04
村の入り口で聖水を撒いているニードの知り合いにリディアとニードが村の外へ出たことはくれぐれも口外しないように釘をさし、二人は外へ出た。邪のエネルギーで活動していると言われている魔物は聖なる力に弱い。人の集まる街に魔物が入って来れないのはひとえに聖水のおかげであった。勿論、村の外へ出てしまえば聖水の効果は当てにならないので自分の身は自分で守るしかない。戦わなければ生き残れない。それが外の世界だった。
「お、早速魔物のお出ましだ」
ニードが腰に刺した銅の剣を引き抜いた。それは一瞬、御天道の光を受けてキラリと輝いた。
スライムだった。この世界中、どこを探してもスライムほど弱い魔物はいないという。ともすれば、十にも満たない子どもでも追い払うことは可能な程だ。
リディアも手持ちの銅の剣を手に取ろうと腰に手をあてた。しかし、そこに剣などなかった。
(しまった)
(ここに来てから一度も剣を見たことがないじゃない)
恐らく、地上に落ちた時に手持ちの剣ははぐれてしまったのだろう。これまで村の中でしか生活していなかったから剣を失くしたことに気が付かなかった。
幸いにも非常時に使うために隠し持っていたナイフはあった。このナイフでどうにかやりくりするしかない。
リディアがナイフを手に取る前にスライムがリディアに向かって飛び込んできた。牙のある口をむき出しにして。
いくらスライムが世界一弱い魔物とはいえ、まともに攻撃をくらえば痛いし、出血どころが悪ければ出血死だってあり得る。
「えいっ」
リディアはとっさに蹴りを出した。柔らかいプニプニした感触が足に伝わってくる。思いっきり蹴ってやったのでスライムはそのまま数メートルほど飛んで行った。
再度こちらに飛び込んでくるスライムを取り出したナイフで切り裂けば、スライムはそのまま溶けて消滅した。
「ふうっ」
ナイフは小回りが利くが、リディアは超接近戦を得意としているわけではない。長剣がちょうどいい。これからナイフ一本で戦わなければならないと考えると、憂鬱になる。
最も、ウォルロ地方の魔物は世界一弱いと言われているので、ナイフ一本でも十分であるが。(強い魔物は旧ガナン帝国領に生息しているらしい。なぜ襲ってくる魔物の強さに地域差があるのだろう。)
「お前、見た目の割に強いな……」
「これでも旅芸人だからね。自分の身くらいは自分で守れないと生きていけないし」
襲ってくる魔物をニードと協力して倒しつつ(以外にもニードには戦いのセンスがあった)、道なりに歩いていくと峠に着いた。
森の中を人が通れるように開通させたのだろう、周りは木でいっぱいだった。
「あ……」
ちょうど道が分かれたところに、天の方舟の先端車両が落ちていた。
(これに乗れば、天使界に帰ることができるかもしれない)
まさかこんなところに天の箱舟が落ちているとは思わなかった。だがこれはチャンスだ。リディアは天使界に帰る手段を得たかもしれないのだ。天使界にさえ戻ってしまえば師や長老がいるはずだ。失くしてしまった羽根を輪のことは向こうに戻ってから考えればよい。
「お前さぁ、木なんか見て楽しいか?」
「え、あ、なんか珍しい木だなーって」
ニードの声でリディアは我に返った。
(そっか、人間には見えないもんね)
人間には見えない『上の物』が見える時点でリディアは人間ではない。箱舟を認識できるということはリディアもまだ天使である、という証拠に他ならなかった。リディアはそのことに少し安堵した。自分は決して天使でなくなったわけではないのだ。
ただの人間にも認識できる天使。それが今のリディアだった。
「俺、先に行ってるから、お前も早く来いよ!!」
「分かった」
ニードにとってはその辺に生えている木を眺めているだけでつまらなくなったのでだとう。ニードはさっさと峠の道を進んでしまった。
ニードの姿が見えなくなってから、リディアは恐る恐る、箱舟へ近づいた。
「入っても大丈夫だよね、罰当たらないよね……?」
車両の入り口にそっと、手を触れる。金属独特のひんやりとした感触がした。
リディアは、緊張しながらも入り口を開けた、のだが……。
「あれ……?開かない?」
いくら力を入れても、入り口が開くことはなかった。
「もしかして、開け方が特殊なだけかも。ええ、私はこんなところで諦めないわ、やれるだけやってみる!イザヤール様が弟子、ウォルロ村新米守護天使リディア……いっきまーす!」
リディアは気合いを入れて、もう一度扉に手を触れた。
「そいやっ」
だがしかし、押しても引いても、上にスライドさせても下にスライドさせても横にスライドさせても、とにかくリディアが思いつく限りの方法で扉を開けようと努力はしたが、箱舟はうんともすんとも言わない。
「そんなぁ〜。あんまりだよ……」
リディアは乙女色のため息をついた。
「まぁ、そう簡単にはいかないよね、うん」
第一、天の箱舟はリディアのような一端の下級新米守護天使が触れていい代物ではない。間近で見ることすら適わない。そのようなありがたい代物を目にし、あまつさえ触れることができたのだ。何かご利益があるかもしれない。
ウォルロ村にはリディア以外の天使の姿はなかった。けれど、峠を開通させてセントシュタインまで行けば他の天使にも会えるかもしれない。あそこはウォルロ村の比ではないくらい人口が大きい。
そこへ行けば、例え他の天使に会えなくても、何か手がかりくらいはあるかもしれない。
残念ではあるが、ダメなものは仕方がない。
リディアは気持ちを切り替え、ニードの後を追った。
「何アイツ?もしかして、方舟が見えてんノ?」
リディアが去った箱舟から、そんな声がしたことにも気付かずに。
「これは参ったぞ」
「うん。参った参った」
お腹も空いてくるお昼頃。
ニードとリディアは、持ってきたおにぎりを食べながら、土砂の塊を見つめていた。
「正直、なめてたぜ。こんなに酷いとは思わなかった」
「こりゃ、二人で取りのぞける量じゃないよ」
目の前に立ちはだかる、土やら石やら木の枝、その他もろもろ。
土砂は想定外の量であった。量が多すぎて先の道が一切合切見えない。これは、一週間かけても無理であろう。十代の子供二人でどうにかなるものではなかった。
「くっそー、何もしないで帰るのか!俺達、まるで遠足にきたみたいじゃないか!」
ニードが不満をこぼす。
ニードの言う通り、これでは魔物に襲われながらの遠足である。苦労に見合う収穫など全くないだろう。危険を冒して村に帰った後に村長のお叱りを受けるネタを作りに行ったようなものである。これじゃああんまりだ。
「おーい!そこに誰かいるのか?」
土砂向こうから大人の男の声がした。
「いるぞ!ウォルロ村一番のイケメン、ニード様はここだぁ!」
ニードは自分を形容するらしい『ウォルロ村一番のイケメン』を強調して叫んだ。
「え?!ウォルロ村一番のイケメン……?」
リディアは、自分で村一番のイケメンだと、当たり前のように何のためらいもなく言ってのけるニードに冷たい視線を送った。
(ニードと同類に思われたくないな……。黙っておこう)
土砂の向こうの男との対応はニードに任せ、リディアはだんまりを決め込むことにした。
「そうか!ニードとやら、ウォルロ村の者に伝えてくれないか?土砂はセントシュタインの者で取り除くから、あと五日ほどで通れるようになると!」
「分かった、伝えておく!」
「それと、ウォルロ村にルイーダという女性はいるか?」