心の中で言うた」

「もはや絵とか写真の中の人みたいやった」


……いやいや、ボキャブラリどないなっとんねん。
惚れてもうてんのは分かるけど、言い方ダサすぎて笑うわ、ホンマ。


中には、ちょっと真面目めな感想もあってやな――

「高嶺の花って、ああいう人のこと言うんやろな」

「歩いたとこに、花畑でもできとんちゃうか思たわ」

「見た目もやけど、仕草まで上品すぎて…ずっと見とける感じ」


……なんかもう、いろいろ言いすぎて結局、何がホンマか分からんわ。

正直言うと、俺はその“女神様”っちゅう先輩に、実際会うたこともないし、べつに興味ない…ってわけでもないねんけど。

でもまぁ先輩やし、自分からわざわざ探しに行くのもなんや面倒でな。

そのうち、どっかですれ違えたらラッキー、くらいに思っとった。

それに今はそれより部活がしたい。はよ、ボール触りたい。


……そう。女神様に出会うまでは、ほんまにそんなもんやってん、俺は。


.



それから何日か経って、気付いたら入学して3ヶ月。

学校にも部活にもそこそこ慣れてきた頃の朝練の時やった。

うちはマネージャーおらへんから、一年が交代で雑用当番すんねん。

で、よりにもよって今日の俺は、ドリンク補充係や。

まだ朝の6時半やのに、夏の陽射しはもうジリジリと本気出してきとる。

ほんで補充場所っちゅうたら、体育館の外の、直射日光がガンガン当たる水道やねん。

日陰?あるわけないやん。

さすがにこの暑さやと、みんなの飲むペースも早い。

練習始まって間もないのに、もう本日2回目の補充やで?


「はぁー……ほんま、飲みすぎやって!俺の練習時間なくなるやんか!」


ギュンッ!て勢いよく回した蛇口から、一気にドバッと水が噴き出した。

下に置いてたジャグが、その勢いでもろに倒れてしもて、ジャグの側面に水がガンガン当たる。

ドバババッて音立てて水しぶきが四方八方に飛び散った。


「うおっ!?」

見事に顔面直撃。Tシャツも、まぁ……言わんでもわかるな。
ベッチャベチャや。


「っっあ、やばっ…止めな…!」

慌てて蛇口に手ぇ伸ばそうとした、その瞬間──



「きゃっ!!」

小っさいけどハッキリ聞こえた女の子の声。
反射的にそっち見たら、水ん中から現れたんかってくらいのびしょ濡れの女子が立っとった。


「っ…あ、ご、ごめん!やば…!」

ガッと蛇口閉めて、バタバタ駆け寄る。

「大丈夫か!?」

「うっ……びっくりしたぁ〜…」

顔にかけてた手をスッと下ろしたその瞬間──
初めて、お互いの顔が見えた。

びしょ濡れになってんのに、なんでか目の前の子はふわっと笑ってて──
それに俺が、逆にびっくりしてもうた。



「ありゃぁ……今日、着替え持って来とったっけなぁ。」

ポタポタと髪先から垂れる水を、手でキュッと絞りながら彼女がぽつり。

“水も滴るええ男”って言葉あるけど……女の子にも使えるんやなって。
目の前の彼女見て、思わずそんなこと考えてしもた。


つやつやの黒髪に、透き通るような白い肌。
すらっと伸びた手足に、玉転がすような声。

キラキラした水滴が陽に照らされて、身体中に宝石つけてるみたいやった。

──もう、まるで一枚の絵やったわ。

ボーッと見惚れてたら、ふいにその子がこっち向いて、まん丸の目で心配そうに言うてきた。

「君は大丈夫?…私より濡れてるんちゃう?」

その瞬間な。

ぐっ…て息止まってもうて、頭ん中で“女神様”って言葉がぐるぐる回りだした。


あっ、女神様..?

これ噂の……!



「あっ、あのっ…!!」

何とか声を出した俺を遮るように、

「ん?あ、ちょっと待ってな。ハンカチあるよ。」

って、ポケットからさっと取り出したハンカチを手に彼女はぐいっと背伸びして、俺の顔をそっと拭いてくれた。

その瞬間、ふわって鼻先をくすぐった花みたいな香りがした。


あかん。めちゃくちゃええ匂いや……。
ずっと嗅いでたくなるような優しい匂いやった。



「ふふっ……水も滴るええ男やね。」


ニコッて至近距離で向けられた笑顔に、俺は完全に心臓を撃ち抜かれた。

ほんま、言葉で言うなら「ズッキューン!からのバッキューン!」ってやつや。
アホみたいな擬音やけど、今の俺の気持ち、それしか表現できへん。


俺は無意識にまだ顔拭いてくれてる彼女の手をぐいっと掴み、一歩詰め寄った。


「あ、あのっ!……もしかして、女神様っすか!?」

「え……?」

ぱちくりしてた大きな目が、さらにまぁるく見開かれた。
そっからすぐ、困ったみたいに眉が下がった。

「まさか……初対面の1年生にまで、そう呼ばれるとは思わんかったなぁ…」

「あっ…す、すんません!嫌でした……?」

「ううん、そういう意味じゃないねんけど…」

そう言うて、また困り顔で笑う彼女。
あかんて、その笑顔まで可愛いとか…どないなっとんねん。

なんかもう、この人……表情全部、100点満点やんけ。


「てか…なんで俺が1年って分かったんですか?」

思わず聞いたら、彼女は首を傾げながら答えた。

「え?だって、その短パン……学校指定のやつやろ?色が1年生のやし。」

「え、あ〜……いや、これバレー練習用パンツっす。」

「えっ!?……わっ、ご、ごめん!!あんなダサいのと一緒にしてもうた!!よ、よく見たら丈も短い!?ほんまごめんなっ!」

焦ってバタバタしだす彼女見て、つい、ぷっ…って吹き出してもうたわ。


なんやろな──
俺が思てた“女神様”とは、えらい中身ちゃうくてビックリしたんよ。

あ、もちろんええ意味でな。


「高嶺の花」やら「歩くだけで花畑できる」とか、そんなんばっか耳に入ってきとったから、正直もっとこう…堅そうで、近寄りがたい人かと思ってたんよ。


でも実際は、全然ちがう。


むしろ──

もっと話したい、もっと知りたいって思わせる人やった。




「女神さん。」

不意に横から声が聞こえて、二人してパッとそっち見た。

夏やいうのに、長袖ジャージを肩にかけて腕組んで立っとるその人は──。

「あ、北さ──」

「北くんっ!」

俺が言いかけた瞬間、彼女がちょい声のトーン上がって先に呼んだ。


北さんは、俺と彼女をチラッと見たあと、繋いだままの俺らの手を、じーっと見てた。

それに気付いた彼女がサッと手ぇ離して、頬っぺたがふわっと赤くなったんよ。

その仕草がまた、アホほど可愛くて心臓の音がちょい本気でうるさかった。


「侑。先輩らがドリンク待っとる。はよ行きや。……それと女神さん、多分侑のせいで濡れとるよな?悪いな、ウチの後輩が……透けとるから、これ羽織っておき。」

そう言いながら、北さんは自分のジャージを女神様にすっと掛けた。

あぁ、そういや顔ばっか見てて気づかんかったけど、シャツ、濡れて透けてもうてたんか。

「わわっ…ごめん、ありがと…。」

恥ずかしそうに俯いて、北さんのジャージ握る女神様。
その姿がまぁ〜可愛すぎて、俺は口元のニヤけ止められへんかった。

「……侑。」

「っ……は、はいっ!!すぐ作ります!!!」


──北信介。

うちのひとつ上の先輩で、なんちゅうか……とにかく真面目で厳しいってイメージ。
別にキツいこと言われてるわけちゃうねんけど、言い方がズバッと来るというか、図星突かれて「うっ…」ってなることが多いんよな。

ぶっちゃけちょっとだけ、苦手やった。

しかもあの人、いつも表情ピクリとも動かんやん。
何考えてるか、まっっったく分からへんタイプ。


とりあえず俺は女神様にもう一回「ほんますんません!」って謝ってから、そそくさとドリンク作りに戻った。


……けどな、気になってしゃあないんよ。

まだ体育館に戻らず、女神様となんか話してる北さんが。


彼女の方は楽しそうに喋ってて、ほんまにキラキラしとって。
北さんの方は、相変わらず無表情。

……せやけどな。

あの人の真顔、いつもとちょっと違う気がした。



「…あ、うおっ!?」

つい見惚れてしもて、またもやジャグ倒してしもた。
水がビシャーッて飛び散って、今度は俺だけがびしょ濡れ。

……せっかく拭いてもろたばっかやのに、また顔ビシャビシャやん。

「あ〜もう…なんやってん俺……」

そう思いながら、倒れたジャグに手ぇ伸ばしたその時──

「もう、何回やってあげればええんかな?」

「へ?」

横からスッと差し出された小さい手。
さっきのハンカチがまたそん中にあって、ほんでそれでまた俺の顔を優しく拭いてくれた。

「ぁ、えっと…。」

「手のかかる後輩くんやな〜。」

クスクス笑いながら言う彼女の声が、なんかえらい心地ええねん。

顔拭かれてるだけやのに、体温どんどん上がってって…
なんかもう、頭ぐるぐるしてきたわ。




──ああ、なるほどな。


これが“女神様”っちゅうことなんかもしれへん。


そら、皆噂するわ。
気ぃ抜いたらほんまに後ろに花畑見えてまうもん。


「…俺、1年の宮侑って言います!!」

「ん?うん、宮侑くんか〜。なんか語呂ええし、フルネームで呼びたなってまうなぁ」

「え、あの…北さんみたいに、名前で呼んでもらえたら──」

「おい侑ー!!何ぐずぐずしとんねん!!」

体育館の方から、3年の先輩の怒鳴り声が飛んできた。

「うわっ、ヤバ…!」

ビクッと体が跳ねて、慌てる俺の前で「手伝うよっ」って、女神様がサッとジャグを手に取ってくれた。

けど。

「……女神さん、それは俺がやるから。ええから、はよ行かんと時間ないで?」

「わっ、ホンマやった!!ごめん宮侑くん、朝イチでやらなあかんことあったんやった!」

「え、あ──」

「じゃあね!北くんもまたあとで!ジャージありがと〜っ!」

最後まで早口でまくし立てると、女神様はバタバタっと駆け足で校舎の方に走って行った。

えらい急いどったんやな……。

残された俺はっていうと、ずっと手に持っとった空っぽのジャグと、びしょ濡れのTシャツのまま、ぼーっとその背中見送ってた。

……なんか、やらかした感。

今さらやけど、水かけてもうたの、ホンマ申し訳なかったなって思ってもうた。

「……っしょんぼりやわ、俺……」

しゅんと肩を落として、もう一回蛇口握り直した。



「侑。……朝からええモン見れたな。」

「え?」

隣でテキパキとドリンク準備してる北さんの、その一言。

不意打ちすぎて、俺は思わず目ぇまんまるにした。

「朝に女神さん見れた日はな、高確率で一日ええ日になるんやで。」

「えっ、ちょ、なんですか、え?どゆこと!?」

あたふたしてる俺をよそに、北さんは平然とジャグを二つ抱えた。

「ほな、そっちもさっさと持ってきいや。」

そう言いながら、スタスタ体育館の方に戻って行ってもうた。

てか。

……あれ?


今、北さん……笑ってた?




この出来事があってからっちゅうもん、俺は正直、教室出んの面倒やし休み時間はだいたい席におる派やってんけど──
なんやろな、女神様とあわよくばすれ違えるかも…って思ってしもて、なんとな〜く廊下うろつくことが増えてきた。

んで、印象強すぎたあの出会い方のせいか、初めて廊下ですれ違った時は向こうから、声かけてくれてん。


「あ。宮侑くんや。」

「か、神崎……せ、先輩……。」

「え?」

「……え?」

「……私の名前、知ってくれてたんや。」

「は、はいっ!もちろんです!前に“女神様”って呼んだら、ちょっと嫌そうな顔してはったから…」


せやねん。
俺はあの後、色んな子らに必死で名前を聞いて回ってん。


神崎 天音。

なんやろな。
字面も響きも、まじで綺麗すぎて。
……ほんまええ名前やなって思った。


「んー、まぁ女神様も、そんなに嫌じゃないんやけどな。でも“神崎先輩”はなんか堅苦しすぎるし、皆と一緒で“女神様”のがまだマシかも。……って、自分で言うとちょっと恥ずかしいねんけど。」

そうやって困ったように笑うその顔に、またもや俺の胸はバクバク言うてた。



「天音、行くで。」

──そう言うて、隣におった背ぇ高くてクール系の美人な先輩が、神崎…ちゃうわ、女神様の手ぇ引いてた。

「あ、ごめん凌ちゃん。じゃあ宮侑くん、またね。」

再び俺の方にニコッと笑顔向けて、ふわっとした足取りで行ってしもた。

……その去り際、クールな先輩の方が俺のことジロッと睨んできたけど──
それについては、深く考えんとこって決めた。



──あぁ、俺。

女神様のこと、好きなんやな。

……そうはっきり自覚しはじめたんは、この時からやった。



そして──あれから更に2ヶ月経って。


その日は珍しく、治と中庭でメシ食ってる最中やった。

「あ、北さんと女神様おるで。」

「はぁっ!?どこ!?」

治が急に校舎の方、指さした。

ギュインっと目ぇやったら、ちょうど廊下の窓際で、北さんと女神様が並んで話してはった。

しかもめっちゃ楽しそうやし──。

ただでさえ、北さんにはちょっとライバル心みたいなん抱いてたってのにや。

こんなとこ見せられて、そらもう落ち着いて飯なんか食えへんやろ。


「……あ、こっち気付いたんちゃう?」

「マジで!?うわ、ほんまや!アカン!!女神様ーーーっ!!」

俺は思わず立ち上がって、両手で大きく手ぇ振った。

自分でもびっくりするぐらい、反射的に動いてしもてた。


「あっ!宮侑くん、この前の試合、めっちゃカッコよかったよ!」

「え!?あ、あざっす!!?」

わざわざ窓開けて、ちょっと声張ってこっちに呼びかけてくれてん。

しかもこの前の試合、っちゅうたら…

たぶん、北さんの応援にだけ来てたんやと思てた、あの試合のことやろ。

まさか…まさかやけど、俺のプレーも見ててくれてたんか!?

いや、マジで驚いた。
ていうか、めっちゃ嬉しいやんけ!!!


「ツム、鼻の下伸びすぎやで。」

「そんなん不可抗力や!!」




「侑。治。今日外周あるから、外靴忘れんなや。」

急にや。

ずーっと女神様の方ばっか見てた北さんが、いきなり俺らの方に顔向けてきて。

隣で治が「……絶対巻き添えやん、これ」って呟いとったけど──


いやまぁ、わかる。

最近の北さん、ちょいちょい女神様絡んだ時だけ、地味に当たりキツい気ぃするもんな。


でもなぁ──

『好きな人は、取られたない』

その気持ち、めっちゃよう分かる。

せやから別に文句なんか言われへん。

……むしろ、ええ勝負やないかって思てるくらいや。


スッと目を細めて北さんの方見たら、相変わらず無表情な顔のまま、まっすぐこっち見とるその瞳がおった。

そのタイミングで、お昼の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

女神様は「またねーっ!」言うて、北さんと一緒に教室入ってしもた。


……あぁ、ほんまはもっと色々話したいんやけどなぁ。

同じクラスで、毎日顔合わせてる北さんが、ほんっま羨ましい。

隣で治が弁当のゴミまとめて、先に教室戻ってく中、俺はさっき2人が立ってた窓の方を、ぼーっと見上げとった。


そしたらな、なんと──

「宮侑くん、良かったまだおった!」

って、ひょこっ!て女神様がまた顔出してきたんよ。


「これあげるっ!」

って言うたかと思ったら、上からコロッと落ちてきたのは、丸いチョコ菓子やった。

パッケージ的に、多分コンビニで500円くらいしそうなええやつ。

「最近のおすすめチョコなの!良かったら食べてね!」

って、またふわっと笑って、今度こそほんまに教室戻っていってしもた。


俺はそのチョコを手のひらに乗せたまま、さっきまでそこにおった彼女の笑顔を、脳内でリプレイしまくってた。


「……っ!?!?!?」

ズッキューーーン!!!からのバッキューーーン!!!

心臓にダイレクトや。


……あかん。

ほんま好き。無理や。
どないしよ……!!!

そのあと授業始まるチャイム鳴るまで、俺は中庭で1人、ポカーンと立ち尽くしてしもてた。



-fin-

秋海棠 (シュウカイドウ)
花言葉: 「片思い」「恋の悩み」





まな様素敵なリクエストありがとうございました。
女神様と宮侑のお話が見たいとの事で、2人の出会いを書かせていただきました!






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