「どうだ? うんめェだろサンジのメシは!」
満面の笑みでエマからの答えに胸を弾ませるルフィ。彼女も自分と同じように、笑顔で喜ぶのだと信じて疑わない。
しかし、肝心のエマからの応答はなかった。これにはルフィだけでなく、周りの船員全員が疑問を抱いた。エマの瞳はほんの少しだけ、普段より開かれているように見え、何かに驚きを感じているような表情にも見て取れたが、あまりにも何の反応も示さない彼女の態度に不安を感じたサンジが、遠慮気味に彼女に声をかける。
「あー、エマちゃん? ……もしかして、口に合わなかった?」
「んなにィ!??」
「えー!? こんなにうめェのに!?」
「サンジのメシがまずいわけねェ! あ、わかった! なんか嫌いなものが入ってたんじゃねェか!?」
サンジの申し訳なさそうな発言に、ウソップ、チョッパー、ルフィが驚きを隠せずそれぞれに声を荒げる。ありえない、ありえない、と戸惑いの声が飛び回った。
「ちょ、ちょっと待ってみんな! なんか、エマの様子が――」
エマの異変に気付いたナミの慌てた声を遮るようにして、カラン、と金属の落ちる音が響く。
エマがフォークを落とした音だった。
つい先程までの賑やかな雰囲気とは打って変わり、突如訪れた沈黙。その原因を作った彼女のその手は、震えていた。まるで時間を止められていたかのように動かなかった彼女が、やっとゆっくりと動いたかと思いきや、そのまま俯いてしまった。その様子に、やはり周りは戸惑いを隠せない。明らかに、先程までと様子が違いすぎる。心配したナミが、周りに静かにするように言い放ち、エマの顔を覗き込むようにして優しく声をかけた。
「どうしたのよエマ。言わなきゃ分からな――」
ナミの言葉が、また止まる。今度は何かに遮られたのではない。止まってしまったのだ。ナミは、息を呑んだ。
カラン、カラン、とフォークとは違う、また別の、もっと小さな何かが床に落ちるような、小さくて高い音が何度か連続して鳴り続ける。その音が鳴るたびに、エマの足元の床は濡れる代わりにキラキラと輝きを見せた。
ナミは驚きつつその場にしゃがむと、ゆっくりとその小さな輝きを拾い上げて、また立ち上がる。手のひらの上で輝くそれを、エマに見せるようにして尋ねる。
「あんた、これ……涙、なの……?」
ナミが見せつけたそれは、どこからどう見ても、“宝石”だったのだ。
しかしそれは、確かに今目の前にいる客人の瞳から零れ出たものだ。しっかりとその事実を目視したナミは、これが現実だと頭では理解しながら、未だ信じられない思いが胸を駆け巡った。
そんな中、エマがやっと口を開き、涙声で話し始める。
「……っご、ごめんなさい、わた、し、わたし……っ」
「…………ゆっくりでいいわ。その代わり、私達に一から分かるように説明して」
―――――
まるで見世物と観客のような距離感の中、わたしは観客側の皆さんの前に正座しながら、やってしまった、という思いでいっぱいだった。
わたしの予定は、こんなはずじゃなかった。こんな風に皆さんにご迷惑をおかけするはずじゃなった。サンジさんがくださった料理に、心の中と頭の中で準備していた、キラッキラの笑顔と、たった一言「美味しいです」の一言を言う。ただそれだけのことをして、そうしたらもう挨拶をして帰るはずだった。きっとこの先会う確率なんて限りなく低いのだから、たった一度の嘘で平和に、何事もなくお別れをできるのなら、それも必要な嘘だと分かっていたから。……それなのに。
「落ち着いた?」
「はい……」
「じゃ、どうぞ」
「ど、どうぞ……!!? え、えーっと、その……」
ナミさんのぞんざいな振りに戸惑いつつ、何から話せばいいのかと狼狽えていると、ルフィさんの大きな声が上がって、体がビクリと反応した。
「おい! エマ!」
「はっ、はいっ!」
「サンジのメシは、うまかっただろ?」
「!」
ルフィさんがずっと、一番気になっていたことは、きっとそれだったんだ。サンジさんが小さくルフィさんの名前を呟いたのが聞こえた。
大切な仲間の作った料理を食べて、喜ぶと思いきや泣き出して。せっかくわたしへのお礼にと出してくれたサンジさんに、コックとしてのプライドもあるであろうサンジさんに。訳があったとはいえすごく失礼な態度をとってしまった。ルフィさんは、そんなわたしに怒っているのだろうなと思った。わたしは改めて姿勢を整えて、サンジさんに深く頭を下げた。おでこが床に擦り付けられるくらい、深く、深く。突然のわたしの行動に、サンジさんは慌てていた。
「なっ、何してんだエマちゃん!」
「せっかくのご厚意に、失礼な態度をとってしまって本当にごめんなさい。サンジさん」
「あ、あァいや! 大丈夫! 大丈夫だから、顔上げてくれ! 綺麗な顔が――」
「――美味しかったです。すごく。本当に、本当に、美味しかった」
優しいサンジさんの言葉を無視しても、わたしは伝えたい。どうかこのまま、心からの感謝を彼に。どうか、どうか伝われ。
「本当に、ありがとうございました。サンジさんのご飯は、幸せな味がしました。これが、嘘偽りのない本心です」
心から感謝の気持ちを込めてそう言ってから、わたしはゆっくりと顔を上げた。サンジさんは、未だに目を丸くしている。代わりにルフィさんが、にっと笑って「だろォ〜〜?」と嬉しそうにしている。他の皆さんも、ほっと安心したように表情を緩ませたように見える。ゾロさんでさえも、さっきよりは優しい目をしている……ような、気がした。
わたしは動かないサンジさんを見つめて、わたしのあの失礼な態度の訳を話す。
「わたし……味覚が、ないんです」
「!?」
わたしの言葉に、皆さんの目が大きく見開かれたのが、ここからだとすごくよく見えた。
「み、味覚がないってお前、まじかよ……?」
「正確に言うと、ほぼ
、ないです」
「どういうこと?」
「何を食べても、味が薄いんです。見るからに体に悪そうなくらい、かなりの量の調味料を一度に使っても、どうしても味気がない。何を食べても、味なんて、あってないようなものでした」
わたしがそう話している間、皆さんの表情はすごく真剣で。時には悲しそうな顔さえしてくれて。こんなわたしの為に、優しいなぁ、本当に。
そんな風なことを頭の奥で思いながら、わたしは続ける。
「だから料理をするのも、最初はすごく大変でした。何度村長さんに味の濃すぎる料理を出してしまったことか」
と、肩を竦めて言うと、ルフィさんがまた大きな声を上げた。
「でもお前の作ってくれたメシすっげェうまかったぞ! ほんとに!!!」
「ふふ、ありがとうございます。ルフィさんにそう言ってもらえたのも、本当に嬉しかったんです。内心ドキドキでしたから」
そう言って笑えば、サンジさんが突然立ち上がって、わたしの前にしゃがみこんだ。極力わたしと同じ目線になるように、姿勢を低くしてくれている。それでもやっぱりサンジさんの方が幾分か高いところにいるのだけれど。どうしたのだろう、とサンジさんの次の行動を待っていると、大きな手が、わたしの頭に触れた。温かい、優しい体温を感じる。ぽんぽん、と優しく二回ほど置かれたその手が、ひどく心地よかった。
「その状態で料理なんて、簡単なことじゃねェ。大変だったろ……すげェ頑張ったんだな、エマちゃん」
「あ……」
“えらい、えらい。”
言葉にはされなかったけれど、すごく伝わってきた。せっかく落ち着いたのに、また目頭が熱くなって、わたしは必死に服の袖を目に押し当てて、涙を消す。そして笑って、もう一度サンジさんに感謝を述べた。
「そんなわたしだったから、サンジさんのご飯は本当に衝撃だったんです。だって、知らなかった。ご飯があんなに美味しいなんて」
「エマちゃん……」
「嘘でも“美味しい”って、それだけ伝えて帰ろうと思ってたのに。心から美味しいと思っちゃって。そう思えたことが嬉しくて……それで、勝手に涙が……」
「……そっか」
「どうしてサンジさんのご飯だけあんなにハッキリ味が分かったのか、理由は全然分からないけど、ただ今は……出会えてよかった」
本心だった。全部、全部、まだまだ言い足りないくらい。それくらいの衝撃と、感動を、今日。わたしは与えられている。
「皆さんには申し訳ないけど、ルフィさんが船の食料を食べきってくれて……本当に良かった」
「エマ……」
「だから、ありがとうございます。ほんとに、ほんとに……! ありがとうございます! 皆さん!」
わたしがそう言い放つと、自分達は何もしてないと言いつつも笑顔の皆さんが見えて、また心が熱くなった。
ホクホクとした気持ちでいると、次はナミさんの声がして、全員の視線がナミさんへと集まる。その指には、太陽の光が反射してキラリ、と光る小さな小さな輝きがあった。
「あんたが泣いた理由はよーく分かったわ。次は、この“宝石
”について説明してくれる?」
そう言うナミさんが、どこかイキイキしているように見えたのは、気のせい……かな?
ようこそ、しあわせさん
(きっとぜんぶ、この日のための切なさだった)
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