練習その3 一緒に学校へ行く


名前に無理矢理部屋を追い出されたので、俺は廊下で名前が着替え終わるのを待つことにした。
部屋の中からブツブツ文句の声が聞こえてくる時点で、俺が至近距離に近付いたのをあまり良く思ってないみたいだ。
別に文句言われようがこちらは問題ないし。
本来の目的と言えば、名前に意識してもらうことだから。

暫く待って「着替えたよ」とぽつり背中から聞こえたから、俺は背中にしていた扉からそっと離れた。
扉が開いて俯きがちな名前が制服に着替えて出てきた。

「下で用意してくるから、もうちょっと待ってくれる?」
「わかった。いいから早く行きなよ、わりと時間きついよ?」
「…えっ?」

部屋の時計を睨んで名前が大慌てで階段を駆け下りていく。
その姿を後ろから観察しながら、俺はゆっくり階段を下りる。
降りていく途中で名前のお母さんの声と名前の声が聞こえたから、朝ご飯を食べるだの食べないだのの話をしているんだろうと思う。
玄関で靴を履いて、ぽつんと待っていたら、パンを片手に持った名前が現れた。
結局食べる事にしたらしい。
俺もその方がいいと思う。
授業中に前の席からお腹の音が聞こえてきたら、俺まで笑ってしまうから。

「お、お待たせ!」

本当に待たされたな。
そうは思っても口には出さない。
最後の一口をぽいっと口に放り込み、もぐもぐと咀嚼している。
その流れで靴を履いて、玄関の扉を開ける名前。

一人先に玄関を出て、俺が外に出るのを待っている名前の横を通り過ぎる前に、空いていた左手をそっと握った。
それを見て名前がぎょっとした顔をしていたけれど、無視した。
練習だからね。ちゃんと手を繋がないと。
俺の言いたい事が良く分かったのか、名前は唇を尖らせて握られた手を見ていた。

昨日と同じように手を繋いで歩く。
昨日と違うところは、登校中の他の生徒にジロジロと見られる事かな。
名前は他の生徒の視線が気になるようで、何度も手を離そうとしたけれど勿論俺がそれを許すはずない。
固く握ったままニコニコと笑ってやると、名前は諦めたようにため息を吐いた。

「…何だか勘違いされそうだよ」
「どんな?」
「私と無一郎が付き合ってるって」
「ふうん」

それが目的の一つだと言えば、名前は困るだろうか。
…困るに決まっているか、彼女の想い人は俺ではないからね。
だから言及はしないけれど、握った手に込める力を強くした。

「名前の好きな人って、どんな奴なの?」

別に興味なんて一切ないけど。
…嘘。本当はバッチリ興味あるし、知りたい。
敢えて追求すると変に思われるから自然な流れで聞いたけどさ。
名前は少し考える素振りをして「うーん」と呟く。

「カッコイイの!凄くね」
「昨日からそればっかだけど」
「だって本当なんだもん」
「本当に好きか疑わしいね」
「す、好きだし!」

俺の言葉に必死になって頬を膨らませる姿は、ちょっと見たくなかったかな。
どうせなら俺だけのことを考えて欲しい。
こちらから振った話題だとしても、気分は良くないのでぶっきらぼうに「彼氏が出来るとは思えないね、今のままじゃ」と意地悪を言った。

いつもの名前ならすぐに「なんて事言うのよ!」と噛み付いてくると思ったんだ。
なのに、急に大人しくなって視線を下げて。
そして、悲しそうな顔で

「私も、そう思うよ」

と、静かに言い放った。

今まであまり見た事がない名前の姿に、俺は驚きを隠せない。
いつも元気と喧しいが取り柄のポジティブ小娘が、見た事ない顔をしている。
…俺が余計な事を言ったから、だよね。
謝るべきなんだろうけれど、なんて言っていいか分からない。
そんな顔をさせたのは俺の一言だとしても、名前の頭の中には俺でない誰かがいる。
それが腹立たしくて、寂しくて。
言葉に出来なくて、隣で唇を噛むことしか出来なかった。


「…多分、私の恋はすぐに終わると思うよ」


悲しげにそう言った名前に、俺は何も言えなくて。
それから学校に着くまで、ずっと2人で無言だった。



学校に着いてからは何事も無かったように手を離し、名前も自分の友達と仲良く喋りに行ったり。
その横顔を見て、ズキズキと痛む胸に気付かないふりをした。

名前の恋はすぐに終わる、と名前が言った。
その日の放課後に、それは突然やって来たのだった。


全ての授業が終わり、朝の様子から少しは機嫌が治っただろうと、教室の中で名前を探した。
トイレにでも行ってるのか、教室の中にはいないようだ。
ただ、昼休み明けから女子たちが色めきあっている気がしなくもない。
興奮したようにお互い喋って、最終的には頬を僅かに染めて。
どうせ、恋バナとか言うやつでしょ。

前の席にはまだカバンが残されたままなので、俺は戻ってくるまで机に顔を埋めて待っていることにした。
どうせ名前もその恋バナとかで興奮しながら戻ってくる筈だ。

そう思っていた。

瞼を閉じて脳裏に思い浮かべるは、朝の名前の顔だ。
悲しそうな顔なんて、長らく見てなかった。
最後に見たのは、幼い頃にエイプリルフールで俺たちが引越しすると嘘をついたときだ。
その顔を見て思わずすぐに種明かしをしてしまったんだっけ。

名前の悲しそうな顔には滅法弱いんだよね、俺って。


「無一郎」


頭の上で聞こえた声に俺は瞼を開けた。
もう戻って来たんだ。なんだかこっちはウトウトし始めていたから、丁度いい。
軽く伸びをして名前を見た。

「…どこ行ってたわけ…」

言葉の続きは紡がれることはなかった。
名前の顔を見て、俺は目を見開き言葉を失うくらい驚いたからだ。


ただ、静かに名前は泣いていた。

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