第252話「何もできない」

「――彩乃!」
「彩乃ちゃん!」
「……」

倒れている彩乃たちの元へと慌てて駆け寄ったリクオと先生だったが、リクオが彩乃を抱き起こすと、彩乃はぐったりとしていて意識がなかった。

「――彩乃ちゃん!しっかり!」
「……まずいことになったな」
「どういうこと!?」
「どうやらムシクイの奴は彩乃の方に取り憑いたようだな。……ええい、面倒な!」
「なんだって!?じゃあ、彩乃ちゃんは……」

ニャンコ先生の言葉を理解して青ざめるリクオ。
自分の腕の中でぐったりとしている彩乃は見るからに顔色が悪く、只でさえ白い肌がより真っ白になっていた。

「仕方ない。移動するぞ。ここでは人目につく。」
「で、でも、この人が……」
「そんな小娘なんぞ放っておけ!」
「そんなの駄目だって!」
「ええい煩いぞこぞ……「ううん……」

ニャンコ先生がリクオを鬱陶しそうに睨み付ける。
その時、倒れていた三世子が身動いだ。
微かに漏れた声に慌てて三世子の方を見ると、彼女は苦しそうに顔を歪めた後、ゆっくりと瞼を開いたのだった。

「……あれ?何で私こんな所で寝てるの?」
「あの……大丈夫ですか?」
「え?」

リクオが三世子に声を掛けると、彼女は驚いて目を丸くした後、リクオの腕の中でぐったりとしている彩乃を見つけてぎょっとして慌てて起き上がった。

「えっ!?ちょっ、その子どうしたの!?」
「え?……何も覚えてないんですか?」
「何が?それよりも早く救急車!とりあえず家に連れてかなきゃ!」
「いや、でも……」
「ほら早く!」
「構うな小娘。」

ぐったりとしている彩乃を見た三世子が自分の家に連れて行こうとリクオに提案するも、リクオが戸惑って中々動こうとしないので、彼女は急かすようにリクオの腕を引いて立ち上がらせようとする。
すると静かにその様子を静観していたニャンコ先生が言葉を発した。
猫が突然人間の言葉を話したものだから、三世子は呆然とニャンコ先生を見下ろした後、数秒間瞬きし、状況を理解すると途端に顔色を青ざめてぎょっとして叫んだ。

「えっ……ね、猫が……猫が何か低いおっさんの声で喋ったー!!??」
「誰がおっさんだ小娘!」
「ちょっ、何喋っちゃってるのさ斑!」

妖怪なんか知らない普通の人間である三世子の前で言葉を発してしまったニャンコ先生に青ざめるリクオ。
案の定三世子は青ざめた顔でパニックっており、ニャンコ先生から後ずさって必死に距離を取ろうとしていた。

「えっ、なっ!?ばっ……化け猫!?」
「そんな小娘放っておいて場所を移すぞぬらりひょんの孫。」
「で、でも……」
「事は一刻を争うのだ。目覚めたのだからそいつは放っておけ!」
「……っ、わかった。……あの、すみませんが僕等はもう行きます。」
「えっ、ちょっと!」

リクオは彩乃を背負うと、呼び止める三世子を無視してニャンコ先生と共に何処かへと去って行った。

******

「――何処に行くのさ斑!」
「人気の無い所に決まってるだろうが阿呆め!」
「そんな所……あっ!」

彩乃を背負いながら走っているリクオがふと何気なく辺りに目を向けると、丁度いい感じに人気の無い河原が視界に入った。

「斑!あそこ!」
「――む?……ああ、丁度いいな。」

リクオとニャンコ先生は河原の人目につきにくそうな草むらに入ると、そこに彩乃を横たえさせた。

「……彩乃ちゃん……これからどうすればいい?斑。」
「こうなっては何もできんな。」
「――なっ!?何もできないってなんだよ!何か考えがあったんじゃないのか!?」
「落ち着け阿呆。今の彩乃はムシクイに取り憑かれている。無理に引き剥がせば心が壊れかねん。彩乃自身が自分の心の弱さに打ち勝ってムシクイを追い出すしかない。」
「……こちらからは何もできないのか?」
「無理だな。彩乃が自力でムシクイを追い出さない限りこちらからは何もできん。」
「そんな……待つことしかできないのか……」
「そんなに時間はないがな。」
「……どういう意味だよ。」

ニャンコ先生の不穏な言葉に怪訝な表情を浮かべるリクオ。

「無事に彩乃がムシクイを追い出せるかは彩乃にかかっている。……人の心は弱い。特に彩乃のように孤独を抱えている者や過去に何かしら暗いものを背負っている奴はムシクイにつけ込まれやすいのさ。ムシクイは取り憑いた相手の心の闇を育てて心を貪り尽くす。彩乃が自分の心の弱さに打ち勝てねば、無理矢理引き剥がそうがこのままにしておこうがどちらにしろ心も記憶も食い尽くされて何も残らないさ。」
「そんな……」

リクオはニャンコ先生の言葉に絶望的な声を漏らす。
このままでは彩乃の心はムシクイに食い尽くされてしまう。
かと言って力尽くで引き剥がせば彼女の心は壊れてしまう。
どちらにしても彩乃ちゃんが無事では済まないなんて……

「今は彩乃を信じて待つしかない。」
「……っ」

ニャンコ先生の言葉にリクオは悔しげに唇を噛み締め、拳を強く握りしめた。
見守ることしかできない自分が情けなくて悔しくて、リクオは苦しげに顔を歪めたのだった。

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