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一方その頃、島の人々は大騒ぎを起こしていた。「突然島に上陸してきた海賊がエマを連れ去ってしまった」という恐怖と偏見による勘違いが、事実と全く違う形で島中に広まっていく。
人々は慌てふためいていた。島の人々にとってエマはとても可愛く、大切な存在であった。あの少女は毎日全員と言葉を交わし、よく写真を撮らせてと頼まれるのだ。


――皆との思い出は忘れないようにしたいんです。


エマとウィルのことについて事情を知っている人々は、そのエマの言葉に涙した。
彼女にはただの嬉し泣きだと伝えていたが、本当はそうではなかった。彼等の涙は、エマとウィル……その二人が心に負う傷を想って流されたものだった。
当然、彼女はそんなことを知る由もないのだが。

そんな彼女が攫われてしまったと狼狽える島の人々は、彼女のことを心から心配し、なんとかしてあげなければと本心で思ってはいるのだが、如何せん彼等には驚くほど勇気がなかった。
現に、家の中に籠りながらもエマがルフィとナミとサンジと歩いていく様子をこっそりと見ていたというのに、恐怖ゆえ、誰も外に出られなかったのだ。
そんな彼らが海賊がいなくなったからと、今更外に出てきて大変だと騒いだところで、意味があるはずがない。この島で、彼等とは違ってその心に大きな勇気を持ち、唯一行動を起こせる人間は、ウィルだけなのだ。
彼がこの島でずっと前から村長という役割を任され続けているのは、そのためだ。いざという時に怖気づかずに立ち向かえる、唯一の人物。


その人物は今日、ほぼ一日、“ある場所”に籠っている。
勿論、彼の籠りは恐怖ゆえではない。“涙ゆえ”なのだ。


エマ以外の、島中の誰もが知っている。
一年に一度の今日、彼はあの場所で、誰にも自分の弱さを見られないようにと、ひとり泣いているのだ。9年前、大切な存在を失くしたその場所で。
本来エマにとっても大切な思い出の場所であるその場所の存在を、彼女は忘れていて知らない。
海と島をつなぐ大きな一本道から外れ、道なき道の草むらをしばらく歩いて行くとその場所は現れる。海寄りの位置に存在するその場所に近付かせない為に、ウィルはエマに海には・・・
近付くなと厳しく躾けてきたのだ。


それは、彼女を愛する彼の、彼なりの、彼女の守り方だった。


そうだというのに、今、その彼女が海賊によって海の方へと連れて行かれている。島の人々は、彼女の身に何かが起こるなんてことがあってはならない、と、心の中で何もできなかったことと、その場所に立ち入ってしまうことをウィルに何度も謝りながら、彼のいるその場所へと走った。





―――――






「もう9年になるんだと。……早いなァ」


幸せそうな3人の家族写真の前に腰掛け、ふぅ、と息をつきながら話すウィル。
写真の周りには、紫のカンパニュラが咲き乱れるように飾られている。9年前から使われていないこの家が、9年経った今もこうして綺麗に家として残っているのは、ウィルがきちんと掃除や手入れをしているからだ。流石に写真は少しずつ色褪せてきたが、それでもまだハッキリと映っている、3人の笑顔。

彼はかけていたサングラスを外し、切なそうに写真を見つめた。


「なァ二人とも見てるか? エマはもう16になったぞ。……って、去年15になったって言ったんだから、言われなくても分かるか」


はは、とウィルの乾いた笑いが零れる。返事のない、一方的な言葉。それでも彼は、ひたすらに話す。


「16にもなったってのに、エマの浮いた話を一つも聞かないんだ。本当にお前達の子供なのかと疑うよ。お前達はとんでもない大恋愛だったのにな」


返事はない。


「そろそろそういう相手がいてもおかしくない年頃だろう? 私は待ってるんだ。誰かが私に“エマを自分にください!”と言ってくるようなドラマチックな展開を。ま、私より意気地のない男には絶対にやらんけどな」


返事はない。


「ああ、でも……エマにそういう男が現れないのは、やっぱり私のせいかもなァ。……いや、お前達も共犯か。あの子がお前達の帰りをここで健気に待ち続けてるのは私のせいだが……こうなったのはあの子を置いて逝ったお前達のせいでもあるもんな?」


返事は、ない。


「ただなァ……最近、不安なんだ。私があの子にしていることは、本当に正しいのか……って。……ほら、あの子はこの島の出身でありながら、恐怖より好奇心が勝りがちなタイプだろう? 誰に似たんだか知らないが。……エマは、外に出てみたいんだ。たぶんな」


返事はないのに、ウィルの話は止まらない。誰にも言えない本音を一年に一度、こうしてここで全部吐き出す。彼は9年間、こうして生きている。


「今でこそ言わなくなったが、昔はよく“お父さんとお母さんを探しに海に出たい”とせがまれて大変だったのに、それが最近はそんなこと絶対に言わなくなってな……。……あの子、本当はもう分かってるんじゃないかと思うんだ。16にもなった。頭だって悪くない。その上、察しもいい。……記憶はないにせよ、お前達が今も海で生きているなんていう7歳のエマに対する私の咄嗟の嘘は、とっくに見破ってるんじゃないかとな」


困ったように笑った後、ウィルはゆっくりと俯き、小さく肩を震わせ始めた。
目頭を押さえてみても、溢れすぎた涙は止まることなく、ぽた、ぽた、と床を濡らした。

9年も経ったというのに、彼の悲しみはいつになっても消えることはなく。エマを自由にしてやりたいという思いもある一方で、彼女が記憶を取り戻すことを恐れて、9年間結局真実を告げられずにいる罪悪感も肥大していく。
何が間違いで、何が正しかったのか、今の彼にはもう分からない。ただ。


ただ、エマに生きていてほしい。
ただ、それだけが、真実だった。


「なァ……ッ、私は……一体、どうすれば良いんだ……ッ」


答えてくれよ、といくら叫んでも届かない。
彼の、彼だけのその苦しみは、3人の写真に向かってぶつけられては、一粒、二粒と、床に滲む。
咽び泣く彼の声が響く。

この時、事態を知らせに数人の島の人間が、ウィルのいる家のすぐ近くにおり、悲痛なウィルの叫びを聞いてしまった彼らの涙腺は一瞬にして緩んだが、なんとか涙を呑み、彼らは一度その家から離れ、遠くから大きな声を上げた。
まるで、何も聞かなかったかのように。ウィルの涙など知らない、とでも言うように。たった今、ここへ駆けつけて来たかのように。遠くから、ウィルを呼ぶ。


「大変だァ!! 村長さん!!」
「早く来てくれェー!!」


悲しみに打ちひしがれていたウィルは、遠くから聞こえるただならぬ様子の自分を呼ぶ声にハッとし、涙を見られまいと、この家の中を見られまいと、すぐに涙を拭いサングラスをかけ、毅然とした態度で家の外へと出た。
一年に一度のこの日だけは、島の人々も何かを察していたようで、9年間一度もこの家に近付くことはなかったというのに、今、こんなにも慌てた様子で自分の元へ駆けてきたのは何か大変なことが起こったに違いない、とウィルは冷静に考えた。


「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「そっ、それがっ……!! エマが……――」




人々から話を聞いたウィルは、珍しくひどく取り乱し、事情を説明した島の人間の胸ぐらを掴み、怒鳴り上げた。


「見ていただけか!! お前達は!! あの子が海賊に連れて行かれるのを!!!」
「ッ……す、すまない……」
「あの子の存在はその程度だったのか!? お前達にとって!!! あの子のことを……私と同じように愛してくれているのだと思っていたのに!!」
「……っ返す言葉は、ない……本当に、すまない……ッ!」


ウィルは苦虫を噛み潰したような顔をしている。自分が胸ぐらを掴み上げていることで、とても苦しそうなその男性を、ウィルはゆっくりと地に降ろした。
らしくもなく取り乱してしまったことについて一つ謝罪すると、ウィルは島の人々に危険だから帰るようにと言った。

それに従い、人々が帰っていくのを横目に、ウィルは船着き場へと急いだ。


その手には、いつからか常備するようになった、一丁の拳銃があった。




悲しみは円を描いて
(それは果てしなく続くもの)


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