第22話「奴良組のタブー」

あの少女の事は50年程経った今でもよく覚えている。
長く美しい銀色の髪を靡かせて、自分よりずっと強く恐ろしい存在である筈の妖怪相手にも臆することなく勝負を挑み、いつも笑顔を絶やさなかったあの少女――夏目レイコ。
その孫に出会う日がくるなんて、あの頃は想像も出来なかったな……

「どうぞ」
「あ、ありがとう……」

首無からお茶を差し出され、彩乃はおずおずと湯飲みに手を伸ばした。

「……美味しい……(妖にお茶を入れられたのって初めてだ。)」
「それは良かった」

躊躇いがちに口に含んだ緑茶は意外にもとても美味しかった。
警戒しているのか、緊張しているのか、どこか固い表情をしていた彩乃の表情が少し和らいで、首無は微笑んだ。
レイコと瓜二つの容姿をしているのに、いつも飄々としていた彼女とは違う様子に、首無は不思議な気持ちになる。

「……君は本当にレイコによく似ているね。」
「……よく言われる。」
「だろうね。でも君は、どうして名を返そうと思ったんだい?こう言っては何だけど、妖怪なんかに関わりたくないだろう?『友人帳』を持っていれば沢山の妖怪から狙われる。捨ててしまおうとは思わなかったのかな?」
「……えっ?」
「え?」

首無の言葉にとても驚いたように目を見開く彩乃。
まるでそんな事を考えたことがなかったといった表情に、尋ねた首無の方が戸惑った。

「……そんな酷いこと出来ないよ。妖にとって、名を綴るというのは、自分の命を預けるって事なんでしょ?そんな大切なものをいつまでも借りていたらきっと、困る妖だっていると思う。レイコさんが亡くなってしまった今、名を返せるのは孫の私だけだもの。」
「君は……妖怪が恐ろしくはないの?」
「え?怖いよ。」
「……」

この少女はもしかしたら、妖怪を恐れていないのだろうかと思い尋ねてみたが、あっさりと否定の言葉が返ってきて、首無は黙り込んでしまう。

「妖は『友人帳』を狙っていつも私を襲ってくるし、隙あらば食べようとするし、小さい頃から妖が見えていたけど、ろくな思い出なんてないなぁ〜……正直苦手だし、やっぱり怖いと思う。」
「そ、そう……」
「……でも、嫌いになれないの。妖って、人間と同じだと思うんだ。」
「え?」

呟くように発した彩乃の言葉に、首無はきょとりと目を丸くする。
彩乃はそんな首無の様子に気づかずに、ぼんやりと湯飲みを見つめながら話を続けた。

「妖の中にも人間を好きな者はいるし、妖だって、誰かを大切に思ったり、人間と心を通わせる者だっていることを、私は『友人帳』を通して、先生や沢山の妖と出会って知ったから……それって、人間も同じでしょ?だから、妖も人間も、少し似てる部分はあると思うの。それに……『友人帳』は、祖母の大切な形見だから、大切にしたいの。」
「……」

とても穏やかに、そして愛おしそうに微笑む少女に、首無は言葉を失った。
この少女は、レイコとは違うのだと、首無は思った。
レイコは自分より遥かに力のある妖怪相手にも、臆することなく果敢に勝負を挑んだ。
どんな相手にもいつも飄々とした態度で、余裕で勝利し、何があってもいつも得意気な笑顔を浮かべていた。
けれど、首無は気づいていた。
あの笑顔の裏で、レイコは妖怪をとても恨んでいることに。
人間でありながら妖怪が見えていた彼女は、人の世には馴染めず、いつも独りだった。
だからといって、妖怪と友達になることも出来る筈もなく、その孤独を、やるせない想いをぶつけるように、妖怪から名を奪うようになったのではないかと、首無は思ってる。
けれど、そんなレイコと瓜二つの容姿を持ち、彼女と同等かそれ以上の強い霊力を持った、レイコの孫というこの少女は、まるでレイコとは真逆の考えを持っていた。
『友人帳』という人間からすれば厄介でしかない代物を大切だと言い。
そしてそれを悪用すれば、多くの妖怪を意のままに操れるのに、利用しようなどとは、微塵も思っていない。
それどころか、名を奪われた妖怪が困っているから返したいなどと、妖怪を気遣うような事を言ってのける。

――ああ、この少女は、きっと妖怪も人間も大切に思ってるのだなと、首無は感じた。

妖怪の恐ろしさを身を持って知っているだろうに、それでも妖怪を気遣う。
『友人帳』のことを厄介な代物と言わずに大切そうに、愛おしそうに話すこの少女はとても優しく、純粋だ。
それ故に妖怪に漬け込まれやすく、とても危うい。
だからこそ、この目の前の少女は信用できると首無は確信した。

「……そっか。」
「……あの?」

どこか嬉しそうに口元を緩める首無を、彩乃は不思議そうに見つめた。

「……実は、俺も友人帳に名があるんだ。」
「ええっ!?それを早く言って!」
「そんなに慌てなくても……君はレイコと違ってころころと表情が変わるね。可愛いなぁ〜。」
「なっ!!??」

首無の無自覚な言葉に彩乃は思わず顔を真っ赤にして固まってしまった。

「……なっ、なっ、なっ、何言い出すの!?」
「?、レイコと違って素直で良い子だなって話だけど?」
「……ああ、そう……(し、心臓に悪い……)」
「?」

どこか疲れた様子の彩乃に、不思議そうに首を傾げる首無であった。

「……はあ、それじゃあ、名を返します。」
「ああ、それは後でいいよ。」
「え?でも……」
「君は信用できるから、今度でいい。これからよろしく」
「?、わかった。今度、ここに来た時に返すね。」

どこか含みのある言い方が少し引っ掛かったが、彩乃は特に気にせずに頷いた。

「そう言えばまだ名乗ってなかったね。俺は首無。リクオ様共々、よろしく。」
「ええ、よろしく首無!あの……あなたに一つ訊きたいんだけど……」
「何かな?」
「……レイコさんってどんな人だった?」
「……………えっ?」
「……え?」

レイコの事を尋ねた瞬間に顔を青ざめた首無に、彩乃は何か地雷を踏んでしまったことに気づいた。

「あ、あの……」
「レイコ、レイコね……うん、とても美しくて、恐ろしい人だったかな……そもそも、名を奪われたのだって……ブツブツ。」
「……ごめんなさい。もういいです。」

顔を青ざめたまま、何かに取り憑かれたようにぶつぶつとレイコの事を呟く首無に、彩乃は深く反省して謝るのだった。
そして思う。
奴良組にとって、レイコさんは語ってはいけないタブーなのだと……
この瞬間、彩乃はおそらくレイコにこてんぱんにされたのであろう奴良組の妖怪たちには、あまりこの話題には触れないようにしようとひそかに誓うのだった。

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