第197話「触れさせてくれない彼」

「……っ!」
「あ……ごっ……ごめん……ね」

明らかな拒絶と敵意を込めた眼差しを向けられ、彩乃はすごすごと伸ばした手を引っ込め、犬神に謝った。
わかっていたとはいえ、こうもあからさまに拒絶されてしまうと、戸惑う気持ちよりもショックの方が大きく、彩乃の謝罪の言葉は最後の方は聞き取るのが難しい程、か細く弱々しいものになってしまった。

「「……」」 
「――ふん。そいつ(彩乃)に命を助けてもらっておいて、随分な言いぐさだな犬っころ。」
「あ?」
「にゃ……ニャンコ先生、起きてたの!?」
「お前等がうるさくて眠れんわ!!」
「ご、ごめん。」

ニャンコ先生に怒られて謝ると、先生はふんっと鼻を鳴らし、犬神を見据えた。

「……そんな奴、見捨ててしまえばよかったのさ。」
「あんだと!?」
「やめてよ先生!!犬神はまだ混乱してるんだから……」
「知るか!!敵なんぞ甘やかすな!!そもそも、そんな犬っころなんぞ助けた所で、今夜の出入りで奴良組が勝とうが四国が勝とうがどっちにしろそいつは始末されるんだぞ!!」
「!?」
「ちょっと先生!!いくらなんでも酷すぎるよ!!リクオくんならきっと犬神を……「戦ってるのか!?」……え?」
「玉章は戦ってんのかよ!?」
「――え……う、うん。四国妖怪たちが来襲してきたから、今奴良組のみんなが応戦して……」
「――くそっ!!今すぐこの縄解け!!」
「い、犬神落ち着いて!」
「うるせぇ!!俺は玉章の所に行くんだ!!」
「――行ってどうする?」
「あ?」

玉章と奴良組が交戦していると知るや否や、犬神は縄を解けと騒ぎ出した。
彩乃は必死に犬神を宥めようとするが、彼は自力で縄を解こうと暴れ出すので迂闊に近づけもしない。
そんな犬神にニャンコ先生が向けた言葉に、犬神はとても不機嫌そうに敵意を露にした目で先生を睨み付けた。

「――行ってどうするというんだ?今度こそお前、殺されるぞ。」
「っ!」
「ちょっ、先生!!」

ニャンコ先生のデリカシーの欠片もない言葉に彩乃はやめてくれと焦るが、先生は知ったことかと淡々と言葉を続ける。

「大して力もない中級程度の……それも手負いのお前なんかが今更加わったところで、四国が有利になる訳ないだろう。大体、貴様はあの狸の小僧に見限られた上に消されかけたのを忘れたのか?」
「……っ!」
「折角彩乃が助けてやった命を無駄にする気なら、今すぐ私が貴様を食ってやる。」
「――ひっ!!」

ぶわりと殺気を膨らませ、無表情で淡々とした静かな声でそう言ったニャンコ先生。
静かな瞳の中に明らかな怒りと殺意のこもった目と目が合い、犬神は本能で恐怖した。
恐怖で呼吸が出来なくなる。

「――ハッ……っ!!」
(――怖い。こいつが、恐ろしい……)
「――先生やめて!!」

思わず怯えた表情を浮かべた犬神を庇うように、彩乃は大声で先生を制した。

「「……」」 
「……ふんっ!!」

暫しの間睨み合っていた彩乃と先生だったが、犬神に向けているとはいえ、殺意のこもった目を怯むことなくまっすぐに見つめ、決して逸らすことのない彩乃に、ニャンコ先生の方が折れるしかなかった。
暫しの睨み合いの末、先生は舌打ちするとそっと目を逸らしたのだった。

「……強情な奴め。」
「――犬神、大丈夫!?」
「……っ……ハッ……ぉまえ……っんで……」
「……っ、大丈夫だよ。落ち着いて……ゆっくり呼吸して……そう。ゆっくり……大丈夫だから……私は犬神を傷つけないよ。」

彩乃は過呼吸を起こして苦しそうに息をする犬神の背中を優しく擦りながら、彼の心を落ち着かせる為にあくまでも冷静に、静かな声で彼に話しかけた。
そうしてやっているうちに犬神も落ち着いてきたようで、苦しそうに息をしながら彩乃を見上げた。

「……んで……」
「……ん?」
「……っ、なん、で……お前は……俺に優しくする?……同情か?それとも気を許させて情報でも聞き出したいのか?」
「……違う。」
「じゃあ……何なんだよ……敵に憐れみをかけられるなんてごめんぜよ。」
「だから、違うってば……私は犬神を心配して……」
「――はっ、心配?だったら……この拘束解いてくれよ。出来るんならな。」
「……」

犬神の言葉に一瞬顔色を変えた彩乃に、犬神はやっぱりなと思った。
黙り込んでしまった彩乃を見て、犬神は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
さっきは俺の拘束を解いてやるとか言っていたくせに、いざ解けと頼めば黙り込む。
当然だ。だって、こいつは俺のことなんてこれっぽっちも信頼してないんだから……
一度は自分を殺そうとした奴の拘束を解くなんて馬鹿のすることだ。
――やっぱり、俺に優しくするフリをして、俺から奴良組に有利な情報を聞き出したかっただけなんだな。
それならこいつが俺の命を助けたのも、手当てをしたことも、何かと優しくしてくるのにも納得できる。
「心配してる」なんて心にも無い言葉を吐いて、俺を騙そうなんて、綺麗な顔に似合わずとんだ嘘つきだ。

「……はあ……」
「……っ!おい!!」
「……じっとしててよ。動かれたら解けない。」
「――はっ!?」

彩乃は呆れたような深いため息をつくと、せっせと縄を解き始めた。
それに動揺したのは犬神だ。

「お、おい!!やめろ!!近づくな!!」
「……もう、解けって言ったり近づくなって言ったり……どっちなの?」
「うるせえ!!縄は解け!!でも近づくな!!」
「……そんなの無理だし……」
「うっせえ!!うっせえ!!」
「……彩乃、やっぱこいつ食っていいか?」
「ダメだってば先生!!あ〜も〜……おすわりっっ!!」
「……っ!!」
びくうっ!!

支離滅裂なことを言って騒ぐ犬神にも、わざわざ煽るようなことばかり言うニャンコ先生にもいい加減腹が立ってきた彩乃は、等々キレて犬神を怒鳴りつけた。
「おすわり」だなんて、いくら彼が犬の妖怪だからと言って、失礼極まりない命令をされたのに、犬神は彩乃の迫力に気圧され思わずびくりと肩を跳ね上げて正座した。

「いい加減にしない!!ニャンコ先生は犬神を挑発するようなこと言わない!!犬神も!!
私を信用できなくて試すのは別にいいけど、少しは落ち着いて!!今は色々ありすぎて混乱してるだろうけど、じっとしててよ!!傷開いちゃうじゃない!!」
「…………」
「返事は!!?」
「っ!!は……はいっ!!」
「よしっ!」
「…………(こっ……こええ……)」

大人しい子がキレると怖いとよく言うが、彩乃の迫力はそれ以上ではないだろうか?
犬神は玉章とは違う「逆らってはいけない」という気迫に圧倒され、黙り込んだ。
顔を青ざめてブルブルと体を震わせる犬神を見て、ニャンコ先生が少しだけ同情するような眼差しを向けていたが、犬神はそれ処ではなく、最後まで気づくことはなかった。

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