めしあがれ
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別に嘴平さんに言われたからではないのだけれども。
私は今、バイト先の厨房に立っている。
三角巾を頭につけて、エプロンを装着し、慣れない手ぶりで熱した油の前に居た。
横で見ていたバイト先のおじさんが「もういいだろ」と言ったので、ドキドキしながらエビを一つ放り込んだ。

家以外で料理することなんて初めてだから、勝手が分からなくてうまくいかなくて。
そこをおじさんが椅子に座ったままだけど優しく指示してくれたので、何とかなった。
イイ感じに揚がった天ぷらを見て私は心の底からほっとした。
そもそもホール担当の私が何で厨房に立っているかというと、これには深い訳があるのだ。

今日もいつものように学校が終わってすぐバイト先である、丼物飲食店に足を運んだまでは良かった。
まだ開店前の準備中だろうと、暖簾をくぐった先で見た光景は、座敷の畳の上で不自然な姿勢で倒れているおじさん。

「ど、どうしたんですか!?」

慌てて倒れたおじさんに近づくと「うぅ」とうめき声が聞こえたので、最悪意識はあるようだった。
私みたいな非力な女子高生の力ではおじさんの身体をなんとかうつ伏せから天井に向けることしかできなかった。
おじさんは顔を歪めて私を見て息を吐いた。

「腰を、やっちまった」
「腰?」

私にはその苦労が分からなかったのだけれど。
つまりは、ぎっくり腰だそうだ。
ランチの時間を過ぎて店を一旦閉めた時に、腰に電気が走ったらしい。
そこから私が来るまで倒れたままだったと。

とりあえず近くの薬局で湿布を購入し、それをおじさんの腰にべたべたと貼り付けた。
即効性はないものの、貼らないよりマシだろうとしたことが良かったみたいだ。
長時間立つことは出来なくとも、何とか短時間だけ座ることが出来るようになった。
とはいえ、こんな状態でお店を開けるはずもなく。
お店の暖簾の下には「本日臨時休業」の看板を下げておいた。

勿論本日は休みでも問題ないのだけれども、何日もこれが続くと大変だということで。
少しずつ厨房のお仕事も覚えてほしい、とおじさんに懇願されこうして私は厨房に立っている。
仕方ないことだし、それに関しては別に不満なんてない。
(むしろバイト代もその分弾む、と言われてほくそ笑んでいるくらいだ)
だけれども、先日食事に来た嘴平さんが言っていたように「お前が作れ」といった状況になっているのが、何だか面白くないなと思うだけで。

でも、実際お客さんの前に出すのは大分先になりそうだし、そのころにはおじさんも回復しているかもしれないし。
嘴平さんに提供することはないかな、なんて思っていたそんな矢先だった。

臨時休業と書かれているのにも関わらず、扉を開けて入ってきた嘴平さんと目があったのは。


◇◇◇


「おい、飯」

あまりの衝撃で私は出来上がった天丼の前でぽかんと立ち尽くしてしまった。
おじさんだけが「坊主、今日は休みだ」と冷静に返していたけれど、嘴平さんは何のその。
私の手の上にある天丼を見て「あるじゃねーか」と。

「あの、本当に今日は臨時休業なんです」

やっと正気に戻った私も慌てて言ってみたけれど、嘴平さんはその綺麗な瞳でじっと私の天丼を見つめている。
いくら何でもこれをお出しするわけにはいかない、と私は首をぶんぶん横に振ってみたけれど、嘴平さんの視線は変わらない。
おじさんは隣でしばらく私と嘴平さんを見ていたけれど、ふと何を思ったか「ん」と声を出し、

「今日はこれしか出せねえが、いいか坊主」

と、あろうことか私の作った天丼を出す前提で話を進めたのだ。
これには隣で立っていた私もビックリである。
さっきも言ったように今日は、おじさんが厨房に立てないからその間に料理を覚えるという前提で作った代物。
そんな練習第一弾をお客様に出せるとは到底思えない。
のにも関わらず、寸分置かずに嘴平さんは「いいぜ」とにやりと笑う。

「それ食ったら帰れ」

おじさんは溜息と共にゆっくり立ち上がると、身体を曲げながら店の奥の部屋へ消えようとする。

「え、おじさん?」
「坊主に食わせたら、今日は帰っていいからな、名前ちゃん」

振り返ることもせず、結局そのまま奥に消えるおじさん。
残されたのはおじさんの背中を見つめて立つ私と、きらきらした瞳でこちらを見ている嘴平さんと、そしてできたてほやほやの天丼。
暫く状況についていけずに固まってしまったけれど、嘴平さんの「食わせろ」という言葉に我に返った。

「しょ、少々お待ちください」

出すしかないみたいだ、この天丼を。
嘴平さんはいつものカウンターの席に勝手に座ると、横に置いてあった割りばしをぱきっと割り、ほらと促す。
私はその前に自分の作った天丼を置いて、あとから水を入れたコップもその隣に置いた。

嘴平さんは何も言わずに食べ始めた。
いつもと変わらない食べっぷりに安心するけれども、もしかしたらまずいかもしれない、という不安が頭を過る。
何か言ってくれればいいのに、ばくばくと口に放り込んでいる最中は、食べることに必死だ。

私は嘴平さんの席から一席開けて隣に腰かけた。
ただ私の天丼を食べ終わるのを、待っていた。

あっと言う間にお皿の中は空っぽになってしまった。
米粒一つ残さず綺麗に完食するのは嘴平さんらしいなーなんて思いながら、私は嘴平さんの言葉を待った。
嘴平さんが言ったのだ。「明日は名前が作れ」と。
実際その通り作ったのだから、感想の一つや二つ言ってくれてもいいだろう。

私が無言で嘴平さんを見つめているのが分かったのか、水を飲む嘴平さんが目を細めた。

「……」
「……」

何も言わない。
変な空気がお店の中を流れる。
学校では破天荒で近寄りがたい人だというのに、今日はどこか違うような気もする。
いつまでたっても紡がれない言葉に、私は諦めて口を開いた。

「おいしかったですか?」

期待はしていない。
ただ、こんなものしか出来ないので、これに懲りたら「作れ」なんて無茶を言わないでほしい。
そう思った。

だけど、嘴平さんはゴクリと喉を鳴らして、そっぽを向いてしまう。
そこまで露骨にしなくても。
少しだけ胸がチクりと痛んだ。

「…次は、弁当を」
「は?」
「次は弁当を作れ!」
「は?」

最初はとても小さな声だった。
あの嘴平さんとは思えない、そんな声。
で、聞き返した。
すると、若干顔を赤らめた嘴平さんが急に私を見たかと思うと「弁当を作れ」と。
聞こえていたけれど、意味が分からなくてもう一度聞き返した。

「なんで?」
「なん…なんでもだ。明日は俺の弁当を作ってこい」

この人と離していたら頭が痛くなりそうだ。
さっきまでの会話と全く繋がらない展開に私は眉を顰める。

「…その」

そんな私の様子に、何か口にしなければと思ったのか。
嘴平さんはさらに続ける。


「お前の飯が、食いたい」


整った顔に真剣にそう言われてしまえば。
私は自分がまるでプロポーズを受けたような、そんな感覚に一瞬陥った。

どくん、どくん。
胸の鼓動がリズムを刻んだ。



めしあがれ



お弁当を作るのも、悪くないと思い始めている自分がいる。





あとがき
てんさま、リクエストありがとうございました!
今回は短編の伊之助の続きを書かせて頂きました。
素直になれない感じの伊之助が好きだ。(どん)
伊之助夢なんて本当にこれくらいしか書いてなかったので、書けるか心配だったのですが、
わりと好きな感じの展開です。
こんなものでよければお収めくださいませー!

この度はありがとうございました!


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