+△0314:Tue 革命前夜のうそのこと 足をすべらせた。ぞっとする。背筋に這い上がる予感。相手の握りしめる刃物がぎらりと光る。あっ、という一音のみしか脳裏にうかばない。しぬのか、ここで。ふしぎと恐怖はなかった。ただ虚無だけがそこにはあった。現実だけを凝視して、自分の口から声は漏れでない。ザシュ、と肉袋に刃物が突き刺さる音がした。痛みはない。刺さったのは自分にではない。おそるおそる、軋む首を感じながら相手を見上げる。その腹に、透明で透き通ったガラスのようななにかが突き刺さっている。男の動きは止まっていた。そして数秒ののち、また数本がうしろから男のからだをゆらす。ドスドスドスッ、まとめて突き刺さる。そんな駄目押しの連撃に、とうとう男の影が倒れる。黙っていることしか出来なかった。倒れたその背後に立っていた、能面のような無表情の彼女をみたからだ。血にまみれた姿。なにかをあきらめたような、それでもうけいれたような、けれどなにもうかばぬましろい顔。彼女はゆっくりとこちらにあるいてきて、からっぽの顔でしばらくこちらをみていた。エメラルドのごとき目が、しかしうすぐらい光をたもちながらゆらゆらとゆれていた。海のようだ、とおもった。太陽の光を海の水面がちらちらと反射するような、破片だらけの照りだけがそこにはあった。しばしたって、彼女は黙りこくりことばをはっせないでいるこちらの肩にそっとふれた。とたん、全身を汚していた血液が彼女の指先にあつまり、おおきな球をつくりあげ、地面にぱしゃりとおちた。彼女の指先は液体をあやつることができる。それをはじめてきいたのは、いつだっただろう。彼女の唇がうすらと開かれて、「かえろう」と、おぼつかなく単語をつむいだ。その声はかすれていた。さかなのようだ、とおもった。息の仕方をしらぬさかな。喋り方さえまともにしらないような、たどたどしい口調だった。あとから考えれば、きっと彼女はまよっていたのだろう。おれに言葉をかけるべきか否か。そしてとまどっていたのだろう。自分から他者に声をかけるというその状況に。ナデシコ=ハクリシカはこれまでたったひとりで、肌を覆い隠す豪奢な衣装とおおげさな包帯のなかでちいさく呼吸をしていたのだから。 |