第6話「孫、出会う」

日が暮れて夜になるのを待って、彩乃は学校に向かった。(もちろん塔子さんには内緒だ。)
真っ暗な夜空を本来の姿に戻ったニャンコ先生の背中に乗って駆け抜ける。

「まったく、何故私がこんなことを!」
「文句言わないで先生!饅頭食べたでしょ?」
「ぐぬぅ。」

今だにぶつくさ文句を言うニャンコ先生を黙らせ、彩乃たちは旧校舎の校庭に降り立つ。

「ここにあの妖の本体が居る筈なんだけど……」
「さっさと名を返して帰るぞ!」
「はいはい。」
「待て、彩乃」
「ん?」

彩乃はさっそくあの桜の妖を探そうと歩き出すと、不意にニャンコ先生に呼び止められた。
振り返ると、ニャンコ先生はいつもの依り代の姿には戻っておらず、何故か口に墨で「目」と書かれた布を咥えていた。

「この面をつけろ、彩乃。」
「えっ!?やだよ!」
「いいからつけろ、馬鹿者!他の妖に『友人帳』の夏目だとバレたら面倒だろう。顔を隠しておけ、墨に私の血を混ぜておいたから、人間だとはバレないはずだ!」
「あ〜、そっか。わかったよ……」

ニャンコ先生の言葉に納得した彩乃は素直に面をつけると、今度は何故か羽織を渡された。

「着ておけ、その妖気を纏った羽織は人間の匂いを消してくれる」
「はいはい(随分と用意がいいなぁ……)」

先生の用意周到ぶりに彩乃は半ば呆れていて気づいていないが、ニャンコ先生は彩乃の身に少しでも危険が迫らないのように、人間が妖に成り済ます為の道具を用意していたのだった。
全ては用心の為、彩乃を案じた先生のわかりずらい優しさだった。

「それにしても……予想以上にいるね。」
「気をつけろよ、彩乃。ここら一帯の妖は殆どが奴良組の者だ。」
「奴良組?それって、例のぬらりひょんとか言う妖と関係あるの?」

彩乃の問いかけに先生は軽く頷くと、嫌な事でも思い出したのか、目を細めて不機嫌な顔つきになった。

「そうだ。奴良組は奴が数百年前に作った組織だ。……あやつは、昔この私に下につけと言って勝負を挑んできた無礼者だ!」
「……仲悪いんだね」
「当然だ!この高貴な私を傘下に加えようなど、身の程知らずな!」
「……はいはい」

段々愚痴り始めた先生を適当に相手しながら彩乃は桜の妖を探す。
桜の木が本体だと言っていたから、おそらく校庭に居ると思うのだが……

「……あれ?」
「どうした?彩乃。」
「……今、校舎の中に光が見えた気がして……」

そう呟いて校舎の方を見ると、時々ちらちらと二階の方で光が動いていた。

「まっ、まさか妖……!?」
「阿呆。おそらく人の子が愚かにも度胸試ししているのだろう。」
「……ああ、肝試しかな?それじゃあ、あの光は懐中電灯の光だね。……って、それならうっかり鉢合わせしないように急がないと!」
「見られたら確実に変人扱いだな。」
「誰がこんな格好にしたの?」
「……夏目様?」

先生とそんな会話をしていると、不意に自分を呼ぶ女性の声が聞こえた。
ハッとしてそちらに視線を向けると、そこには一本だけひっそりと花を咲かせた桜の木があった。

「……桜?」
「……あなたは夏目様でございますか?」

桜の木を見上げて、その美しさに見とれていると、いつの間にか桜の木の下に面をつけた女性の姿の妖が立っていた。

「……あなたは、昼間の妖?」
「はい。……夏目様は何故その様な姿を?」
「ああ、これは他の妖から正体を隠すため……それよりも、あなた大きくなってない?」

女性の妖は昼間見た時は小人のような手のひらサイズの小さな女の子の姿をしていた。

「あれはわたくしの分身です。本来の姿はこの姿なのです。」
「そっか、……じゃあ、約束通り名を返すね。」
「はい。ずっとまたお会い出来るのをお待ちしておりました。夏目レイコ様。」
「あっ!」

レイコと呼ばれ、桜の妖が自分を祖母と勘違いしていたのを思い出した彩乃は慌てて訂正する。

「違うの、私はレイコさんじゃない。夏目レイコは私の祖母なの!」
「レイコ様ではない?……では、レイコ様はいずこへ?」
「レイコは既に他界している。」
「……そう……ですか。」

彩乃の代わりにニャンコ先生が答えると、桜の妖は落ち込んだ様に顔を伏せた。
面で表情はわからないが、レイコさんの死を悲しんでいるように見えた。

「……名を、返します。長い間、レイコさんに名を貸してくれてありがとう。」

彩乃は友人帳を開くと、パラパラと頁をめくっていく。
そして、ある頁でそれは不自然に止まる。
彩乃は慣れた様子でその一枚の紙を破くと、そっと口に咥えた。
妖に名を返すには友人帳を作成した本人である夏目レイコの唾液と息が必要であり、レイコが亡き今はその唯一の血族である彩乃だけがそれをすることが出来る。

「……『桜花』名を返そう。受け取って……」

彩乃が息を吐き出すと、咥えていた紙から文字が浮き出てくる。
それは桜の妖の体に吸い込まれるようにして溶け込んでいく。
それと同時に、彩乃の中に桜花の記憶が流れ込んできた。

*****

*****

『気持ち悪いんだよ!どっかいけ!』
『物の怪女!』

まだこの旧校舎が使われていた頃、この学校の生徒としてレイコは通っていた。
その美しい容姿から人目を引き、その日々の奇妙な行動と飄々とした性格から、人に馴染めず、彼女はいつも独りだった。

『綺麗な桜ね。あなたが咲かせているの?』

この校庭でたった一本だけ植えられた桜の木。
それはいつしか命を宿し、妖となった。
仲間もおらず、いつも孤独だったわたくしにレイコ様は話しかけてくれた。
わたくしの花を綺麗だと言ってくれた。
嬉しかった。

『ねぇ、あなた、私と勝負しない?』

ある日突然レイコ様に勝負を挑まれた。
当然負けてしまったけれど、わたくしは名を預けることでレイコ様と絆が出来た様で嬉しかった。
いつか名を返しにまたこの場所に来てくれる。
春が終わり、夏がやってきて、秋が訪れ、冬になる。そしてまた春がやってきて、そうして長い年月を待ち続けた。

レイコ様、もう寂しくはありませんか?
レイコ様、あなたは幸せになれましたか?

*****

*****

彩乃の中に流れてきた桜花の記憶と想いはレイコを気遣う優しいものだった。

「……気が付いたか。」
「……ニャンコ先生?」

気づくと、自分はニャンコ先生に体を預けて眠っていた。

「毎度毎度、名を返す度に倒れおって……軟弱な。」
「……はは、ごめん。」

妖に名を返すと、とても疲れてしまう。
彩乃は呆れるニャンコ先生に苦笑を浮かべながら、気だるい体を無理やり起こした。

「また友人帳が薄くなった。」
「……それでも、待っていてくれるんでしょう?」
「約束だからな。」
「……うん」

ニャンコ先生と初めて会ったあの日に私たちは約束したのだ。
用心棒として妖に名を返すのを協力する代わりに、もしも私が途中で命を落としたら、友人帳を先生に譲るという約束を……
それからはずっと側で守ってくれている。
ニャンコ先生が私をどう思っているかはわからないけど、私にとってはもう、大切な家族だ……

「帰ろっか、ニャンコ先生。」
「やれやれ、やっとか!」

名を返すと言う目的を果たして、帰ろうとすると、不意に話し声が近づいてきて、彩乃は動きを止めてしまった。

「リクオ様、こっちです!こちらから強い妖気が……」
「待ってよ雪女!」
「……っ!」
「……あっ!」

その瞬間、彩乃とその少年、リクオは出会った。
お互いに見つめあったまま固まる二人。

(みっ、見られたーー!?)

人に見られてしまった彩乃はひとり顔を青ざめるのだった。

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