練習その2 起こしてあげる


「おはよう」
『……』

これで5回目だ。
先程から何度電話を掛けても、時間をかけ、ゆっくり出たと思ったら無言が続き、そしてブチ、と遮断する音ともに電話は切れる。
5回目だというのに、今回も電話を出たそばからなんの反応も示さない様子を見ると、恐らくあと数秒で切れるだろう。

ブチン

案の定、そのまま電話は切れた。
彼女はきっとまだ夢の中なのだろう。
5回も電話に出ておいてまだ寝ているとは一体どういう脳の構造をしているのか、非常に気になるところではあるけれど、彼女にとってはこの電話は覚えてすらいない筈だ。
だから自分で起きろって言ったのに。

はあああ…と盛大に溜息を残して、俺は仕方なくカバンを掴んだ。

「早いな」

後ろから着替えてきた有一郎が声を掛けてくる。
俺と同じ容姿。
他人が見ればどっちがどっちだか見分ける事は不可能だろう。
お互い性格に違いはあるんだけれど。

普段よりもかなり早い時間に家を出ようとしている俺を見て、不思議そうに首を傾げていた。
俺はこくりと頷き「名前を起こしてくる」と言った。
有一郎はそれを聞いて少し驚いた顔をした。

「あいつ、起きんの?」
「…わからない」

俺たちと幼馴染である名前がそう簡単に起きないことを、有一郎も知っている。
小学校の頃なんかは二人で名前を起こすため、四苦八苦したものだ。
流石に中学生になってからは、そう言う機会はなくなってしまったけれど。
有一郎が驚いているのはそれだけじゃないようだった。

「お前が起こすの珍しいな。頼まれたのか?」
「いや、練習だよ」
「練習?」

まだよく分かっていないような顔の有一郎を背中に、俺は「行ってくる」と言い靴を履いた。
そう、練習。
名前に彼氏が出来たときの、ね。
勿論、その席には俺が座るつもりだけども。



「おはようございます」
「あれ?無一郎くん?」

名前の家まで、歩いて数十秒と言ったらいいだろうか。
流石によくある幼馴染の家が隣同士というわけではない。
だけども、三軒隣だと超ご近所の範囲だとは思う。
朝早くから余所のお家のインターフォンを鳴らすのは気が引ける、と思っていた所。
庭で花に水をやっている名前のお母さん。
水をやっていた手を止めて、俺を珍しい顔で見ると「名前?」と尋ねてくる。

「まだ寝てますか?」
「…ごめんね」
「いえ、起こしに来たので大丈夫です」

本当に心の底から申し訳無さそうに言う名前のお母さん。
想定内ですから。
名前のお母さんに了承を取って、お家にお邪魔させてもらう。
2階の階段を登れば名前の部屋だ。

「本当にごめんね」

何度も謝ってくる名前のお母さんににこりと微笑み「慣れてます」というと、少しだけ安心したようか顔で笑ってくれた。
初めてでもないし。
名前の部屋に入るのは久しぶりだけどね。

どうぞ、と言われたので問答無用で階段を上がっていく俺。
階段の下から心配そうな顔で俺を見ていた名前のお母さんにもう一度微笑み、俺は2階へと消えた。

扉の前に書かれた名前という札に目をやり、一応年頃の女の子の部屋なのでコンコン、とノックを2回。
勿論分かっていたけれど、返事なんてなかった。
時間にはまだ余裕があるとはいえ、あんなに電話したのにまだ起きていないなんて。
羨ましい寝相の良さだな。

嫌味のひとつを胸の内に吐いて、俺はそのままノブに手をかけた。

カチャリ、と音を立てて扉は開いた。
扉から1番遠い窓の壁。
名前のベッドはそこにあった。
残念ながら、名前はベッドの上にはいなかったけど。

「…ん…」

ベッド真横の床の上。
布団もかけないで、お腹が少し見えている姿に俺は苦笑が漏れる。
本当に年頃の娘?
小学校の頃の名前と全く変わってなくて呆れてしまう。

俺はそのまま名前の顔の前にしゃがみ込んだ。

「名前、起きて」

まずは一声。
勿論、5回の電話で起きない奴が、こんな一声で起きるとは思わない。
好奇心が出てしまってそろそろと人差し指を名前の頬にブスリ。

「…んん」

それでも固く閉じられた瞼は開くことがない。
眉間に皺は寄っているけど。

「名前、起きないと遅れるよ」

今度は鼻を摘んでみる。
ふが、と女の子らしくない音がして、瞼がピクピクと痙攣している。
もうそろそろかな。

鼻を摘んでいると、何ともだらしなく開いている口が目に入った。
……せめて口は閉じようよ。

顎をパチンと押さえて無理やり口を閉ざす俺。
口を閉ざすとそれなりに可愛い寝顔だった。
…ふーん。

摘んでいた鼻から手を退けて、視線は唇だ。
寝ているなら何をしても良いだろう、と囁く声が聞こえる。
それを否定する声は残念ながら見当たらなかったので、俺は自分の耳に髪をかけた。

そろりと名前の顔に自分の顔を近づけて。
まるで白雪姫か眠姫か。
これだけ寝ている名前が悪い、当然。
絶好の機会だと言わんばかりに、名前の顎に指をかけた。

俺の髪が名前の顔を掠めた時。
パチリ、と名前の瞼が開いた。
そして至近距離の俺と目が合う。


「…あれ?」


パチパチと数回瞬きをして、名前は呟いた。
起きたからと言って俺も近づけた顔を離すことなく、そのまま固まる。

「おはよう、名前」

あと数秒起きるのが遅かったら良かったのに。
そんな邪神を胸になんでもない顔で、おはようと口にした。
名前の方はまだ頭がぼーっとしているのか、瞬きを繰り返している。

「…へっ!?」

そしてやっとこさ、状況を理解して少々大きい声を上げた。
俺は自分の顔がぶつからないよう、後ろに下がると、そのタイミングで名前がガバっと起き上がった。

「なななんで!?」

仄かに赤い顔で俺を見る名前。
言いたいことは分かるよ?
まさか目が覚めたら俺が超至近距離にいたんだからさ。

「なんでって、失礼じゃない?人のモーニングコール無視したのは名前だよ」
「え、嘘!」
「……」
「…ごめん、本当は分かってます。すみません」

パジャマ姿のまま土下座する姿はなかなかに面白いけどね。
…まあ、イタズラが出来なかった事は残念だけど、顔を真っ赤にするくらい意識してくれたなら、良しとしようかな。

俺はそっとほくそ笑みながら、名前の赤くなった耳を見ていた。

そういう所が可愛いんだよね。

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