第31話「蟲柱、胡蝶しのぶ」

プスっ

「いっ!」


善逸の腕に注射器の針が刺さる。
鈍い痛みに、善逸の顔がほんの少し苦痛に歪んだ。
注射器の中にある解毒薬の液体がゆっくりと彼の身体の中に注入されていき、小羽はその様子を固唾を呑んで見守っていた。


「はい、これで大丈夫ですよ。」

「ありがとうございます、しのぶさん。」


注射器を片付けながら笑顔でそう言ったしのぶに、小羽はほっと胸を撫で下ろしてお礼を言った。
那田蜘蛛山をうろついていたしのぶを見つけた後、すぐに善逸の元へと彼女を連れて来たが、その頃には善逸の手足はだいぶ縮んでおり、それを見た小羽がひどく動揺して泣きそうになったのは言うまでもない。
しのぶによって的確な処置を施され、これ以上毒による蜘蛛化の進行の心配はないとわかり、小羽はやっと安心することができたのであった。


「小羽、ちゃん……俺……」

「今はゆっくり眠ってください。身体は休息を求めていますから。」

「でも……」

「善逸くん。起きたらちゃんと話すから、今はおやすみなさい。」

「……う…ん……」


小羽の言葉に、善逸は安心したように頷くと、体はもう限界だったのだろう。ゆっくりと瞼を閉じて、善逸は深い眠りに入ってしまった。


「……おやすみ善逸くん。」


毒の進行も収まり、穏やかな呼吸で眠る善逸を優しい眼差しで見つめながら、小羽はそっと彼に言葉をかけたのであった。
そんな小羽と善逸を微笑ましげに見つめていたしのぶは、静かに立ち上がる。


「――さて、人面蜘蛛にされた他の方たちの治療もしなければなりませんね。小羽、手伝ってくれますか?」

「はい、勿論です。」


しのぶの言葉に小羽は力強く頷く。
彼女の指示のもと、善逸を包帯でぐるぐる巻きにしたり、糸で宙吊りにされていた人達を救出したりしているうちに、事後処理部隊「隠」がやって来て、後始末や治療を手伝ってくれた。
隠と共にやって来た人物の中に、よく知った人物を見つけて、小羽は声をかけた。


「カナヲも来てたんだね。」

「………」


返事はない。けれど微かに首を縦に頷いたカナヲに、小羽はにっこりと笑顔を浮かべた。

栗花落カナヲ。小羽と同期でありながら、既に蟲柱であるしのぶの継子に選ばれたすごい子である。
彼女は殆ど感情を露わさない。
それは表情でも、言葉でも。あまり自分というものを持とうとしないのだ。

鎹一族という関係で、柱とは少なからず昔から関わりがあった小羽たち兄妹は、幼い頃からしのぶとも交流があった。
しのぶや、今は亡き彼女の姉、カナエにはとても良くしてもらっていた。
だから、二人がある日突然連れてきたカナヲとも幼い頃からの知った仲であった。
彼女の境遇故に、カナヲが人と交流するのが苦手であることも理解している小羽は、カナヲの無口な態度にも気にせずに接することができる。
そんな返事を返さないカナヲに代わって、しのぶが説明してくれた。


「今回は十二鬼月がいる可能性があったので、カナヲも同行させたんですよ。」

「やっぱり、その可能性が高いですか?」

「ええ、かなり。」


しのぶは一通りの治療を終えると、テキパキと隠に指示をしていった。
そしてカナヲにも色々と指示をした後、小羽を見た。


「――さて、それでは私は、鬼の生き残りがいないか、もう少しこの山を調査してきます。冨岡さんとも合流したいですしね。カナヲ、あとは頼みましたよ?」

「はい、師範。」


しのぶの言葉に初めて声を発するカナヲ。
相変わらず、しのぶさん以外の人とは喋らないんだなと少し苦笑すると、小羽はぺこりと深く頭を下げた。


「分かりました。……本当にありがとう、しのぶさん。」

「いいのですよ。当然のことをしただけなのですから。」


しのぶはにっこりと綺麗に微笑むと、目で追えぬ速さで去って行った。

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