第196話「犬神の拒絶」

――俺には家族と笑い合った穏やかで幸せな思い出がない。
忘れているだけかもしれないが、楽しかったと思える記憶が全くない。
親父は元々キレやすい性格で、気にくわないことがあればすぐに手を上げるような、そんなクソ野郎で……
そんな親父にいつも母さんは泣いていて、俺の中の家族に関する記憶は、そんな殺伐としたものでしかなかった。

『――お前なんて、誰もいらないんだよ!!』

ガキの頃からずっと親父に言われ続けてきた言葉は、妖怪になった今でもずっと俺の中でシコリみたいに残っている。
そんなこと言われなくたってわかってる。
俺は誰にも必要とされない、嫌われ者だ。
だけど、あいつは……玉章だけはそんな俺に手を差し伸べてくれた。
俺に居場所をくれたんだ。
それが決して穏やかな場所とはかけ離れていても、玉章の進む道が修羅だろうが、俺はあいつの為に何でもやると決めた。
それが……どんなにきたねぇことでも……
――そう……決意してたんだ。
なのに……

『犬神……お前にもう価値はない。用済みだ。』
『目障りだ。さっさと僕の前から消えろ。』

玉章……何でだよ……

*****

「――何故こいつがここにいるんだ!!」
「やめて先生!!犬神は怪我してるんだから!!」
「さっさと殺してしまえ!!」
「先生やめてよ!そりゃあ、先生は犬神に酷い目に合わされたから怒る気持ちもわかるけど……」
「うるさいぞ!!」
「――鴆、お願い手当てしてあげて。犬神は敵だったけど、でも……」
「ああ、わかってる。俺は奴良組のもんだが、それ以前に医者だ。怪我してる奴がいれば助けるさ。」
「……ありがとう、鴆。」

――声が……聞こえる……
誰だ?……玉章?
違う。女の声……
俺は……

………………

………

「……」
「――あっ、起きた?」
「……お前……」
「?」
ガバッ!!
「――っ!?」
「わっ!」

目を開けた犬神はまだ意識がぼんやりとしているのか、ユラユラと頼りなさげに瞳を揺らし、彩乃が心配そうに顔を覗き込めば、突然意識がはっきりしたように目を大きく見開き、勢いよく起き上がった。

「――ここ何処だ!!何で俺縛られて……っ、俺をどうする気だ!!」
「お……落ち着いて犬神!ここは奴良組だよ!」
「奴良組!?何で……!!」
「あなた倒れたんだよ。……覚えてないの?」
「――はっ!?……何言って…………あ?」
「……思い出した?」
「……」

犬神は最初は寝起きで頭が混乱していた為か、体を拘束されたまま布団に寝かされている今の状況にパニックになり騒いでいたが、彩乃の言葉で倒れる前のことを思い出したのか、先程まで騒いで暴れていたのが嘘のように大人しくなった。
敵意剥き出しで彩乃を睨み付けていた瞳から光が消え、憔悴したように項垂れる犬神を見て、彩乃は犬神が自分の状況を思い出したのだと悟った。
あまりの落ち込みように、思わず「大丈夫?」なんて声をかけそうになった彩乃だったが、そんなの見ただけで大丈夫ではないとわかる。
今の犬神にそんな気休めの言葉をかけるのはあまりにも失礼な気がした。

「……犬神が急に倒れた後、奴良組に運んだの。それで……勝手に治療もさせてもらった。」
「…………俺が倒れてから……どれくらい経ってる?」
「少なくとも……10時間以上は経ってるかな。今は夜中の1時で、もう日付も変わってる。」
「――そんなに!?」
「ええ。……だけど、思ったよりも早く目が覚めてくれて良かった。体の調子はどう?どこか辛くない?痛み止めはいる?」
「……いらねぇ。」
「水は?喉、渇いてない?」
「いらねぇ」
「じゃあ、お腹空いてない?あっ、その前に拘束解かないとね!ごめんね。苦しいでしょ!?」
「いらねぇつってんだろ!!触んな!!」
「っ!?」

犬神の拘束を解こうと彼に手を伸ばした彩乃を拒絶するように大声を上げた犬神に、彩乃はびくりも肩を跳ね上げ、思わず手を引っ込めた。

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