第75話「いつかくる、別れの時までは」

ぞろぞろと列をなして山を降りて行こうとする妖達を止めるべく、彩乃は黒猫になってしまったままの主様を抱えて妖達の元へと走って行った。

「待って!主様はここに帰って来てるの!だから人を襲う必要は無いのよ!!」
「何ぃ!?」
「誰か主様の名を知っていたら教えて!名前さえ解れば……」
ガッ!
「うっ!」
「……お前、人の子だな!?それにその面……」
「おのれ人の子。」
「!、そいつを放せ!!」
「「夏目!!」」

彩乃の人の匂いに気付いた妖の一人が、彼女の首を掴んで締め上げた。
それに慌てて助けようと駆け寄ろうとする先生と黒羽丸達。
しかし、彩乃の側に行こうにも、あまりにも沢山の妖怪達が彼女の周りを取り囲んで近付くことが出来なかった。

「人の子だ。」
「人の子。」
「うっ……」
「人の子だ。おのれ……」
(――逃げるな。いる筈なんだ。主様の名を知る妖が……)
「おのれ喰ってやる!!」

人の子。人の子め。
主様を。よくも……よくも……
主様を。主様さえ居れば……
――様さえいれば……

「!!」
ドクンッ!
「――聞こえた!」
「彩乃を……放せっっ!!」
カッ!!
「ぎゃあっ!!」
「斑様!!」

本来の姿に戻った先生が退魔の光を放つと、彩乃に群がっていた多くの妖怪達が怯んで彼女から離れた。

パラパラパラ
ぱんっ!
「『リオウ』名を返そう。受け取って。」

彩乃は自由になった隙に、友人帳のページを捲り、一枚の紙をくわえて両手を叩いた。
言霊と共に息を吹き、主様に向かって名を返した。
紙から抜け出した文字はしゅるしゅるとまるで生きているかのように動き、すっと、黒猫の中へと入っていった。

ぴしっ……
ぴきぴき
ドンッ!!
「――ありがとう、人の子。」

眩い光と共に黒猫の体は砕けちり、彩乃の目の前に美しい白い羽根が舞った。
バサリと大きな羽音を立てて、彩乃を守るように肩を抱き寄せるその青年の姿をした妖を見て、皆が動きを止めて注目した。

「……主様。」
「主様だ……」
「リオウ様……」
「ただいまみんな。」

――流れ込んでくるのは、リオウの記憶……

彩乃はリオウに抱き寄せられている間、彼の記憶に触れた。
狐用の罠に掛かり、怪我をしていた処を人間の男性に助けられ、親しくなり、毎日のようにその人の元へ通ったこと。
優しく頭を撫でてもらったこと。
見えてくる記憶は全て優しくて、とても切なかった。

「君が結界を切ってくれて動けるようになった私は、彼に会いに行ったんだ。大切な大切な友人に。――けれどもう、彼は亡くなっていたよ。人の子の一生は短いね。」
「……リオウ」
「皆に阿呆だと言われた意味がわかった気がしたよ。森へ帰ると皆が私のために人の家を襲う算段をしていてね。止める力がなかった私は、お前をここに連れてきて何とかしてもらおうと思って、友人帳を拝借したのさ。……すまなかったね、夏目。」
「……あなたを封印したのも『人』でしょう。それなのに、妖達を止めようとしてくれたんですね。」
「ふふ、私は人が好きだからね。」

そう言って柔らかく微笑むリオウ。
そのどこか寂しそうな笑顔に、彩乃の心は締め付けられた。

「――だからもう……人里へは降りてこない。」
「……」
「私がいる限りは、この森の妖に人は襲わせまい。風呂、気持ち良かったよ。夏目。さらば愛しい人の子……」
「――っ、リオウ!!」

立ち去ろうとするリオウ達に向かって、彩乃は力一杯大きな声を張り上げた。

「人を好きになってくれてありがとう!人を嫌いにならないでくれてありがとう!いつかまた……人と……!!」

ポロポロと流れる涙は、何を想ってなのか……
彩乃自身ですらよくわからなかった。
人が大好きなのにもう会わないと言うリオウの心を想ってなのか、彼の気持ちに触れてしまったが故の『悲しみ』なのか。
必死に何かを伝えようとする彩乃に、リオウはふっと、柔らかく微笑んだ。

「さらば、大切な友人よ。」

一陣の風と共に、リオウ達は森から姿を消した。
心に残ったの想いは、切なさなのか、それとも……

*****

こうして、ニセニャンコ事件は幕を閉じた。

「――やれやれ、散々な目にあったな。元はと言えばお前がしっかりしとらんからだぞ!」
「そうだね。今回は本当に助かったよ。いつもありがとう、ニャンコ先生。」
「……ううっ、本当に素直なお前は気持ちが悪いなぁ。」
「本当ですねぇ。」
「てか何で紅峰もいるの?学校に。」

彩乃は休み時間に屋上に来ていた。
誰もいないこの時間は、妖と話すには持ってこいの場所だ。

「……はあ、可愛かったな。黒ニャンコ……」
「なんだそれは。(何となくムカ)」

そうして相変わらずの日々。
最近困るのは、小さな別れを少し寂しいと思うようになったことだ。

(幼い頃は、誰かのために心を揺らすことは滅多に無かったのにな……)
「……さてと、餞別の羊羮も食べたし、帰るとしますか。」
「紅峰?」
「あまり長居はしたくないんだ。やっぱり人は好きになれんな。」
「……そっか。」

少し残念そうに俯く彩乃を可笑しそうに笑う紅峰。
そんな彩乃の頬にそっと手を伸ばして触れると、紅峰は綺麗に微笑んだ。

「斑様の為にも隙を見てお前を喰ってしまおうかと思っていたのに、主様の友人ではそうもいくまい。
――斑様、いっそ、一緒に帰りませんか?」
「――え。」

ニャンコ先生に振り返ってそう言葉を投げ掛ける紅峰。
思わず先生の方を見ると、目が合った。

「――いや、もう暫く……私はこれの傍らにいよう。」
「……先生……」
「どうせ、あっという間だからな。……その時までは……」
「先生、今なんて?」
「……ふん。」

――いつかくる、別れの時までは………

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