07



来てしまった。ついに、ここまで。


「……海だ」


口から溢れた言葉は、きっと誰の耳にも届いていないと思う。もうすぐ、船に辿り着く。
こんなにも近くに海がある。潮の匂い。波の音。そのすべてがわたしには初めてのはずなのに、どうしてだろう。
どうしてこんなに、こんなにも……懐かしくて、苦しいのだろう。


「おーい! 戻ったぞー!」


ぐるぐるとわたしの心の中に渦巻きかけたモヤモヤを払うような、ルフィさんの大きな声が響く。するとすぐに船の上から顔を出してきた、鼻の長い男の人と……あれは……ぬいぐるみ……?でも、動いてる……。

「おー! 案外早かったな!」
「サンジ! おれ腹が減った……って、ん? あれっ、ひとり多くないか?」

喋った……!
動いて喋る、ぬいぐるみ……?
初めて見た不思議な生き物にわたしがぽかんとしてその場に立っていると、ナミさんの声に呼ばれてハッとした。


「何してんのよそんなとこで。こっちいらっしゃい」
「あっ、は、はいっ」


呼ばれるがまま、皆さんの後ろを着いて行き、わたしは初めて船に乗った。海に浮かぶ乗り物だ、本物の船だ、とひとり感動する。足場はずっと、ほんの少しだけゆらゆらと動いている。
船の上を見渡すと、少し離れたところで胡坐をかいて眠っている緑色の髪の男の人もいることに気付いた。結構騒がしくしてしまっているのに、なかなか起きない。すごいなぁ、なんて感心していると、食料を船内に運び終わったらしいルフィさんが戻って来た。サンジさんはお腹を空かせている船員の皆さんのためにそのまま中でご飯を作っているらしい。

代わりにルフィさんと一緒に船内から現れた、初めて見る女性。


「ロビン。中にいたのね」
「ええ。おかえりなさい。早かったのね」


ロビンさんというのか……サラサラの黒髪が風にそよいで、日に当たってキラキラと輝いて見える。すごく、大人の女性という言葉が似合う、とんでもない美人さんだった。わたしがぽーっと見惚れていると、ロビンさんは見知らぬ人間であるわたしを見て驚くこともなく、ただ優しく微笑んでくれた。あぁ、これは、クラッと来てしまうものがある……。
船の手摺につかまり、ドキドキを抑える。ふと前を見てみると、ナミさんとロビンさんが二人並んでこちらを見ている。ま、眩しい……!海賊の女の人は、こう……綺麗な人しかいないのかな……?
そんなわたしの様子を怪しげな目で見ている人がいることに気付いたのは、小声で話される声が聞こえた時だった。


「おいルフィ、あいつは誰だよ」


しっかりとわたしの耳に届いたそれは、当然のごとくわたしの存在に疑問を持っている鼻の長い男の人から発せられたものだった。彼のすぐ近くには、さっきの不思議な生き物も話を聞いている様子で立っている。ちらちらとわたしの方を見て、一瞬目が合ったかと思うとすぐに彼の後ろに隠れてしまった。
たった今わたしの話がされていると思うと、急に緊張してきてしまって、無意識に背筋がピンとした。


「あいつはいい奴だぞ! なんたって食いもんいっぱいくれたからな!」
「いや答えになってねェし!」
「あー、いいわウソップ。私が説明する」


ルフィさんの答えにならない答えにため息をついて、ナミさんが代わりに話し始める。
この島のこと、この島であったこと、それからわたしのこと。わたしが一度仲間に誘ってもらって、断ったことも全部。
彼女の口から淡々と、わかりやすく、簡潔に説明されると、なるほどな、と納得する様子を見せる鼻の長い男の人は、ウソップさんと言うらしい。
ナミさんからの話が終わると、一緒に話を聞いていた不思議な生き物がわたしの足元にちょこちょこと寄って来たので、わたしは目線を合わせるべくその場でしゃがみ込んだ。

いざ近くで見てみると、もふもふで、小さくて、すごく、すごく可愛い……!


「おれ、トニー・トニー・チョッパーっていうんだ。食料くれたのお前なんだろ?」
「えっ、あっ、はいっ」
「ありがとな! おれ腹減ってたから、助かったよ」
「ええっ、そんな……そんな……っ!」

チョッパーさんのあまりの可愛らしさに胸を掴まれて、両手で口を覆っておどおどとすると、チョッパーさんに「ど、どうしたんだ!? 具合でも悪いのか!?」と心配されて、また心臓が射抜かれる音が聞こえた気がした。

「いえっ、すみません、大丈夫です……! わたし、こんなに可愛い生き物見たの、初めてで……!」
「! っお、おれは男だぞ! そんな風に褒められても! う、嬉しくねェぞコノヤロー!」

その言葉とは裏腹に、チョッパーさんの表情はこれでもかというくらいニコニコしていて、心も体も素直なんだなぁと、見ているこちらも顔が緩む。


「はぁ、可愛いなぁ〜……ところで、チョッパーさんはぬいぐるみですか?」
「違ェよおれはトナカイだっ! 急に大胆に失礼だなお前っ!!」
「きゃー! ごめんなさい〜っ! ……ウッ、可愛いッ……」
「おいルフィあいつだいぶ変わってる気がすんぞ」

どうやらチョッパーさんはぬいぐるみではなかったらしく怒られてしまった。突然の怒鳴り声にびっくりしてしまったけど、チョッパーさんは怒っているのに、それはそれで可愛くて、とても愛くるしい。本心を隠せず思わず本音を零すと、ウソップさんに引かれてしまった。ウソップさんにそう言われたルフィさんは、ぶっひゃっひゃっと盛大に高笑いしていてて、何がそんなに面白かったんだろう、と疑問に思いつつ、しゃがみ疲れて立ち上がる。あと少ししゃがみ続けていたら足が痺れてたかも、と小さく伸びをすると、今度は背後から突然聞こえた低い声に、心臓が跳ね上がる。


「誰だお前」
「ひゃっ!?」


驚きすぎて、自分でもほとんど聞いたことがないような変な声を出してしまってすごく恥ずかしい。
けどそれよりも、振り返ってその声の主の表情を見た時の恐怖と比べれば、そんな羞恥は可愛いものだった。初対面の方なのにこんなことを言うのはとてつもなく失礼なことだと理解したうえで、それでも言わせていただきたい。
この人……顔がとても怖い……!!目で人を殺せそうな人って本当にいるんだ……!!

「あっ、あの、わ、わ、わた、わたし、エマと申しますっ……うるさくして起こしてしまってごめんなさい殺さないでください……!」
「あァ? 何言ってやがる」
「もーゾロ、あんたその顔どうにかなんないの? そんなに怖がらせちゃって」
「知るかよ。もともとこういう顔だ。っつーか誰なんだよこの女は」

呆れ気味のナミさんに、ゾロ、と呼ばれた怖い人は、鋭い目つきでギロリとわたしを一瞥して、周りの皆さんにわたしの存在の説明を求めた。でも皆さんは「その話はさっきしたから」と、説明する気がもう一切ないご様子。ゾロさんの眉が、不服そうにどんどん顰められていく。
これ以上怖い顔をされるのは本当にご勘弁を、という気持ちと、わたしのことなのだからわたしがきちんと説明しなければ、という気持ちを糧に、わたしはゾロさんに向かって勇気を出して声を上げた。


「あ、あああのっ、わたし! 怪しい者ではありません! わたしは、ただの……えっと……」
「……ただの?」
「たっ、ただの……」
「…………」
「…………」

勢いで適当に声を上げてしまったせいで、自分の首を絞める結果になって、わたしは今、とても後悔している。
ついさっき、無駄な勇気を振り絞った自分が憎い。


「ごめんなさい、怪しい者ですわたし……」
「おいおい……」
「諦めちゃったよ!!」


心折れて弁明を諦めたわたしに呆れるゾロさんと、仰天して声を上げるウソップさん。ルフィさんはやっぱり、ぶっひゃっひゃっと高笑いしていた。わたしはものすごく真剣だったのに……ルフィさん、流石に笑いすぎでは。
わたしが若干落ち込み気味に、楽しそうなルフィさんを横目で見ていると、船内で料理をしていたサンジさんが両手に大皿を持って現れた。


「おいテーブル出してくれ。メシが出来た」


瞬間、それはそれはいい匂いが漂う。なんと言葉に表せばいいのか、なんというか……高級そうな匂いがした。わたしの中でできる精一杯の表現がこれで、自分のボキャブラリーの少なさをこんなところで実感する。

そんなことよりも、ご飯が出来たと分かった瞬間の、皆さんのなんとも嬉しそうな顔。素敵。素敵。すごく、素敵だ。
わたしは無意識に、パシャリ、とまた一枚撮っていた。

歓喜の声が飛び交い、ルフィさんとウソップさんがすぐさま料理が置けるように折り畳み式のテーブルを用意した。テーブルの上に次々と並べられていく豪華な料理の数々。見た目も良く、絶妙に食欲をそそられる良い匂い。これが、本物のコックさん……すごいなぁ。

わたしが感心しているうちに、相当お腹を空かせていたらしい皆さんは、既にガツガツと料理に食いついていた。立ったまま食べている人もいれば、適当に座って食べている人もいる。
サンジさんの料理を褒め称える言葉がすごく聞こえた。
美味しい、美味しい。ただ、そのシンプルで真っ直ぐな感想が何度も聞こえる。


わたしは少し、苦しくなった。


「おいエマ! そんなとこにいねェでこっち来て食え!」
「え……」
「そうだぜエマ! お前がくれた食料でサンジが作った飯だ! なァほら食ってみろよ! うめェぞ〜!」

ルフィさんとウソップさんに呼ばれてサンジさんの隣に案内されたはいいものの、わたしは正直、すごく戸惑った。
この流れは、まずい。そう思ってはいたけれど、今このタイミングで帰ると言うのも如何なものか、大変失礼にあたるのではと、考えているうちにも後には引けなくなって。

美味しそうなのは、すごく伝わる。きっととんでもなく美味しいんだ。そんなに美味しいものを食べたら、ほっぺたが落ちちゃうかも。
そんなに、美味しいものを食べられたなら・・・・・・・・・・・・・・



「君さえ良ければ食べてみてくれないかな、エマちゃん」
「サンジさん……」
「食料のお礼、ちゃんとしたかったんだ。大丈夫。絶対、うめェから」


違う、違う。疑ってなんかいない。疑ってなんか、いないの。……ごめんなさい。これから、嘘をつくわたしを、どうか許してください。

そんな風に心の中で何度も謝ってから、皆さんの注目を一斉に浴びる中で、わたしは手の震えを必死に抑え、「いただきます」と、サンジさんに差し出された料理を口に運んだ。




3、2、1で笑ってみせる
(それが一番平和だって、知っているから)


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