第63話「獪岳」

善逸には獪岳という名の兄弟子がいる。
正直言って、二人の仲はあまり良くはない。……というか、仲は最悪な程に悪かった。
それでも善逸は獪岳を尊敬していた。表立って素直になれずにいるだけで、心の中で「兄貴」と慕うくらいには尊敬しているのだ。
だからあの日、善逸は悔しさのあまり問題を起こしてしまったのである。
それは善逸がまだ鬼殺隊に入隊して間もない頃。
善逸が自分より階級が上の隊士を殴ってしまったのだ。
つまり、善逸は隊士同士で争ってはならないという隊律違反を犯したことになる。
理由は善逸の兄弟子である獪岳が侮辱されたから。偶然他の隊士たちが兄弟子の陰口を叩いているのを聞いてしまった善逸が、キレて殴りかかってしまったのだ。
当時その場に雀の姿で居合わせていた小羽がお館様に報告したことで、特に大事にはならなかった。
けれど全くのお咎めなしという訳にもいかないので、少しの間給料を減給されたりと軽い罰は与えられていた。
どんなに仲が悪く、気の合わない兄弟子でも、善逸にとって獪岳が尊敬する兄弟子であることには変わりなかった。
だからそんな兄弟子が何も知らない奴に馬鹿になるのが許せなかったのだろう。
それだけ獪岳という存在は、善逸にとって大きな存在だったのだ。


「チュンチュン!」

「……ちっ、また来たのかお前。」


その日、小羽は善逸に頼まれて獪岳へ手紙を届けに来ていた。
雀の鳴き声がすると、獪岳はうんざりとした顔で木の上に止まる小羽を見上げた。
小羽が獪岳に手紙を届けるのは、これで何度目になるだろう。
善逸は獪岳を嫌ってはいるが、彼なりになんとか兄弟子と歩み寄ろうと考えて、こまめに手紙を出していた。
けれど、その手紙は一度も読まれたことがない。
いつも獪岳が手紙を読まずに破り捨ててしまうからだ。だから当然、返事など一度も書かれたことは無い。
毎回毎回そんな感じのことを繰り返しているのにも関わらず、善逸は手紙を定期的に寄越してくる。
それは今回も同じで、善逸だけが連れている雀の声を聞いて、また嫌いな弟弟子からの手紙が来たことに、うんざりとした顔で獪岳は眉をひそめた。


「チュンチュン!チュン!(ねぇ、今度こそ受け取ってよ!)」

「チュンチュンチュンチュンうるせえ!あいつにいい加減手紙寄越すのはやめろって伝えろ!……ああ、そういやこいつ話せねぇんだったな。……ちっ、役に立たねえ雀だな。」

「チュンチュン!(失礼ね!ちゃんと話せるわよ!)」

「……ちっ、うるせえし、しつけえんだよ!!」

バシッ!!

「ヂュンっっ!!」


小羽が獪岳の周りをうろうろと飛び交っていると、苛立っていたのか、鬱陶しかったのか、獪岳は飛び回るハエを叩き落とすかのように、自分に群がっていた小羽を手で払う様にして叩いた。
軽く払うでもなく、結構な勢いと威力で叩かれた小羽は、そのままふらりと地面に落ちていく。
ぐったりと地面に落ちたまま、ピクリとも動かない小羽を一瞥すると、苛立たしげに舌打ちしてその場を去ろうとした。
しかし……


「チュン!チュンチュン!(待って!ちゃんと手紙を受け取って!)」

「……ちっ!ほんと主人に似て鬱陶しいな!」


かばりと突然起き上がった小羽は、すぐに羽ばたくと、めげずに獪岳の傍に飛んでいく。
それを獪岳は目を細めて、睨みつける。
かなり苛立っているのか、殺気すら感じるほどに。


「チュンチュン!(お願いだから!ちゃんと読んで!)」

「くっそ!!しつこいんだよ!!」


小羽が獪岳の顔の周りを飛び回ると、突然キレた獪岳が小羽を片手で掴んだのだ。
手加減なしにギュッと握り込まれ、小羽は苦しげに「チュン!」と小さく鳴いた。
それでも獪岳は小羽を放そうとはせず、小羽の足に結ばれていた文を小羽の足ごとむしり取るかのような勢いで奪い取ると、広げることもなくビリリと紙が破ける音がした。
獪岳がまた文を破いたのだ。乱暴に破かれた紙が無惨にも地面に落ちていく。
ハラハラと舞うように落ちていく紙屑が、まるで桜の花びらのように綺麗だなんて、そんなことは到底思えず、ただただ、悲しかった。
善逸がどんな想いでこの手紙を書いたのか、いつもいつも、どんな気持ちで手紙を出しているのか、小羽は知らない。分からない。
けれど、絶対に読まれないと分かっていても頻繁に出される手紙が、ただの手紙な訳がない。
いつも小羽に申し訳なそうに託していくあの手紙が、また読まれず破かれた。
それが、小羽は悲しくて哀しくて、たまらなく悔しかった。
手紙を破かれたショックですっかり大人しくなった小羽を、獪岳はゴミでも捨てるかのように地面に放り投げると、そのまま静かに去って行ってしまった。
小羽はその間、どうすることもできずに、一歩も動くことが出来ずに、ただ、そこに倒れている事しかできなかった。
ただただ、泣いていた。
心が痛かった。善逸の気持ちを届けられない自分が情けなくて、悔しくて。
また善逸に手紙を届けられなかったと報告しなければならないのかと思うと、涙が止まらなかった。
そんな小羽の心を表すかのように、空は雨が降りそうな曇り空になっていた。

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