第168話「カナから見た夏目」

「――ほ、本当に行くの!?」
「――ああ。何か問題あるか?」
「だって、妖怪町でしょ!?"妖怪"!!そんな妖が沢山いる所に人間の家長さんを連れて行くなんて……」
「……カナちゃんが望んだことだぜ?な?」
「え?あ……はい。」
「家長さん……本当にいいの?」
「あの……」

ニヤリと悪どい笑みを浮かべてカナに同意を求めるリクオと、気になる男に肩に腕を回されて頬を赤らめるカナ。
彩乃は先程から人間のカナを妖怪の町に連れて行こうとするリクオを止めようと必死に訴えるが、彼は全く聞こうとせず、原因のカナ本人にいいのかともう一度確かめれば、躊躇いがちにだが、彼女はしっかりと頷いたのだった。
本人がこうも頑なに決意してしまっていては、彩乃にはもう2人を止めることはできそうになかった。
彩乃はそれを悟り、諦めたように深くため息をついた。

「……わかった。家長さんがどうしても行くなら条件がある。まず私も一緒に行くし、それと……若様に用意して欲しいものがある。」
「……用意?」
「そう。」

これが最低条件だとばかりに彩乃はリクオを少し責めるように見つめるものだから、リクオはやれやれと肩を竦めてその条件を飲んだのだった。

******

浮世絵町一番街のとある路地裏の片隅に、妖怪だけが入ることのできる妖怪町がある。
その町の名は化け猫横丁。その町の入り口には長いこと受け付けを務めてきた蛇の妖怪の老婆がいる。

「いらっしゃい」
「よお」
「おりょおりょ。じじいのとこの孫じゃないかぇ。最近はよく来るねぇ。」
「なあ、筆と墨。あとは小皿も貸してくんねぇか?」
「ん?」

リクオから妙な頼み事を言われ、老婆は怪訝そうな表情を浮かべたのだった。

「――ほら、持ってきたぜ。」
「うん、ありがとう。」
「……こんなの何に使うんだ?」

リクオから筆と墨と小皿を受け取ると、彩乃は地面に小皿を置いて、そこに墨をたっぷりと垂らした。

「――だって、これから妖の町に入るんでしょ?だったら呪い(まじない)をしておかないと……」
「呪い?」
「うん。妖に人間だってバレないようにする為の術。……それでね、あの、その……とても言いづらいんだけど……」
「なんだ?」
「その……若様の血を……少し分けてほしいの……」
「俺の血?」
「……うん。その……呪い(まじない)には妖の血を混ぜた墨が必要で……」

彩乃がとても言いにくそうにリクオから目を逸らしながら言うと、彼は何を思ったのか不意に自分のひとさし指を口に近付けると、なんの躊躇いもなく思いっきり指に歯を立てて噛み切ったのだ。
突然のリクオの行動にぎょっと目を見開いて驚く彩乃とカナ。
そんな2人を気にすることなくリクオは小皿に自らの血を滴らした。

「なっ!?ちょっ!リク……っ、若様何やってんの!?」
「何って、血が必要なんだろ?」
「そ、そうだけど……豪快すぎない?あーあー、もう!手当てするから!」
「おう、わりぃな。」
「……はあ。」
「…………(仲、いいんだなぁ。」

彩乃が鞄から携帯用の救急箱を取り出してリクオの手当てをする様子を、カナは居心地悪そうにぼんやりと眺めていた。
清継くんがずっと憧れていて、いつも会いたいと願っている妖怪の主。
もう何度も自分を妖怪から救ってくれた彼のことが気になって、少しでも彼のことを知りたくて思わずついて来てしまったが、なんだか自分がここにいるのは間違いなんじゃないかと思えてきた。
――夏目先輩はゆらちゃんと同じで妖怪を退治する人で、確か祓い屋って言ってたな。
そんな人と妖怪の主のあの人がどうして知り合いなのかはわからないが、随分と仲がいいように見える。
カナはチクリと胸が痛んだ気がして、無意識に胸元の服をぎゅっと掴んだ。

「――ねぇ、家長さんはそれでいいかな?」
「――え?」

ぼんやりとしていたカナは、自分が彩乃に話し掛けられていることに気付かなかった。
彩乃の声にハッとして俯いていた顔を上げると、心配そうに自分を見つめる彩乃がいた。

「……家長さん、ぼんやりしてたけど大丈夫?」
「……え?あっ……す、すみません!なんの話でしたか?」
「えっと……これから妖の町に入るから、妖に私たちが人間だってバレないようにする呪い(まじない)をかけたいんだけど、家長さんの腕に直接書いてもいいかな?って……訊いたんだけど……」
「……え?えっと……」
「一応面もあるんだけど、今はこれ一つしかなくて……私はちょっと事情があって妖に顔が知られてる可能性があるから、できれば面は私が使わせてもらえると助かるんだけど……いいかな?」

そう言いながら彩乃がカナに紙でできた薄い面を見せてきた。
カナは面と彩乃を交互に見ながら、漸く脳が彼女の言葉を理解して、慌てて頷いた。

「あっ、はい!大丈夫です。」
「……良かった。ごめんね。持ってきてた面が一つしかなくて……」
「い、いえ。」
「じゃあ、腕出して。」
「は、はい。」

カナが慌てて腕を出すと、彩乃はそっとカナの手を取った。
ひんやりとした手の感触に一瞬びくりと腕が震えたが、カナはじっとした。
そして彩乃はリクオの血を混ぜた墨をつけた筆を、カナの腕に滑らせてスラスラと何やら書き始めた。

「……っ(うう……くすぐったい)」

カナは筆が滑る度に、くすぐったいあまり腕を引っ込めそうになったが、なんとか我慢した。
そしてくすぐったさを誤魔化そうと視線を筆から逸らすと、自然と視線は文字を書く彩乃に向いた。

「……」
(……あっ、まつ毛長い。……初対面の時から思ってたけど、やっぱり綺麗な人だな……)

長いまつ毛に整った顔立ち。可愛らしいと言うよりも美しいと言う言葉が似合いそうな顔立ち。
どこか薄幸そうな雰囲気は庇護欲を掻き立て、儚げな笑顔は元々の色素の薄い容姿も手伝って、少しでも触れたら雪のように簡単に目の前から消えてしまいそうなイメージを持たせた。

(……なんだか人間じゃないみたい……)

カナは失礼だとは思ったが、どうしても思わずにはいられなかった。
同じ女性でも見惚れてしまうくらい綺麗なのだ。
こうも浮世離れした美しい人だと、なんだか現実の人間ではない気がしてくる。
カナがそんなことを思っているなんて微塵も感じてない彩乃は、真剣な眼差しで筆を動かしながらやっと書き終えたのか手を止めて完成したものを見て微笑んだ。

「……できた。」
「……これは?絵?」
「妖の文字だよ。これで多少は人間の気配を誤魔化せるんだって。」

彩乃が書いたのは、何やら見たことのない形をしていて、文字の様にもただの絵の様にも見えた。
それをまじまじと不思議そうにカナが見ていると、横からリクオがひょっこりと物珍しそうに覗き込んできた。
触れそうな程近い距離にやって来たリクオに、カナの心臓が高鳴ったのは致し方なく……

「……っ!(ち……近い!!)」
「……へえ、これで妖怪を誤魔化せんのか?」
「まあ、多少はね。人間の気配を判りにくくするだけで、匂いを消せる訳じゃないし、妖気も出せないから鋭い妖にはバレちゃうけど……」
「気休めってことか……」
「まあね。もっと色々準備できれば誤魔化せる確率も上がるだろうけど……」
「へえ……てことは他にも何かあんのか?」
「うん。臭い消しの香を焚いたり、妖気を封じた物を身に付けたりすれば中級くらいの妖には気付かれないと思う。」
「随分と術に詳しいんだな。」
「ふふ、知り合いにそういう術に詳しい妖がいるからね。」

ヒノエや柊、それに最近知り合った紅峰やネズミも術には妙に詳しくて、妖にいい意味でも悪い意味でもよく目をつけられる彩乃を心配してか、頼んでもいないのに色々な術を教えてくれた。
こういう時に役に立つので、彩乃は今は教えてくれた彼等にとても感謝したのだった。

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