06



うららかな昼下がり、エマ達は再び外へと出た。エマのその首には、忘れることなくカメラが提げられている。

「ほんとにいいのかい? こんなに貰っちまって……」
「いいんです。これでもきっと足りないくらいでしょうけど……ごめんなさい、普段この家はわたしと村長さんの二人暮らしなので、これくらいしかなくって」
「いやァ、これだけあればしばらくは持たせられるよ。本当にありがとう。君は正真正銘、天使に違いない……!」

結局エマは今日の分の自分と村長・ウィルの食料を保管し、それ以外の食料をすべてサンジ達に譲ったのだ。大きな袋にいくつかに分けてある食料を、ルフィとサンジがそれぞれ持っている。


話の流れとしてはこうだ。

エマはルフィ達に食料を提供する代わりに、自分に海で生きる方法を教えてほしいと乞うた。それに対しルフィは「船と食いもんと、仲間がいればなんとかなる」と簡単に答えたが、ナミとサンジはそれを否定した。当然である。皆が皆ルフィのように力があるわけでも、生命力に長けているわけでも、強運を持っているわけでもないのだ。ましてや今海賊に対してこのような相談をしているのは、大人びてはいるが、まだ大人とは言えない若い女だ。
聞けばエマは、ウィルに「お前は泳げないのだから海には近付くな」と厳しく言われており、海に近付いたことすらないと言う。
ナミは正直話にならないと思ったが、誰が見ても、誰が聞いても100%無謀だと言われてしまうことは目に見えているのに、何故海に出たがるのか、と聞いた。
すると彼女はこう答えるのだ。


――両親に会いに行きたいんです。


9年前に海へと旅に出たという両親を、探しに行きたいというエマの想いを聞き、ナミとサンジは返す言葉に迷った。9年、だ。例えエマの両親が強く、この広い海で未だ生きていたとしても、娘を一人島に置いてそんなにも長い間帰ってこないことがあるだろうか。何か本当に大変な事情があって、帰れないのだとしても、音信不通で一切連絡も来ない。考えるのは酷だが、エマは両親に捨てられたか、両親が既に亡くなっている可能性の方が高い。
ナミとサンジが何も返せずにいると、あっけらかんとしたルフィが口を開き、ぽろっと言葉を零すかのように言ったのだ。


――そんじゃお前、おれの仲間になるか?


ルフィのその言葉は、エマの心を軽くした。
彼は否定しなかった。エマの想いを。
今まで彼女は、同じことを誰に聞いても「無理だ」「無謀だ」「死ぬだけだ」「やめておけ」と否定され続けた。島の人々のその否定の意味の中に、意地の悪いものは一つもなく、本当にそれぞれの言葉は彼女の身を案じてのものであることを、彼女自身強く実感していた。誰が悪いわけでもないが、それでも誰一人として肯定の言葉を述べてくれる人間がいないというのは、なんだかひどく寂しかったのだ。
この機会に、海に生きる彼等に。ほんの少しだけ期待を抱いて、勇気を出して聞いた質問の答えは、肯定ではなくとも、何よりも否定ではなかった。

それだけで、エマの心は救われた。

彼女の中に熱いものが込み上げる。顔を見せまいと俯くと、彼女が困ってしまっていると勘違いしたナミとサンジが慌ててルフィを諭した。ぐっと涙を堪えたことがバレないように、白い歯を見せたエマは、ルフィに返事をした。


――嬉しいです……っありがとうございます……!


そのまま、エマはルフィの誘いを丁重に断った。
自分が居ても足手纏いになるだけ、それにまだウィルとも話をつけていないから、今はまだ海には出られない。そう答えて、それでも誘いは嬉しかったと。ありがとうと。そう言って笑った。



……そして、今に至る。
エマは三人を見送ると言って、家からの道のりを一緒に歩いた。蒼天を仰ぎ、清風を全身に感じる。ナミは心地良さそうにのびのびと腕を上に伸ばす。


「ん〜気持ち良い〜!」
「天気いーなー」
「ほんとですね〜……あっそうだ! ルフィさん、ナミさん、サンジさん!」


エマに呼ばれた三人が何事かと彼女を見てみると、エマは期待に満ちた笑顔で言った。


「写真、撮ってもいいですか!?」
「写真?」
「はい! わたし、写真を撮るのが好きで、いつもカメラを持ち歩いてるんですけど……なんか今、すごくいいショットが撮れる気がするんです!!」


浮き浮きとするのを隠せないエマ。これで撮るなと言えば、彼女が落ち込むのは誰の目にも見えていて、三人は快く了承した。ルフィとサンジは持っていた食料の袋を一度地面に降ろす。


「しっしっし! いいぞ! ポーズ決めようポーズ!!」
「食料のお礼も兼ねて、今回はタダで撮らせてあげる! その代わり、可愛く撮りなさいよね!」
「エマちゃんが肌身離さないカメラにおれの写真が残る……?!!? なんっって最高なんだァ〜〜!!!」


ポーズを試行錯誤するルフィと、既に完璧にポーズを決めているナミと、くねくねと体を動かすサンジ。三人の行動はあまりにバラバラだったが、エマは構うことなくシャッターを切った。パシャリ、と音が鳴って、ナミ以外の二人は驚いて声を上げる。


「え!? もう撮ったのか今!! まだポーズ決めてる途中だったぞおれ!」
「お、おれも目ェ瞑ったかもしれねェ!!」
「女子かあんたらはァ!!」
「なんだよナミお前〜! 自分はちゃんとポーズ決めれたからって! ずりぃぞ!」
「当たり前でしょ! わたしを誰だと思ってんのよ!」


パシャリ。

再び鳴ったシャッター音。それには三人全員が驚いた。ただ一人、シャッターを切った張本人だけは、ニコニコと満足そうな笑顔を見せていた。


「最高のショットが撮れました!」


そう言いながらカメラに映る写真を三人に見せる。
そこに映っていたのは頬を膨らませてナミに文句を言っているルフィと、それに対して誇らしげに胸を張るナミと、最初の一枚で目を閉じたかもしれないという不安を引き摺っている様子のサンジだった。
お世辞にも、まとまりがあるとは言えない、見るからにバタバタしている写真だったが、エマはこれを最高と言う。


「こういう何気ない瞬間って、すごく素敵だと思いませんか? 一番大事な瞬間だと思うんです、わたし」


ふわりと微笑むエマがあまりにも嬉しそうだったので、三人は多少の不満を抱いていたはずだったが、そんなことはすっかり忘れてしまったようだ。つられるように、三人も笑う。その一枚は、『日常』。そんな言葉がよく似合う写真になった。



その後も、少しだけ長い一本道をしばらく進んだ。彼らの船が見えてくる。その辺りでエマは一人足を止めた。


「ん、どうしたエマ」
「えっとあの、わたしは、この辺りで……」

エマがここで別れようとしていることに気付いたルフィは、彼女の目の前に立った。

「船まで来ねェのか? あいつらにも会わせてェのに」
「この先は……行ってはみたいんですけど、村長さんに行っちゃダメだって言われてるから……」
「泳げねェから近付くなってだけだろ? だいじょーぶだおれも泳げねェ!」
「何が大丈夫なのよ」

そう胸を張るルフィの頭をぽかっと殴るナミ。とは言え、ナミも思ったことは同じだったようだ。

「まぁでも、この先に行っちゃいけない理由が泳げないからってだけなら、それはほんとに大丈夫よ? 要は海に入らなきゃいいんだから」
「それは、確かに……」
「無理にとは言わないけど、来てみたいんでしょ? 万が一海に落ちても、泳げる奴が助けに行くわ。ねえサンジ君?」
「勿論!! エマちゃんが海に落ちるなんてことがあったら、誰よりも先におれが救い上げてみせる!!」

ほらね、と呆れ笑うナミ。エマの心は揺れていた。
行ってみたい気持ちと、約束を破ることになる罪悪感との狭間で、揺れていた。こういう時、彼女の中で揺れ動く天秤は、いつだって好奇心が勝ちがちだった。今も、前向きな好奇心の方へ天秤は傾きかけていた。


「おまえいつかは海に出たいんだろ? ビビるなよ! 楽しいぞ海は!」


ザワ、と強いようで優しい風が背後から吹く。
ルフィの一言で、完全に背中を押されてしまったエマの天秤は、やっぱり前へ進みたいと告げていて。
エマは今日、ウィルとの約束を初めて破り、自分で引いた境界線を踏み越えた。




しずまないで、あとすこし
(死んだように生きたくはない)


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