第237話「家族と過ごした家」

「……ラムネ水?」
「ラムネってあの炭酸の?」
「そうなんだ。北本たちがラムネ水の湧く場所を知ってるって言うんだけど、どう思う夏目。」
「ふふん。都会っ子どもめ信じないのか?」
「彩乃ちゃんや田沼くんは他所から来たから知らないでしょうけど、地元では知ってる人は結構いるのよ?」
「すごいね。天然のラムネ水かぁ……」
(お酒の湧く場所なら妖から聞いて二ヶ所くらい知ってるけど……)
「興味があるなら明日にでも行ってみるか?」

北本からの誘いに彩乃も田沼も目を輝かせて食いついた。

「本当!?行きたい!」
「俺も!」
「よし決まりだな。今日行ってもいいけど、西村置いていくと煩いからな。」
「ふふ、西村くん今日塾で彩乃ちゃん家に来れなくてすごく残念がってたものね。」
「あの西村が夏期講習ねぇ〜」
「似合わないな」
「あはは」

彩乃たちが楽しく笑い声を上げながら会話をしていると、襖を叩く音とともに塔子さんの遠慮がちな声が響いた。

「彩乃ちゃん。」
「塔子さん。」
「ごめんなさいね。ちょっといい?……館花さんからお電話なの。」
「え……」

塔子からその名を聞いた瞬間、彩乃の表情が凍り付いたのを、田沼は見逃さなかった。

(……夏目?)
「彩乃ちゃんに……直接お話ししたいことがあるって……」
「……はい。行きます。」

彩乃は静かに立ち上がると部屋を後にした。

「……塔子さん。館花さんって誰ですか?」
「え?ええ……彩乃ちゃんの叔父にあたる方で……彩乃ちゃんの亡くなったご両親のこととか色々管理されてるご親戚なの。」
「……彩乃ちゃんの?」

ドクンドクン
心臓の音がうるさい。
電話に出たくない。
――そんな気持ちを誤魔化して、彩乃は固定電話のある所まで行くと、震える手で受話器を取った。

「――代わりました。彩乃です。」
『ああ、彩乃ちゃんか。……元気かい?』
「……はい。元気です。何か……ご用ですか?」
『実は、君のご両親の家なんだけど……』
「――え?家……ですか?」
『あれをいつまでも持っていても仕方ないだろう。やっと買い手がつきそうなんだ。』
ドクリ
「え……」
『――そっちで上手くやっているんだろう?それともそこもいずれ出るつもりなのかい?』
「……」
『必要ないとは思うが流石に勝手に売るのはどうかと思って……一応君には連絡しておこうと思ってね。――彩乃ちゃん?』
「……はい………そうですね。……私にはどうこう出来ることではないので……」
『ああ、どうしても持っていたければ自立した時にでも買い戻すといい。構わないね?』
「……ええ。お任せします。」
『二週間くらいはまだ入れる。もし気になるなら手放す前に一度見に来るといいよ。』

――なんだろう。
電話越しに聞こえる館花さんの声が、とても遠くに感じる。
――嫌だ。
そんなこと……思ってはダメだ。
ダメなのに……
考えるな。考えるな。
私にはもう、関係のないことなんだから……

「彩乃ちゃん……どうだった?何のご用?」
「塔子さん……」

電話を終えて部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、塔子が部屋から出てきた。
心配そうな顔で彩乃を窺うように見つめる塔子を安心させるように、彩乃はもう慣れてしまった作り笑いを浮かべた。

「私の実家を……父と母が小屋みたいな小さな家を買っていて、父が亡くなってからは叔父たちが管理してくれていたんですが、やっと買い手がついたって連絡をくれたんです。」
「え」
「大丈夫です。全部叔父たちがやってくれるそうです。」
「――あらあら……まあ……でも……いいの?」
「大丈夫ですよ。私も小さすぎてあの家のことはよく覚えてないし、大丈夫です。」
「彩乃ちゃん、でも……」
「本当に大丈夫ですから。」

彩乃はにっこりと精一杯笑うと、塔子から逃げるように部屋へと駆けていった。

「彩乃ちゃん……もっと私たちを頼ってくれてもいいのに……」

塔子さんがそんなことをとても悲しそうに呟いていたなんて、私はちっとも知らなかった。

- 256 -
TOP