練習その8 仲直り


何もかもが腹立たしい。
俺の気持ちに気付かない名前も、そんな名前に意識してもらえない自分も。
名前が泣いたあの時に、どれだけ名前が好きなのか改めて自覚をしたというのに。
俺は何も出来ずに、ここ数日を過ごしていた。
何度か名前が話しかけようとしていたけれど、今更言葉に出来なくて。
無視するような形でずっと流している。

本当は返事もしたいし、名前と一緒に居たい。
このままでは駄目な事くらい分かっている。
それでもあの時、俺がそれでいいのか、と尋ねた時。
何も言わなかった名前を見て、半分諦めた。
俺のしてきたことは全部無駄だったって事。

どうすれば、良かったんだ。

目を瞑って思考を巡らせても結局の所、堂々巡りだ。
意味のない考えはやめよう。
今日はもう家に帰ろうか、と席から腰を上げようと思った。

名前のカバンがまだ前の席にあったから、何故か残っていただけなんだ。
どこに行ったのかは分からないけれど、もし名前が戻ってきたなら、久しぶりに少し話したいって、思っただけ。
でも、まだ戻ってこなさそうだし。

はあ、とため息を吐いた。
既に教室は俺一人。
空はすっかり茜色に染まっていた。

「無一郎!」

窓の外ばかり目を向けて、慌てて教室のドアを開ける人物に気付かなかった。
俺を呼ぶ声に思わず口が緩んでしまった。
馬鹿だなぁ、俺も。
ゆっくり振り返り、教室の扉の付近で立ち尽くす影に目を向ける。
名前は両手に拳を作って、一回大きく深呼吸をした。
こうして、二人になるのも久しぶりだなと思うけれど、捻じれきった俺の気持ちは素直に名前に反応してくれない。
黙って名前を見据えると、名前が口を開けた。


「……無一郎って、私の事可愛く見える?」

「は?」


何を言われるのか、と少し構えていた。
だけどこんな突拍子もない事を言われると思っていなかったので、思わず眉間に皺が一瞬で出来た。
口なんてぽかんと呆れた形をしているし、数メートル前の名前が宇宙人にすら思える。

突然何を言うんだ。

「何を言ってるか分からないんだけど」

口ではそう言いつつ、名前の質問を返すとすればそれはyesだ。
頭が足りない幼馴染だとは思うけれど、俺には世界一可愛く見える。
ただそれを素直に口にする事は、この場では出来ないけれど。

「私はね、無一郎の事、かっこよく見えるよ」

不意に心臓が高鳴った。
そう言いながらゆっくりと名前が近付いてくる。
目を逸らすことなく、俺をじっと見つめて。
普段の名前ならそんなこと言おうものなら、顔を真っ赤に染めて適当にはぐらかすかと思うのに。

「有一郎は私にとって、かっこよくないの」

双子の片割れである有一郎の名前が出て、また驚いた。
俺たちは同じ顔同じ背格好。
黙って同じ表情をしていれば見分けなんてつかない。
…名前には通じないけれど。

そんな双子の有一郎と俺は違う、と。
名前が照れずにはっきりと言葉にする。
……不覚にも、嬉しいと思った。

「どうして?」

あっという間に名前は自分の席まで戻ってきた。
そして、立ち上がるタイミングを逃した俺の机に手を付いた。
思わず息を飲んだ。
いつもの名前と表情がまるきり違うからだ。

名前は苦しそうに笑う。
そして、またその愛らしい唇で俺の名を呼ぶ。

「私からすれば、凄くかっこいいの。自慢の、無一郎なの。だからね、あの子にも言ったの、カッコイイよって」

くちゃっと名前の顔が歪む。
今にも泣き出しそうなそんな表情をしていた。
俺はズキンと胸が痛くなる。

つまり、俺は名前にかっこいいと思われているけれど、意識はされていなかったってこと?

「そしたらね『紹介して、協力して』って言われちゃってね」
「……」
「当たり前だよね、他の子の前で『無一郎は優しくてかっこよくて』って言ったらそりゃ好きになるよね」
「……名前」
「でもね、凄く後悔したんだよ。何で他の子にそんな事言ったんだろうって。無一郎の良さを知ってもらうのは嬉しいけれど、私だけが理解者でありたかったんだって」

ポタリと俺の机に雫が落ちた。
名前が泣きながら、俺の手に自分の手を重ねる。
その手は微かに震えていた。


「ずるいよね」


名前の泣き顔を見て、俺は言葉を失った。
何だろう、きっとその涙は俺の為に泣いてくれてるんだろう。
それが凄く嬉しいって思うのは、ダメだろうか。
夕焼けに涙が反射しているのさえ、凄く綺麗だと思う。

凄く、神秘的だった。

「……ごめんね、無一郎。私はやっと気づいたんだ」

制服の袖で涙を乱暴に拭う名前。
そんなことをしたら、目が腫れるよ。
自然と俺の手は名前の頬にあった。

意を決して言葉にしようとしていた名前の唇に指を当てて、言葉を制止する。
それ以上先は、名前の口から言って欲しくないんだよね。

だって、俺は名前にとってかっこいい男でありたいから。

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