これのネタの主
目を開けたら知らない男の顔が視界いっぱいに映っていた。
「…………………誰?」
「……は?」
「え、て、っえ、なに、なに、この、状況…………」
なんなんだこれ、どうなってんだこれ。ここはどこだ。ていうかこの人誰? 意味の分からない状況に起きあがろうとしたが体が動かない。両腕は押さえつけられ、脚の間に膝を入れられ、体を動かす隙もない。誰に? 俺の眼前にいる紫マッシュ長髪ヘアーをした男に。覚醒から数秒の寝ぼけた頭でも、この人物に押し倒されていると判断するには充分すぎる材料が揃っていた。
「オマエふざけてんの?」
状況についていけない俺に、男はそのつり眉を寄せて低い声でそう言った。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。いやいや、ふざけてるのはお前だろ、どいてくれ。そう言いたかったが男の圧に気圧され、声が縮んで何も言えなくなってしまった。
最近不良の子たちがお客さんとしてよく来てくれるようになり、慣れたおかげで見た目がかなりのヤンキーでもビビることはなくなってきたのだが、それでもこの男にはビビった。雰囲気で分かる、この男、怒らせるのはまずいタイプの人間だ。ものの数秒でそう直感したわけだが、そもそも何で俺はこんなおっかない人に押し倒されているのか。
ちらりと視線を外して部屋の様子を窺ってみる。広い部屋だ。大きなテレビにふさふさした毛のカーペット、それから大きな窓。カーテンの隙間から漏れる陽の光。高い天井。白を基調にした家具の一つ一つは洗練されていて、俺が押し倒されている馬鹿でかいソファも含め、多分相当な高級家具なんだと思う。
どう見てもここは俺の部屋ではない。目の前の男の家だろうか。だとしたら、寝てる間に拉致されたのか? ……いや、考えたくない。あまりにも非現実的すぎる。これは夢か? 頼む夢であってくれ。その前にこの人誰なんだ。マジで。
「なまえ、オレもお前も久しぶりなの、分かってんだろ?」
「………久しぶり……」
男が俺にそう言った。久しぶりなのか。何が? ていうかこの男、俺の名前を知っているということは、多少なりとも俺の知り合いなのか。
そう思って今までに出会った知り合いや友人の顔を脳内で再生しつつ、男の顔をまじまじと見つめてみる。ロングウルフに近い髪型で、ピンクカラーをメインにブルーラベンダーっぽい色がアクセントで入れられている。それにしたってすごい髪色だがきれいに染まっているし、男の顔の形に合ったカットだ。美容師の腕がいいんだろうな。俺もこんな風にきれいに染められる日が来るだろうか……、と少し脱線しつつも頭の中のメモリーファイルをめくりまくっていたが、数秒経っていや待てよ? と考えるのをやめる。
つり眉タレ目、紫色の瞳に、少し硬い声色。よくよく見なくても、注意深くその声を聞かなくても分かる。身近すぎて気付かなかった、髪型も髪色も違いすぎるがこの人、まさか「あの子」ではないのか?
「……もしかして、竜胆くん?」
「竜胆くん、だあ?」
男は器用に片眉をくい、と釣り上げた。
「やめろよ君付けなんて気色悪ィ」
「………」
どうやら目の前の人物は、本当に竜胆くんらしい。なんてこった。
「え、何これ、やっぱり夢…?」
髪型も違う、髪色なんてもっと違う、喉になんて花札のような入れ墨が入っている。顔つきだって大人のそれだが、それでも俺の知っている竜胆くんの面影は残っている。
なんてこった、竜胆くんがとても大人になっている。これはいよいよファンタジーだ。夢に違いない。それにしたって、
「なんて夢だ……」
今まで勝手に家に上がられ、勝手に冷蔵庫の食べ物を食べられたり関節技をキメられたりしたことはあれど、押し倒されることなんて今まで全くなかったのに。
なんでこうなっているのだろう。それはきっと本人に聞くのが一番手っ取り早い。そう思ったけれど、ぽつりと漏らした言葉を竜胆くんは聞き逃さなかった。こちらが何かを聞く間もなく、眉間には益々皺が寄り、その顔は一層不機嫌そうに歪む。
「……マジで腹立つなテメェ……まだ寝ぼけてんのか? これのどこが夢なんだよ」
「え、あ、っちょ、ぉ?!」
竜胆くんは不服そうにそう言うや否や、服の下にその手を突っ込んできた。嘘だろ、何してんだこの人?!
「っぅ、ま、竜胆く、」
「待てるわけねえだろ」
いきなりのことにびっくりしすぎて言葉が詰まる。抵抗しようと体を動かそうとしたがそれは叶わず、「いつぶりだと思ってんだよ」、そう言葉を漏らされ、服の下、素肌へと手が這わされる。腹を撫でられ、その手は段々と上へと上がっていく。くすぐったいようなこそばゆいような感覚に身を捩るが、その手は止まらない。なんならエスカレートするばかりだ。腹筋の筋を撫でられたかと思ったらその長い指は胸へと行きつき、味わうように触られて、背中に走る変な感覚に身を硬くする。
「っおい、ちょ、っ」
「ああ? 往生際悪すぎんだろてめえ」
「いい加減諦めろよ」なんてドスの効いた声が上から降ってくる。怖い! ああ、何故俺がこんな目に! なんだって男相手にこんなことをしてるんだ竜胆くん!
「こんなことして楽しいか?!」
我慢できずに俺の体を好き勝手に弄る竜胆くんに思わず突っ込んでしまった。一瞬手を止めた竜胆くんはじ、と俺を見る。そして。
「………まあ、楽しいし興奮するな」
「はあ??!!」
何言ってんだ! やっぱりこの夢おかしいぞ!
「なまえ、お前いつもよりビンカンだなァ? 久しぶりだからか?」
「な、っ」
久しぶりどころかこんなこと君としたことないがな?! なんて今日イチのツッコミをしようとしたが、俺の言葉は舌の上であえなく消えた。竜胆くんがその手を再び動かし始めたからだ。男の胸なんて触ってもなんの興奮も得られないだろうに、やわりと揉まれるような手つきに─揉む脂肪なんてないのにだ!─、びくりと魚のように体が跳ねる。そんな俺の反応に気を良くしたのか、竜胆くんはにやりと口角を上げ、俺の首筋へと顔を埋めた。ひい、まじか、まじか。耳元で聞こえるリップ音、肌に触れる柔らかく温かい唇、首にかかる吐息、竜胆くんからの刺激全てに体も心も付いていけない。内心パニックの連続だ。
ああ、腰の裏側がぞくぞくする。歯を食いしばって唇を閉じていないと変な声が出そうだ。
「ちょ、っまじで、待って、」
唇で首筋をなぞられるわ相変わらず手は俺の胸を触り続けるわで限界だった。本当にこれ以上は無理だと、なんとか覆い被さる体を力の入らない手で押し返す。
今までにないような上擦った声で恥ずかしかったが、ここでようやく竜胆くんの手が止まった。視線の先、どうして出てきたのか分からない涙で視界は軽くぼやけていたが、それでも彼が眉を顰めたのが分かった。
「……お前さあ」
はあ、ため息をひとつこぼした竜胆くんが「しょうがねえな」と体を起こす。それでも俺の上からは退いてはくれない。
「状況が分かってねえみたいだから教えてやるよ。なまえ、お前は今日一日、ずっとオレにご奉仕すんの。兄貴は明日まで留守だ。逃げ場はねえぞ」
「へ、………」
これはヒントだ。竜胆くんの言葉が少しでも今の状況を理解するのに繋がればと必死に頭を働かせる。まず、今日一日、俺は竜胆くんにゴホウシしなければならないらしい。この男が竜胆くんなら、彼の言う兄貴というのは蘭くんのことだ。それは理解できる。だが、ゴホウシとはなんだ。俺は竜胆くんとどういう関係になってるわけ?
「っ、な、」
なんて、考える暇もなく。
竜胆くんはその端正な顔を近づけ、俺の唇を自分のそれで塞いだのである。
「…………」
「…すげーアホ面」
触れるだけのそれは、ちゅ、とかわいい音を立てて離れていった。呆けた俺を見て竜胆くんは笑う。ああその目を細める笑い方、間違いなく竜胆くんだ。………ではなく。
いま、この子は俺に何をした?
「あの……」
「あ?」
「……ご奉仕って、そういう…………?」
「それ以外に何があんだよ、この状況で。早く目ェ覚ませ」
いや、俺だってこの状況から目を覚ましたいが一向に目が覚めないのである。ぺちぺちと軽く頬を叩かれたのだって、夢なはずなのに痛い。さっきから触られる感触だってリアルだ。
というかだ。夢だけど俺とこの大人の竜胆くん、どう考えても体の関係持ってるよな? 恋人なのかセフレなのかは分からないがどこでどうなったらこういう関係に行き着くんだ? 竜胆くんが大人になるまでに一体何があったんだ?! とりあえず今分かるのは俺が貞操の危機を迎えてるってことだ! 夢だけど!
「いつも兄貴にイイトコ取りされてっからなァ、今日くらいはお前を独り占めしたっていいだろ」
「は、」
竜胆くんは苦々しげにそう吐き捨てて、自分のスーツに手をかける。ああ、色々とぶっ飛びすぎて思考が付いていかない。「兄貴にイイトコ取りされている」って、俺をイイトコ取りしてるってこと? 蘭くんが? もしかして蘭くんとも関係持ってたりするのか俺は? なに、俺は二股かけてんの? だとしたらとんだ泥沼だし爛れた関係すぎるだろ。なんて心の中でセルフツッコミをしながら目を白黒させるが、そんな俺は置いてきぼりだ。竜胆くんは着ているジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを緩め、そのスーツ姿はどんどん乱れていく。
そして、竜胆くんの下でアホみたいな顔で固まっていること数秒。シャツのボタンを中ほどまで開けた竜胆くんが、身をかがませて顔を近づけてくる。ああ、シャツから覗く右半身の蜘蛛の入れ墨、本当に竜胆くんだ、なんて現実逃避をする暇もない。
俺の鼻先で壮絶に色気のある笑みを浮かべ、大人の竜胆くんは爆弾発言を落とした。
「抱けよ、なまえ」
………いやこの流れで俺が抱くの??!!
「はっ…………?!」
「あ、起きた」
「は………、……え、…………あれ?」
テンプレのように飛び起きて思わず辺りを見回す。寝落ちる前に見ていた光景と変わらないものが、俺の視界に映っている。
俺と同じベッドで雑誌を読む竜胆くんに、床にあぐらをかいて携帯を弄る蘭くん。どれくらい寝ていたのか、寝落ちる前はカーテンから午後の暖かい光が差し込んでいたのが、今は斜陽が差し込んでいる。
ああ、………やっぱりあれは、夢だったのだ。
「………た、助かった………」
「助かった? どんな夢見てんだよ」
「………」
怪訝な表情を浮かべる竜胆くんとパチリと目が合い、思わず視線を逸らした。ついさっきまで見ていた夢の残像がフラッシュバックして重なってしまったからだ。
言えない………言えるわけがない…。竜胆くんに(性的な意味で)襲われた夢を見たなんて言ったら間違いなく蘭くんに殺される……。
「別に、なんでもない……」
「おいおいなまえ、ウソヘッタクソかよ」
「あんだよ、オレのベッド占領して寝てたくせに悪夢見るとかふざけてんのかシメんぞ」
「え、怖……」
そして理不尽である。いつものことではあるが、この時ばかりはその理不尽さになんだかちょっとほっとした。
その後、どんな夢を見たのかと─どうやら相当うなされていたらしい、なんなら起こしてくれても良かったのに─しつこく聞いてくる二人をなんとかその場は躱しきり事なきを得たのだが……。
あの不可解で不思議な現象がもう一度起こることになるとは、その時の俺は思いもしなかったのである。
「スッゲーブサイクな寝顔だったの撮っちゃった。見てなまえ」
「え、……っちょ、蘭くんなに撮ってんの! 消せって!」
「やぁだ♡(後で待ち受けにしよ)」