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ぼんやりと浮かび上がってくる意識の中で、わたしが最初に考えたことは、あの夢のことだった。今まで何度か見てきたはずのあの夢。でもいつもいつも、目が覚めるとなんの夢を見たのか思い出せなくて。何か夢を見ていたような、と、そんな簡単な、意味のない感想しか持てなくて。
それなのに、ふとした瞬間に思い出す言葉があって。その言葉だけが、いつもわたしの中に残っていた。

あぁ、今ならわかるよ。今なら、覚えてるよ。もう、もう二度と、忘れないから。


「……あなたが、ママだ……」


両の腕で顔を覆って、掠れた声で、小さく小さく、そう呟いた。
あの女の人の顔にかかった黒い靄が、今になって消えていく。胸を包む、あまりにも大きな喪失感に今にも泣いてしまいそうだったけれど、耳に聞こえる微かな吐息を確認して、グッと涙を堪えた。ゆっくりと体を起こそうとすると、右のお腹が酷く痛んで、起きれなかった。今まで生きてきた16年の中で、一番の激痛だ。わたしはもう、そうハッキリと答えられる。もう、答えられるんだ。
わたしがもぞ、と体を動かしたことで、わたしの横たわるベッドに顔を伏せて眠っていたナミさんを起こしてしまったらしい。「ん……」と小さく声を漏らしながら、ナミさんはゆっくりと体を起こして、寝惚け眼でわたしの方を見た。


「お、おはようございます……」
「あ、うん、おはよ…………って、挨拶なんてしてる場合かァ!」
「ええっ……」

わたしが挨拶をすると、元々大きなナミさんの目がカッと見開かれた。
かと思いきや、すごく心配そうな顔をわたしに向けて、優しい声色で声をかけてくれた。


「気分はどう? まだかなり痛むでしょ」
「あ……正直、すごく痛いです……あと、気分は……あんまり……」
「……そう。ちょっと待ってなさい、今チョッパー呼んでくるから」


ナミさんはそう言って階段を上って部屋を出ていく。その姿を静かに見送って、まだクラクラとして働かない頭をなんとか動かそうとしていると、どこからか声が掛かって、思わず肩がビクリと揺れる。


「目が覚めたのね」
「わっ……あ、ロビンさん……」
「みんな心配してたわ」


ソファに腰掛けているロビンさんにそう言われて、申し訳ない気持ちになったのと同時に、今更ながらここはどこなのかと動かせる範囲で首を動かして周りを見渡していると、わたしの考えを見透かしたようにロビンさんが言う。


「ここは船の中の女部屋よ。撃たれたあなたをコックさんがベッドまで運んだの」
「あ……」


そうだ、わたし、撃たれたんだ。……あの人に。
あの人は今、どこにいるだろう。話したいことがたくさんあるけど……上手く、話せるかなぁ。
ぼんやりとそんなことを思っていると、なんだか上の方でドタバタと音がして、徐々に近づいてくるいくつかの足音。ナミさんがチョッパーさんを連れて来てくれたにしては、足音が多い気がする。


「エマ〜! 治ったんだってな!」
「バカ治ってねェよ! 目が覚めただけだ! ごめんなエマちゃん、騒がしくしちまって。意識が戻ってよかった」
「ルフィさん……サンジさん……」
「ごめんねエマ。呼んだのはチョッパーだけだったんだけど余計なのまでついて来ちゃった」


すごい勢いで降りてきたお二人と、お二人の後ろから追うようにしてチョッパーさんとナミさんが降りてきた。皆さんにお礼を言わなくちゃ、そう思って、なんとか体を起こそうとしたけれど、やっぱり激痛が伴って、またベッドに伏す。


「う、……ッ」
「無理しちゃダメだぞエマ。まだ痛いに決まってるんだ。しばらくはこのまま安静にしてなきゃ」
「チョッパーさん……あ、あの……治療してくれて、ありがとうございます」
「れ……礼なんて要らねェよ! おれは医者として当然のことをしたまでなんだからなコノヤロー!」


お礼を言うと、やっぱり喜びを隠しきれないチョッパーさんに、自然と口元が緩む。わたしはそのまま、皆さんにもお礼と謝罪を述べた。


「皆さん、助けていただいてありがとうございます。それと……ごめんなさい、あの、村長さんのこと……巻き込んでしまって、」
「いーよ別に。お前は悪くねェ。 おっさんのことは一発殴ったけど。それで気も済んだしよ!」
「あ……」

殴られたのか、と少しだけ心配になったけど、それは仕方のないことだから。
わたしはルフィさんの言葉にまた小さくお礼を言ってから、あの人が今どこにいるのかを聞いた。
どうやら話によると、ルフィさんに殴られて気絶してしまったらしいあの人もこの船に乗せてもらっていて、男子部屋で休んでいるのだとか。まだ目を覚ましていないらしくて、一応ウソップさんがついていてくれているのだと聞いた。本当に、何から何まで申し訳ないなあと思いつつ、恐る恐る口を開く。


「あの……ほんとに、図々しいお願いだと、承知の上なんですけど」
「ん?」
「村長さんが目を覚ましたら、二人でお話したいことがあるんです。だから……その、」
「わかった。起きたら連れて来る」
「! ……ありがとう、ございます……本当に」

わたしの願いを察してくれたルフィさんの言葉に、じんわりと胸に広がる熱いもの。込み上げるそれを、また必死に押さえつけた。

それから、チョッパーさんに傷の様子を診てもらうことになって、そのままここに居座り続けようとしたルフィさんとサンジさんをナミさんが強制的に上に連行していった。ロビンさんは何も言わずに、静かにその後を追って部屋から出て行った。


「じゃあちょっと診せてもらうぞ」
「はい。お願いします」

一言断りを入れて、チョッパーさんはわたしのお腹の傷を診はじめる。時々刺すような痛みを感じたけれど、なんとか唇を噛んで我慢した。一通りチョッパーさんがやることを終えたらしく、最後に包帯を新しいものに変えてくれる。小さな体で、器用にやるものだなぁなんて感心しながら、わたしはふと、船で皆さんに自分が記憶喪失であることを話した時のことを思い出した。

あの時、チョッパーさんの様子がおかしかった理由が今ならわかった。


「……チョッパーさん」
「ん? なんだ?」
「わたしが記憶喪失だってお話した時……慌ててはぐらかしてくれて、ありがとうございました。あれは……わたしの為の、優しさだったんですね」

包帯を巻くチョッパーさんの手が止まる。

「え…………エマ、もしかして――」
「――はい。思い出しました。何も、かも……」


天井を見つめながら、ぽつりぽつりとそう告げると、チョッパーさんは一度止まったその手をまた動かしながら、「……大丈夫か?」と、すごく心配そうに尋ねてきた。
本当は、大丈夫とは言い難かった。苦しい、とても苦しいけれど、チョッパーさんのその優しさがあまりに温かくて、それに触れている今だけは、頷くことができた。


「わたしの記憶喪失の原因が、階段から落ちたせいじゃないって、分かってたんですね」

すごいな、と零せば、チョッパーさんは頷いた。わたしの話に違和感しか感じなくて、あの人の嘘をすぐに見破って、その上で、あの人が何故咄嗟にそんな嘘をついたのかまでなんとなく察してしまったというチョッパーさんに、本当にすごいなぁという言葉しか出てこなかった。
察したにも関わらず、見破りかけたその嘘を、そのままにしておいてくれたその優しさに、わたしはもう一度感謝した。チョッパーさんは、少しだけ困ったように笑って、頷いた。


「……よし、できた。しばらくはこのまま安静にしてなきゃダメだぞ」
「はい、ありがとうございました」
「まだ何か食べさせてはやれないけど、飲み物くらいなら大丈夫だぞ。喉、乾いてないか?」
「あ……言われてみれば、少しだけ」

わたしがそう言うと、チョッパーさんは何か飲み物を持ってくるから待っていろ、と言って一度部屋を出て行った。


一気に訪れる静けさ。そして孤独感。無性に寂しさを感じて、どうしようもなく、泣きたくなった。
いざ一人になってみると、あまりにも苦しくて、逃げ出したくなる。
嫌だ、誰もいないのは。今は、今だけは、誰かと一緒にいたい。


ほんの少し前にチョッパーさんに安静にしていなきゃいけないって言われたばかりだというのに、わたしは痛む体に鞭打つように無理矢理体を起こした。なんとか、ベッドから降りようと動こうとしていたその時。

上から、誰かが降りて来た。


「エマちゃ〜ん! お待たせ〜〜チョッパーに聞いて……って、何してんだエマちゃん! まだ起き上がっちゃダメなんだろ!?」
「サ、サンジさん……」


わたしのために用意してくれたらしい飲み物を持って降りて来たのは、サンジさんだった。上機嫌で降りて来たかと思いきや、わたしが体を起こし、しかもベッドから降りようとしているのを見て、すぐさま持っていた飲み物を近くのデスクに置いてわたしの方へ駆け寄って来た。わたしの背に右手を回して、わたしに座る体制ができるようにと片手で支えてくれている。


「一体どうしたんだエマちゃん。どこか行きたかったのかい?」


心配そうにしながら優しくそう聞いてくれるサンジさんの声に、先程までのどうしようもない孤独感が温かく包まれて、心の底から安心した。気が緩んで、わたしの目から不本意に涙が零れた。ベッドに転がる、いくつかの宝石。

驚いたようにわたしを見つめるサンジさんを見て、しまった、またご迷惑をお掛けしてしまう、と、ごめんなさい、と、慌てて涙を止めようと必死にごしごしと目を擦ると、サンジさんの左手にそれを止められる。
その時のサンジさんの表情はすごく真剣で、それでいて優しかった。


「おれの胸は、今この瞬間の為にあったんだ」


だから、ここで好きなだけ泣いていい。
サンジさんはそう言って、大きくて温かいその胸に、わたしの頭をそっと、優しく引き寄せてくれた。




知らない方が幸せだった?
(もう得られないぬくもりがあると)


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