21



ウィルの涙が少しずつ零れなくなってきた頃、ついに麦わら帽子の彼が痺れを切らしたようで、大声を上げた。


「メシ!!!」


と。
ルフィのその言葉を聞いた一同は一瞬ぽかんとし、そしてすぐに大きなため息を吐く人間が多数いた。


「お前なァ……」
「だってずっと腹減ってたんだもんよ〜」
「にしても、もうちょっとくらい我慢できなかったわけ?」
「ま、ルフィにしては空気読んだ方だろ」
「あっ、ごめんなさい気を遣わせてしまって」


ウソップの呆れ声を始め、ナミ、ゾロと言葉は続き、エマはずっと腹を空かせていたルフィに我慢させてしまっていたことに慌てて謝る。
その会話をしている間にも、サンジは既に動き出しており、すぐに用意してあった朝食をテーブルの上に並べ始める。

「ほら、お望み通りの朝飯だ」

そう言って彼が食事を並べ終えると、ルフィはすぐにがっつき始める。それに続くように、それぞれで「いただきます」と言っては他の船員も食べ始めた。サンジが並べた食事は、その場にいる人数全員分あった。つまり、エマと、ウィルの分もあったのだ。これに対してウィルは心底驚いた表情をしながら、サンジの方を見て言った。

「……なぜ、私にも」
「なぜってお前……さっき腹鳴ってたろ。聞こえたぞ」
「だ、だからと言って……! 私は、海賊が嫌いで、お前達にも……こんな風にもてなして貰えるような人間ではないはずだ」
「おじいちゃん……」

エマはルフィ達のように食事に手を付けることはまだせず、サンジとウィルの会話の様子を見守っていた。

ウィルの中には、どうしても“海賊”を憎み、毛嫌う自分がいる。今まで、そんな自分と共に生きて来た。何かを恨んだり、誰かを憎んだりすることなど、できることならばせずに生きていきたかっただろうが、彼はあまりにも、“海賊”という存在に絶望を味わわせられすぎたのだ。
故に、ルフィ率いるこの麦わらの一味にエマが連れ去られたという誤報を受け、最初からあれだけ大きな憎悪と、引き金を引くのに一切迷いのない拳銃を向けた。

そんな自分の、この今の状況はなんだ、と彼は戸惑っていた。
殺す気で拳銃を向けたはずの女は、まるで憤る素振りすらなく。ましてや、まだ自分達のことを信用できないのか、などと言った。
殺す気で殴り続けたはずの男は、強さを持っていたにも関わらず殴られ続け、あんなに殺意を向けた自分の事をたった一発殴ってそれで気が済んだと言う。
そして自分の孫を心配して迎えに行ってくれた男には、連れ去ったなどと無礼な発言をぶつけた。それなのに、彼は今、自分にも温かな食事を用意してくれている。

彼の頭の中は、「なぜ」。この言葉でいっぱいだった。
あんなに非道なことをした自分に、なぜ。
こんなに失礼な態度ばかり取った自分に、なぜ。
もてなして貰う理由など何一つない自分に、なぜ。
お前達は、“海賊”、なのに……なぜ?

訝し気な顔でサンジを見つめるウィルに、サンジは面倒くさそうに顔を歪めて言った。


「ごちゃごちゃとくだらねェこと考えてねェでさっさと食え。せっかくのメシが冷めちまう」
「なっ……」
「食いてェ奴には食わせてやる。おれはコックだからな」

ウィルは、サンジのその言葉に目を見開く。ただ、それだけで、と。
彼らが未だ食べていないことに今更気付いたルフィが、少し離れた席から声を上げた。

「ん? なんだ、エマのじいちゃんまだ食ってなかったのか? 早く食えよ〜! うめーんだぞ!」

またしても、かけられた言葉は温かく。

「……っ」
「……はい、おじいちゃん」

胸に抱えた痛みに広がる優しさに、ウィルが戸惑っていると、エマがそっと、彼のその手にスプーンを握らせた。ウィルが驚いたようにエマを見ると、彼女は優しい、優しい笑顔を向け、頷いた。大丈夫だよ、という声が、彼の耳に聞こえた気がした。

握らされたスプーンをしっかりとその手で、自分の意志で持ち、彼はついに、用意されたスープを一口、飲んだ。
気付けば、一同の視線は全てウィルにあり、彼の口から出る言葉を聞き逃すまいと、一瞬の静けさが訪れる。その中に響いた、ウィルの小さな呟き。


「……美味い……」


あまりに温かく美味なそれに、思わず零れ出た言葉を、しかと聞いた一同は、嬉しそうに表情を綻ばせた。
中でも特に嬉しそうにニコニコとウィルを見つめるエマ。彼女もまだ食べていないことに気付いたチョッパーがエマに声をかけた。

「エマも食べていいんだぞ! あんまり一気にがっついたりはしちゃダメだけど! ちょっとずつならいいぞ!」
「あっ、はい!」

正直なところ、今まで手を付けていなかったのは医者であるチョッパーからの許可が下りていなかったからではなかったが、エマはチョッパーの優しさに何も言わず、ただ元気に返事だけを返した。
すると、ウィルが少し気まずそうに声を上げる。

「あ……いや、エマは……」

彼が言いたいことが、エマには分かった。
エマは呟かれたウィルのその言葉を気にせず、小さく合掌したのち同じようにスープを一口飲むと、心から溢れてしまったような笑顔を見せた。そして一言、本当に美味しい、と。そんな彼女の様子を心配そうに見つめるウィルにも、彼女は笑った。


「本当に美味しいんだよ、おじいちゃん。嘘じゃないの」
「ま……まさか、味覚が戻った・・・
のか……!?」
「うーん……戻った、のかはまだわからないけど……少なくとも、サンジさんの作る料理は、すごく美味しいの」


不思議だよね、と笑うエマに、ウィルは最初こそ驚きを隠せなかったものの、食事を続けてはその美味しさに幸せそうにする孫の姿を見て、心から喜びを感じ、口元を緩ませる。

そんな彼女たちの会話を聞いていたロビンが、一つ疑問を投げかけた。


「味覚がないのは生まれつきじゃなかったということかしら」


その問いに、エマは食事の手を止め、「あ!」と思い出したように声を上げ、続けた。


「そうなんです。わたし実は、小さい頃は母の作るクリームシチューが大好きだったんです」
「え、そうなの? じゃあ、どこかのタイミングで味覚がなくなったってことよね」

ナミの声に頷き、エマが言葉を続けようとするよりも先に、ウィルが口を開いた。

「……確か両親が亡くなったあの日の前日までは、味覚はあったようだったぞ」
「ってことは、両親を亡くしたショックで記憶と一緒に味覚も……!? ……って、そんなことあるもんなのかァ?」
「どうなんだチョッパー。その辺は」
「うーん……確かに過度なストレスとか、心因性が原因で味覚がなくなることはあるけど……」
「でもサンジ君の料理にエマの味覚が反応したのは記憶が戻る前だったわよね? それってどうなの?」

繰り広げられる考察に、当人であるエマはひとり置いてけぼりになっていた。なかなか結論の出ないその様子を見兼ねて、「あ、あのー……」と遠慮気味に彼女が声を上げると、その声はきちんと届いたようで、視線がエマに集まる。


「どうした? エマ」
「思い出して、分かったことが3つほどありまして」

そう言って、右手の人差し指だけを立て、その手で1という数字を示す。

「1つ目は、今お話してる“元々は味覚があったこと”」

続いて、中指も開かれる。

「そして2つ目は……“元々は泳ぐのも大好きだったこと”」
「あ、そういえば海で遊んでたって言ってたわね」


ナミの言葉に頷き、続けて「じゃあ3つ目は?」と聞かれたエマが、最後に薬指を開くと、ゆっくりと口を開いた。


「3つ目は……それが、ですね、わたし……」


――食べたかもしれません、悪魔の実





―――――






わたしはあの日、両親の、死を見た。
家の扉を開けた瞬間に鼻を突き抜けた鉄の匂いは痛くて、横たわる体は二度と動かなくて。でも、まだ、温かさを残していて。
他の何も見えなかった。ただ、ただ赤い場所で、両親が眠っている。なぜか、唐突に理解してしまった。両親は、パパとママは……亡くなって、いるのだと。

どうして、わたしはそれを見てしまったのか。
……そもそも、おじいちゃんに海辺で遊んでいるようにと言いつけられていたはずのわたしが、どうして家に帰ったのか。

それは、すごくシンプルな話で。……ただ、口直しがしたかったからだった。
なんだその理由は、と笑われてしまうかもしれない。それでも当時7歳のわたしには、それを一口かじった時のあの味が口の中から消えるまで、たとえほんのしばらくの間だったとしても、我慢することが出来なかった。
それがあまりにも、本当にあまりにも、不味かったから。

わたしがいつものように海辺で貝殻を拾い集めたりして遊んでいる時だった。海から、小さな箱のようなものがプカプカと流されてきたのは。今以上に好奇心の塊でしかなかったわたしは、なんだろう、と思ってすぐにそれを取りに行くと、浜辺でそれを開けた。

まあるくて、薄緑色をした、グルグル模様のある見たこともない果実。
とりあえずそれを手に取って、360度くるくると見まわしてみたりした。色が色だったので、わたしは果実というより野菜かな、なんて思っていたのを覚えている。
そして、今でこそ危ないなと思えるけれど、またしても当時の私は何の躊躇いもなくその果実にかぶりついたのだ。
一口飲みこんで、口の中に広がっているとんでもない不味さに驚いて、半泣きになりながら家に帰った。

……そこで、赤い景色を見た。

と、思い出したことのすべてを話せば、ルフィさん達はひどく驚いた表情を浮かべてわたしを見ていた。


「じゃあエマは、ほんとに悪魔の実の能力者だったのか!」
「模様の特徴といい、海に入った時のリアクションといい……能力者であることは確実と言ってよさそうね」
「しかもしかもしかもよっ! 幻の“ジェムジェムの実”の能力者なのよね!? あんたやっぱり仲間んなんなさいよエマっ!」
「おいナミ。私欲駄々洩れだぞ」
「しっかしなんだ。幻とまで呼ばれる実が、まさかエマちゃんのいる所にわざわざ流されて来るとは……良い意味でも悪い意味でも、引き運が強ェのかもなァ」


正直わたしは能力者と言われても、実感は全然湧かない。ただ今は皆さんの各々の反応を見ていた。
その中で、おじいちゃんの頭の周りにはてなマークが大量に浮かんでいるのが見える。わたしは、「あ、そっか」と小さな独り言を零して、おじいちゃんにわたしが教えてもらった悪魔の実という物の説明を簡単に話した。

おじいちゃんは本当に驚いていた。目が飛び出そうな勢いで。でもそれと同時に、確かに疑問に思っていた部分はいくつか消えたと言った。
ずっとわたしの記憶が戻らないようにと努めていたおじいちゃんだから、当然わたしがあの日“なぜ家に帰ったのか”などという、あの日に関する疑問はあったが聞けるはずもなかった。
そして、それまでは普通だったにも関わらず、あの日を境にわたしの涙や血が宝石へと変化する妙な体質になったことも、悪魔の実という物自体を知らなかったわたし達に原因を突き止められるはずもなく。

喜ばしい事なのかはわからないが、ただ、少しスッキリしたと、おじいちゃんは言った。


「……本当に、世界とは、不思議なものだな……」


そう呟いたおじいちゃんの、落ち着いた瞳の先には、賑やかに騒ぐ海賊達がいた。




許せなくたって構わないから
(優しい現実だって、認めてあげて欲しいの)


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