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「ほっ、ほんとに入るんですかあ!?」
「そーんなビビんなくて大丈夫よ。超浅瀬だし。足だけバシャバシャってしてみなさいほら」


ナミさんの方に振り返って本当にやるのかと確認をすると、強制される言葉が返って来て、わたしは足元の海に目を戻してゴクリ、と唾を飲んだ。

今、どういう状況かというと、悪魔の実の能力者を食べた人間は海に入ると力が抜けてしまうのだそうで、だったら入って確かめればいいじゃないかという結論になったのだ。最初にゾロさんのしたわたしを海にそのまま落とせばいいという発言は、あまりに危険なものだったので、サンジさんやナミさんに却下してもらえてホッとした。のも束の間、誰が言い出したかもう緊張で忘れてしまったけれど、誰かの言った、それなら足だけ浸かって確かめてみればいい、という意見が支持されて、わたしは今、ロビンさんにカメラを預け船を降り、海の波が足に届かないぎりぎりのところに立っている。

わたしと一緒に船を降りたのは、ナミさんとサンジさん。他の皆さんは船の上から面白そうにこちらを見下ろしている。これは、何かの罰ゲームなのだろうか。


「エマ〜頑張れ〜〜!」
「絶対大丈夫だって! 何かあったら援護するしよ! サンジが」
「ちょっとだけだ! ちょっと入るだけでだいぶ力抜けっからよ!」
「能力者だったらね」
「こういうのはさっさと終わらせた方がいいだろ。早くしろ」
「み、皆さん他人事だと思って〜……!」


あまりの緊張に項垂れつつ、わたしはもう何度目かの薄っぺらい覚悟を決めた。
引いていく波にゆっくりと近付く。そして寄せてきた波に「うわ〜! きたあ〜!」と言いながら後ろへ逃げる。今現在、この繰り返しを何度かしている。

引いては寄せる波の動きに平行した動きをしてしまうせいで、結局海には入れていない。


「あんたねェ、それじゃ意味ないでしょ〜?」
「だ、だって!!」
「エマちゅわ〜ん! 良かったら、おれの腕貸そうかァ〜?!」
「っいいんですか!?」


サンジさんの助け舟が出た!今は恥ずかしいとかそんなことを言っている余裕すらなくて、わたしはすぐにその優しさに甘えたい意を告げた。すると、「喜んでェ〜〜!」と一瞬でわたしの傍まで来たサンジさんに、周りの皆さんが「サンジは女に甘めェなー」という風な話をする声が聞こえた。
サンジさんはそんな声を薙ぎ払って、わたしに向かって手を差し出した。


「お手をどうぞ。マドモアゼル」
「あっ、ありがとう、ございます……」


サンジさんの右手を左手で掴み、海に濡れないように右手で軽くスカートを持つ。


「い……行きます!」
「おう! 頑張れ!」

いくつかの応援をもらって、左手にぎゅっと力を込めながら、わたしはやっと、海に足を入れた。
……瞬間、あんなに力強く掴んでいた左手の握力が、強制的に失わせられたかのように一気に力が抜けて、足の力も抜けて。ガクッと膝から崩れ落ちそうになったところを、サンジさんがわたしの手を掴んで自分の方へと引き寄せてくれた。


「大丈夫かい? エマちゃん」
「は、はい……でもなんか、力が、うまく入らなく、て……」


周りでわたしとサンジさんの様子を見ていた皆さんが、驚いた声を上げ始めた。どうやら、わたしのこの反応は、能力者ならではの反応だそうだった。
わたしの記憶がない以上、悪魔の実を食べたという事実があるかないかの確信はないけれど、この検証によって食べた可能性が先程までに比べてグンと高くなったのだ。


「ま、まさか本当に“ジェムジェムの実”を……!?」


ナミさんの仰天する声を聞きながら、わたしはサンジさんの手を借りながら海から離れた。ふう、と一息ついて、サンジさんにお礼を言うと、サンジさんは優しく笑って「どういたしまして」と返してくれた。

とりあえずナミさんの元へ行こうと、裸足のまま砂浜を歩き始めた。



その時――


花火が打ちあがったような、破裂音のようなそれが、響き渡った。
それが銃声だと気が付いたのは、ナミさんの少し後ろで拳銃を構えている村長さんがこの目に映った時だった。


「な……っ」
「ナミさん!!」
「ナミ!!!」
「だ、大丈夫! 当たってない! けど……」
「動くな海賊共!!!! 一歩でも動けば、この女を撃つ!!」


そう言って怒鳴る村長さんは、一番近くにいるナミさんに銃口を向け続けている。ピリピリとした空気が流れる。
どうしてここに村長さんが。今日は一日どこかへ行っているはずだったのに。そんなことを思いながら、何よりもこの状況がまずい、と、そう思った。
皆さんが下手に動けば、村長さんは迷わず引き金を引いてしまう。なんとなく、それは分かった。だめ、絶対にだめ。村長さんに誰かを撃たせるのも、ナミさんが撃たれるのも……止めなきゃ。わたしが、止めなきゃ……!!
わたしは、ドクンドクンと激しく鳴り始めた鼓動を抱えながら、走りにくい砂浜の上を慌てて駆けた。


「待って村長さん! わたしはなんともありませんから……! この人達は悪い人達じゃないんですッ!!!」
「エマ!! 無事だったか、良かった……!」

そう言ってホッと息をつく村長さん。わたしが村長さんのすぐ傍まで行くと、空いた左腕でわたしをぎゅっと、強く抱き締める。その腕から、本当に心配をされていたのだという思いを感じ取った。それでも、村長さんの右手の拳銃は、未だ真っ直ぐにナミさんに向いていて、わたしはなんとかその手を降ろさせようと動いたけれど、村長さんの左腕は、わたしをぎゅっと掴んで離さない。


「っ、聞いてください、村長さん!! 話を聞いて……! お願いだから、撃たないでください……ッ!! その人達は何もっ――」
「――いいか、エマ。海賊に、悪い人じゃない・・・・・・・
なんて奴は存在しない。殺すべきなんだ。海賊は、海賊というだけで――罪なのだから」


収まることのない、むしろもっと深く、濃く広がっていく村長さんの殺気にゾッとする。こんな村長さんは見たことがない。感じたことのない恐怖もあったが、それよりも何よりも、今はナミさんが撃たれてしまう可能性があることが怖かった。村長さんに一度離してほしいと頼んでも、離してくれなくて、わたしは、ごめんなさい、と言った後に村長さんの腕を噛んだ。一瞬の痛みに緩んだ腕の力。わたしはその瞬間を見逃さずに、なんとか彼の腕から離れる。


「エマ、お前、何を……」
「ごめんなさい……でも、聞いてほしいんです! ……約束を破ってしまって、本当にごめんなさい。でも、わたしがここにいるのは、わたしの意思なんです」
「何だと……?」

村長さんの眉がピクリと動く。ルフィさん達は、仲間に拳銃が向けられているこの状況を、じっと耐えてくれている。


「もうずっとずっと、言えなくなっていたけど……わたし、やっぱり海に出たいんです。お父さんとお母さんに、会いたい……!」
「!!」
「泳ぎなら練習します! 船だって、何とかして用意します! ぜんぶ、ぜんぶ自分でやります、だから――」
「ここで待っていた方が確実だろう!? お前ひとり海に出たところで、何ができるって言うんだ!? お前は自分を知らなすぎる! ただの娘が、この広い海に出ても! 波にのまれて藻屑となって消えるだけだ!!」
「――それでもっ!!!」


村長さんの怒涛の罵声に、目頭が熱くなるのを何とか堪えて、わたしは精一杯、初めて、村長さんに反抗した。


「それでも……もう待っているだけなのは嫌なんです!!」


この9年間、勿論、楽しい思い出も嬉しい思い出も、たくさんできたけど。でも、心のどこかではずっと、すごく苦しかった。
あとどれくらい待てば、あとどのくらい良い子になれば、お父さんとお母さんは帰って来てくれるのかな。今日かな、明日かな。わたしの両親は一体、どんな顔をしているんだろう。声は、身長は、性格は。最初は色んな想像を膨らませてワクワクして、ドキドキして、帰って来た時になんて言うべきかを考えたりして。
そうやって、希望を持って生きていたけど。

いつからか、明日こそは、とすら思えなくなっていた。また今日も、どうせ明日も。そんな思いばかりが頭に浮かんでは消え、また浮かんだ。
ここにいても、両親には会えない。そう思って、その話を村長さんにしてみると、彼はあまりにも苦しそうな顔をするから。もう、相談もあまりできなくなって。
わたしの中にある唯一の希望は、両親に会える……ただそれだけなのに。待っていても会えない。ならばこちらから行こうとすると、拒絶される。

その繰り返しの中で、ルフィさん達に出会った。


「初めて……初めて、否定されなかったんです……海に出たいわたしを……行動したい、わたしを……受け入れてくれた……それが、この人達だったんです!!」
「エマ……」


――おれの仲間になるか?
――来てみたいんでしょ?
――ビビるなよ! 楽しいぞ海は!


彼らの言葉を思い出しながら、なんとか言葉を振り絞った。海賊嫌いな村長さんに、どうしたら伝わるだろう。海賊が、海賊だからと言って、全てが悪じゃないってこと。これだけじゃあ、まだ、伝わらないかな。

ドクドクと激しく脈を打つ心臓。村長さんの出方をしばらく待つと、彼はゆっくりと口を開いた。


「……そう、か」


ぽつり、と吐き出されたその言葉に、分かってくれたのかと喜びかけて、できなくなった。
彼の拳銃を持つ手の人差し指が、引き金にかかったのだ。


「えっ……どうして!? どうして、っ村長さん!!」
「唆されたんだな。エマ。この海賊共に。少しでも夢を見させられた」
「な、にを言って……」


わからない、わからない、彼は、何を言っているの。どうして、こんなにも、伝わらないの。


「やっぱり、海賊は海賊なんだ」


苦しそうに言いながら、村長さんはついにその引き金を引いた。
でもそれよりも早く、わたしの体は動いていて。


「エマ!!!」


乾いた銃声と、ナミさんの悲鳴のような声が聞こえた。
右の腹部が、すごく熱い。ただただ、熱い。
今、一体何が起こったのだろう。ゆっくりと周りを見ると、驚いた表情で固まってしまっている村長さんや、涙目でわたしの名前を呼びながら、わたしを支えようとするナミさんがいた。
ルフィさん達の、何かを叫ぶような大きな声も、どこからか聞こえてくる気がする。

ふと顔を下に向けると、右腹の服が赤くなっていて。足元の砂浜は、不思議なくらいキラキラと輝く赤を吸って、湿っている。ポタ、ポタ、と落ちる赤は、ルビーに変わる。

それを見て、わたしはやっと自分が撃たれたことを理解した。
あぁ、撃たれたのか。これは、わたしの血なのか。


――赤い。どこまでも、赤い。わたしは、わたしは、この赤を知っている。この赤を、覚えている。


わたしの頭の中で一瞬にして、まるで映画が上映されるかのように、大量の情報が流れ込んだ。嫌だ、嫌だ、苦しい、悲しい、やめて、やめて――



「置いて、いかないで……」



プツリ、と糸が切れたかのように、意識が途切れた。




創り上げた希望に絶望が勝る時
(その時、わたしは一体どうなってしまうのでしょうか)


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