第23話「奴良若菜」

「……それじゃあ、今日はもう帰るね。お茶ご馳走さまでした。」
「どういたしまして。」

首無とゆったりとした時間を過ごした彩乃は、そろそろ御暇しようと立ち上がった。

「今度また会えた時には絶対名前返すね!」
「ふふ、そんなに急がなくてもいいのに……」
「駄目だよ!大切な名なんだから!」
「はいはい。また会えるのを楽しみにしてるよ。」
「……それじゃあ、またね。」

クスクスと楽しそうに笑う首無に柔らかく微笑むと、彩乃は手を振りながらその場を後にした。

「……いつまで隠れてるんだ?」
「「っ!!??」」

彩乃が去った後、彼女の気配が完全にしなくなってから、首無は彩乃が去って行った廊下とは逆の方向に声をかけた。
すると大袈裟なまでにびくりと体を跳ね上げて反応する妖怪たち。

「あら、バレてたの?」
「ろくに気配も消さずに盗み聞きしていたくせによく言うな、毛倡妓。……で、どうだった?」
「う〜ん、そうねぇ〜。」

首無は妖怪たちが二人の会話を盗み聞きしていた事に気付いていながら、あえて妖怪たちに会話を聞かせていた。
首無との付き合いが長い毛倡妓はその事に当然ながら気づいていた。
だから彼の行動と言葉が妖怪たちにレイコの孫を見定めさせる為だとすぐに理解した。

「あの子が友人帳を悪用するような子じゃないのはわかったわ。まあ、リクオ様の事や初対面でまだ完全に信用は出来ないけど、協力してあげてもいいとは思うわよ?」
「そうだな。あの娘、嘘をついているようには見えん。」
「まー、悪い感じはしなかったしな……」
「毛倡妓!?黒に青まで!?わ、私は認めないわよ!」

彩乃と首無の会話を聞いていた毛倡妓と黒田坊と青田坊は、口々に彩乃を認めたような言葉を口にして、氷麗は焦ったように叫んだ。

「あの極悪非道なレイコの孫なのよ!?もしリクオ様に何かしてきたら……そ、それに、総大将や鯉伴様のように、万が一誑かされたりなんかしたら!!」
「あんたねぇ〜……それって、ただの女の嫉妬よ?」
「うっ!」

氷麗は雪のように真っ白な肌を真っ青にしてわなわなと震えながら心配事を口にする。
それに毛倡妓は呆れたようにため息をつくのだった。

「と、とにかく、私はあんな小娘がリクオ様と仲良くするなんてぜっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったいに認めないわ!!」
「あんたねぇ……」

個人的な理由で頑なに彩乃を認めようとしない氷麗に、毛倡妓は呆れた眼差しを向けるのだった。

*****

「……迷った。」

一方その頃、彩乃は玄関に向かって歩いていた筈が、何故か辿り着けずにいた。
うろうろと似たような場所を何度も行き来して、漸く自分が迷ったと自覚した彩乃であった。

「……いくら広いからって、家の中で迷子になる私って……」

初めて訪れた屋敷とは雖も、まさか来た道を戻る事すら出来ないとは……
最初に見知らぬ廊下に来てしまい、首無と別れた部屋に戻ろうとしたのだか、それすらもわからなくなってしまうという始末だった。

「わ、私、そんなに方向音痴じゃない筈なんだけどなぁ……」
「――あら?」
「っ!?」

困り果てていると、曲がり角から一人の女性がやって来た。
彩乃は思わず助かったと顔を輝かせる。

「あ、あの!」
「初めて見る子ね。……そう言えば、今日はリクオにお客様が来るって聞いていたわね。貴女がそのリクオのお友達かしら?」
「え?ど、どうでしょう?あの……貴女は?」

話し掛けてきた女性は、見た目二十代前半と言った感じのどこか可愛らしい印象を受けた。
どう見ても普通の人間の女性に見えるが、ここに居るということは、彼女も妖なのだろう。
にっこりと太陽のような明るい笑顔を浮かべて、親しげに話しかけてくるこの女性は果たして何者だろう。

(奴良くんを呼び捨てにしてるし、家族の人かな?お姉さんとか?)

そう思って尋ねてみると、彼女はにっこりと微笑んだ。

「あらごめんなさい。私は奴良若菜よ。リクオの母なの!」
「ええ!?お、お姉さんではなく!!??」
「やーね、私ってばそんなに若くないのよ?」
「え、いや、そんなことは……とてもお若いです!(寧ろ若すぎます!!)」
「うふふ、ありがとう。」

彩乃の若い発言にすっかり気を良くした若菜。
にこにこと嬉しそうに笑顔を浮かべる彼女の親しげな雰囲気に、彩乃は無意識に緊張して力んでいた肩の力を抜いた。

「それで、えーと……」
「夏目です。夏目彩乃……」
「夏目?レイコさんと同じ名字なのね。」
「っ!?レイコさんをご存じ何ですか?……ああ、奴良組の妖なら知ってますよね…」
「妖?ふふ、私は人間よ。」
「ええっ!?」

若菜の言葉に彩乃はまたまた驚く。
元々丸みのあった大きな瞳を更に大きく見開き、思わず若菜を凝視してしまった。

「え……に、人間?だって、え?でも若菜さんは奴良くんのお母さんで、奴良くんは妖怪で……え?え?」
「あらあら、落ち着いて。」

考えれば考える程混乱していく彩乃を、若菜がのんびりとした口調で落ち着かせようするのだった。

「私の夫である鯉伴さんが半妖なのよ。だからリクオはクォーターなの。」
「そうだったんですか……あの、でも……妖と人間が結ばれても、大丈夫なんですか?」
「あら、どうして?」
「いえ、その……妖から疎まれたりとか……」

言いにくそうにそう口にすると、若菜はふわりと穏やかに微笑んだ。

「妖怪の世界では人間と結ばれるのが良いことなのか悪いことなのかはわからないわ。でも、奴良組(ここ)は私を受け入れてくれたの。鯉伴さんのお父さんであるぬらりひょんさんが人間の方と結ばれたからかしらね……みんな人間の私にもとても優しいのよ。」
「……」
「ふふ、妖怪だから誤解されやすいけど、優しい妖怪もいるのよね。」
「……そうですね……私も、そう思います。」

にっこりと明るい笑顔を浮かべる若菜からは、辛い感情を感じなかった。
妖と関わってきたことで幼い頃から孤独を味わってきた彩乃だったが、友人帳を通して出会った心優しい妖たち。
そんな妖たちの存在を認めてくれている人間がいたことが、何だかとても嬉しかった。

「レイコさんの事はね、鯉伴さんから聞いて知ってるの。何でも棒切れ一本で妖怪と戦ったすごい人なんですってね!鯉伴さんがよく楽しそうに語ってくれたのよ!」
「……そ、ソウデスカ……」
(レイコさん……どれだけ妖たちの間で語り継がれてるんだろう。)

彩乃は現実から目を背けるように遠い目をする。
そして、ふと考えた。

「……そう言えば私、まだ奴良くんにお礼言ってない。」
「リクオに?」
「あ、はい。若菜さんは……友人帳を知ってますか?」
「ええ、鯉伴さんから聞いてるわ。妖怪の名を綴った帳面のことよね?」
「ええ、今日ここに呼ばれたのは、友人帳の事でなんです。私はずっと、友人帳に綴られた名を妖に返していたんですが、ぬらりひょんさんと奴良くんの口添えで、今度から奴良組からも協力してもらえるようになって……なのに、私ったら、お礼も言ってなくて……」
「そう。……そう言うことなら、はい!」
「えっ?」

若菜はそう言って先程まで手に持っていたお盆を半ば無理やり彩乃に押し付けてきた。
思わず反射的にそれを受け取ってしまうと、お盆にのっていたコップの中の水がちゃぷんと揺れる。
コップの横には薬包紙が置かれており、若菜が誰かに届けようとしていたのだとわかる。

「……あの、これ……」
「リクオに届けて来て?あの子の部屋ならこの先の突き当たりだから!」
「え?いやあの、若菜さん!?」
「それじゃあ、お願いね〜♪」
「え?え?えええっっ!!??ちょっ、若菜さんっっ!?」

戸惑う彩乃を置いて、若菜は楽しそうに鼻唄を歌いながら去って行ってしまった。

「え〜……ど、どうしろと……?」

一人残された彩乃は、困り果てたように呟くのだった。

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