第57話「懐かしい夢」

牛鬼に名を返した後、彩乃と牛鬼は気を失ってしまった。
突然倒れた彩乃をリクオが慌てて抱き止めたが、全く起きる気配のない二人に、リクオは動揺した。

「おい、彩乃!?どうした!?おい!」
「……恐らくは名を返した影響で霊力を急激に失ったのでしょう。暫く休めばきっと目を覚まします。」
「……そうか。」

黒羽丸の言葉にリクオはホッと安心したように表情を緩めた。
三人が彩乃と牛鬼の介抱を始めたその頃、牛鬼は夢を見ていた。
今となっては懐かしさすら覚える、そんな夢を……

『レイコ!また本家の妖怪から名を奪ったのか!?』
『あら牛鬼。こんにちは』

どこか焦った様子でレイコに尋ねる牛鬼と、そんな彼の様子など気にも止めずにのんびりと挨拶するレイコ。
レイコは嘗て、よく本家に出入りしていた。
牛鬼とはその頃に知り合い、何故か気に入られてよく捩眼山にも遊びに来ていたのだ。
レイコはその頃には既に多くの妖怪から名を奪っており、本家では色んな意味で有名になっていた。

『……頼むから、遊び事であまり問題を起こさないでくれ。』
『失礼ね。私は勝負して負かした妖を子分にしているだけよ?負けたら命をあげるんだもの。こっちだって真剣だわ。』
『レイコ、また勝ったの!?』
『今度はどんな大物妖怪なんだ!?幹部か?聞かせてくれよ!』
『ふふ、良いわよ。』

人間なのに妙に強いレイコに、牛頭丸と馬頭丸も最初は警戒していたが、次第に心を許し、懐いていった。
奴良組二代目である鯉伴のお気に入りであるレイコは、いずれ鯉伴と結ばれるかもしれない。
そうなれば二代目の奥方となる。牛鬼はレイコに気を許すようになってそれが楽しみになっていた。

『……レイコ、お前は二代目をどう思っているのだ?』
『……何よ突然?』

そんなある日、牛鬼はレイコに鯉伴のことをどう思っているのかと尋ねた。

『……二代目に随分と気に入られているようだが、お前達は恋仲なのか?』
『ふふ、変な事を訊くのね牛鬼。』
『……違うのか?』
『さあ、どうかしら?』

うっすらと微笑んで曖昧に答えるレイコに、牛鬼は怪訝な表情を浮かべる。
そんな彼に、レイコは以外な一言を言ったのだ。

『ねえ、牛鬼。私と勝負しましょうよ。』
『……どうしたのだ突然?』
『勿論、あなたが負けたら名を貰うわ。でも、私が負けたら私を食べて良いわよ』

突然のレイコからの勝負の申し出に、牛鬼は驚く。
今まで何度か戯れ合いのような勝負はした事はあるが、名を賭けての勝負は挑まれたことなどなかった。
牛鬼はレイコの意図が読めずに困惑した。

『それじゃあ、相手の影を先に踏んだ方が勝ちね!』
『お、おい、レイコ!ちょっと待て!』
『えい!』
『っ!』

牛鬼が状況を飲み込めないうちに、レイコは勝手に勝負を始めてしまい、牛鬼が気付いた時には既にレイコは牛鬼に駆け寄り、その影を踏んでいた。

『私の勝ちね。』
『まっ、待て!今のは卑怯だろ!』
『あら、勝ちは勝ちよ。』
『……納得できんが、仕方ない……』

勝負に負けてしまった私は友人帳に名を啜った。
その時は不意打ちで負けてしまったとは言え、レイコはいずれ二代目となる鯉伴の奥方になると信じて疑わなかった私は、レイコに名を預けることに抵抗はなかった。
――しかし、数ヵ月後……レイコは私や奴良組の前から姿を消した。
気まぐれなレイコの事だから、そのうちまた忘れた頃にひょっこりと現れるだろうと思っていた私達の前に、レイコは二度と姿を見せることはなかった。

何故、突然姿を消した?

何故、私から名を奪った?

ただの気紛れだったのか?

名を奪ったのに何故呼んでくれない……

裏切られた……

許せぬ、許せぬ、許せぬ……

自分から名を奪い、突然姿を消したレイコに、牛鬼は裏切られたような気持ちになった。
勝手にレイコに奴良組の未来を期待したのは自分だが、突然何も告げずに姿を消したレイコが許せなかった。
いつしかその気持ちは憎悪を孕み、牛鬼はレイコに恨みにも近い憎しみの感情を持つようになる。

『……牛鬼……私の言葉なんかじゃ、あなたを止めることは出来ないかもしれない。けど……私は……あなたに死んで欲しくないの。』

あのレイコの孫娘に冷たく接したのも、奴良組を案じての事ではあるが、半分は個人的な恨みがあったのだと、今となってはわかる。
それでもあの娘は私に正面からぶつかってこようとした。
どれだけ冷たくしても、脅しても、あの娘は私の命すら救おうとする。

『あなたが奴良組を……自分のかけがえのないものを守りたいように、あなたを必要とする人はいるよ。……たがら、死のうとしないで……』

そんな者居るのだろうか?

奴良組を纏める事すら出来ず、あまつさえリクオを手に掛けようとした裏切り者の今の私に、奴良組に居場所などあるのだろうか?

生きても、良いのだろうか……

あの娘の日だまりのような温かく、優しげな笑みを思い出すと、甘い考えばかりが浮かんでしまう。

その優しさに縋ってしまいたくなる……

私は……まだ、奴良組を見守っていきたいと願っても、許されるのだろうか?

………………

…………

「……あ、起きた?」

牛鬼が目を覚ますと、そこには人間の姿に戻ったリクオがいた。

「怪我はなんとかなったみたいだ。良かった!君の部下は迅速だね、牛鬼。」
「……リクオ?」

目覚めた牛鬼に笑顔で話し掛けるリクオに、牛鬼は戸惑った様子で彼の名を呼ぶ。

「リクオ……本当に……朝になると……変わってしまうのか……」
「……今は…人間だよ。」

意味深げなリクオの物言いに、牛鬼は息を飲んだ。

「覚えて……いるのか。」
「覚えてる。昨日のことも、旧鼠のことも、蛇太夫もガゴゼも。……全部、僕が殺ったって……」

そう告げたリクオの顔は、何かを決意した様に真剣なものだった。

「知ってるよ……妖怪の時はなんだか、血が熱くなっちゃって……我を忘れてしまうってことも……」
「リクオ……」
「そろそろ、覚悟を決める時なのかな……いつまでも、目を閉じてられない。」

そう言うとリクオは静かに立ち上がり、戸を開けた。

「怖いけど……本当は平和でいたいけど……"守らなきゃいけない仲間"もいる。この血に頼らなきゃいけない時もあるって……知ったから……」

そう言ってリクオは牛鬼を振り返る、その表情はどこか晴れやかで、どこかリクオが成長した様に牛鬼には思えた。

「だから僕はそこまで組のこと……思ってくれる牛鬼が百鬼夜行にいてくれたら……嬉しいよ。」

リクオの言葉に、牛鬼は大きく目を見開く。
それは嘗て、彼の祖父からも言われた言葉。

『牛鬼――ワシの組に入れよ。のう?』
(また――)

全力でぶつかって、私を上回ってなお……
私を認めさせた。
この男は、いつか総大将ですら見ることの出来なかった景色を見ることが出来るかもしれない……
牛鬼は何故かそう思えた。

- 69 -
TOP