16. 好き、と告げたかった

「真琴は知らないかもしれないが、善逸は泣き虫で女性に目がないような男だったんだ」
「……否定はしないけど、酷い言われようなんですけど」

苦笑いで善逸さんが苦言を呈する。
それを成瀬さんが何を笑っている、といった風にしかめっ面を見せて、それから私に向き直る。
先程までの善逸さんと成瀬さんが知り合いだと知った時の、少し嬉しかった気持ちが一瞬で氷点下まで下がっていく。
そんな私に気づくことなく、成瀬さんはどこか必死に言葉を紡いでいった。

「今は…真琴にとっていい夫かもしれないが、昔は…」
「昔は、そりゃもう情けないくらい泣き虫で、鍛錬の途中で逃げ出すし、道で見かけた女性に求婚するわで酷い人でした」
「……え?」

いつまでも黙っている事は出来なかった。
ずっと私が黙っていれば善逸さんの昔話を聞けるチャンスではあったかもしれないけれど、善逸さんにとって良くない話が永遠と聞かされるだけだということは安易に想像できた。
善逸さんが短気な方だと思っていたけれど、善逸さんだけじゃない。
私も、私の大切な人の話を不愉快に聞かされるのは我慢ならない。

じっと成瀬さんを見つめると、成瀬さんが戸惑ったような表情を見せた。
隣の善逸さんが私に向かって「ちょ…」と声を出してきたけれど、完全に無視だ。

「泣き虫弱虫のどうしようもない人だったんですけれど、本当に大変な時にこの人は逃げないんです。仲間を置いて逃げたりしないんです。自分が弱い事を知っている、強い人なんです」
「…真琴?」

ぶるぶるといつのまにか出来ていた拳が怒りで震える。
何でそんなことを言われないといけないんだ。
成瀬さんは確かに昔の善逸さんを知っているかもしれないけれど、今の善逸さんを知らないじゃないか。
仲間を、私を命がけで守ってくれる善逸さんを、知らないのに。

「昔の善逸さんを私は知りません。でも、昔の善逸さんだとしても、私はきっとまたこの人を選ぶ。……本当に、素敵な人なんですよ」

にこりと善逸さんに向かって微笑めば、善逸さんが言葉に詰まる。
それから私の手を握る善逸さんが「恥ずかしいんだけどさぁ」と笑った。
繋がれた手を見つめる成瀬さんが何かを言おうと口を開いた。けれど、その前に善逸さんが口を開く。

「晴臣」
「……」
「俺の奥さん、華みたいに可愛いのはいいんだけど、それに群がろうとするコバエがしょっちゅう湧くんだよね。……分かるだろ?」
「……あ、あぁ」

心ここにあらずといった顔で、成瀬さんが呟く。
それを善逸さんは確認すると「分かってくれて嬉しいよ」と黒い笑みを浮かべた。

「じゃあ、俺達はぴくぴっくに出かけなきゃいけないから」
「ピクニックです、善逸さん」

格好よく決めたかったのはよくわかるんだけれど、残念な事にカタカナが間違っている。
ただそれすら気にしない顔で善逸さんは私の手を引くと、そのまま成瀬さんの前から抜けて河川の近くへと歩き出した。
少し歩いたところで振り返ってみたけれど、成瀬さんは呆然とこちらを見ていて、まだその場から動いていなかった。

「なんだか、今日の成瀬さん、様子がおかしかったです」
「……何となく原因がわかってしまうのが、嫌だよ、俺は」
「どうしてですか?」
「真琴ちゃんは知らなくていいよ、一生ね」

そう言って善逸さんが成瀬さんの話題を閉ざしてしまったので、私も切り替えてピクニックを楽しむことにした。



◇◇◇



以前、夜道で襲われている女性を助けた。
警官として当然の事をしたまでだったが、彼女は心の底から礼を言って立ち去った。
次に会った時、それは昼間の道のど真ん中で。
買い物に行く途中だと笑う彼女が眩しく感じた。

最初はただの知人として言葉を交わすだけだった。
だけど、彼女の仕草一つ一つに心臓が高鳴っている自分に気づいたのは、それから間もなくのことだ。
いつもなら巡回の道を適当なところで変えていたが、変えてしまえば真琴に会えなくなることがわかっていたから、変えることもしなかった。
一日数回の会話。それだけが俺の楽しみだった。

憧れだった警察という組織に入ることが出来たがいいが、俺には剣術の才がなかった。
飾りだとしても帯刀する身、剣術の心得がないとなると話にならない。
どれだけ努力しようとも同僚には追い抜かされ、そしてついには後輩にまで影で笑われる始末だ。
警察とは、町民のために身を尽くすこと。
だが、このままでは俺は民を守ることは出来ず、警察組織の中でも「あいつは駄目だ」と烙印を押されることになる。
そんなギスギスした毎日に疲れていた。
そんな中、出会った真琴に、俺は少しずつ癒されていた。

男性慣れしてなさそうな容姿に引かれたのか、それともどこか他の女性と違う雰囲気を漂わせているからなのか。
今日は何の話をしようか、明日は何と声をかけようか。
毎日考える事は真琴のことばかりだった。

いつか、自分に自信が持てるようになった暁には、彼女に自分の思いを告げようと、そう決めていた。
彼女が俺の隣で微笑んでくれさえすれば、きっと生きずらい警察の中でもやっていけると。
いつか、そう…いつか。
そんな日が来れば、いいと、思っていたんだ。

「主人の作業場に。心配性なので、昼間のうちに顔を出してさっさと帰宅しようと思いまして」

ある日、芋羊羹を作ったと言って一つ俺に分けてくれた、その口で紡がれた残酷な真実。
主人、とは。
奉公先の主人、という意味ではあるまい。
彼女の笑みが今まで見た中で一番、柔らかく幸せそうな顔をしていたからだ。
そんな表情、見たことが無い。

笑みに見とれて、声が出なかった。
無理矢理口を開いて「…真琴は結婚していたのか?」と言えば、少し驚いた顔をした真琴が「そうなんです、先日式を挙げました」と笑う。
俺の耳に入るまで、それが奉公先の主人であれと望んだがあっけなく散った。
心臓がバクバクと音を立てる。
今まで真琴を見て鼓動していたそれとはまったく異なるものだ。
心臓が、冷えている。

「私を守ってくれる、素敵な男性なんです」

追い打ちをかける真琴の言葉に、俺の心臓が悲鳴を上げた。
誰だか知らない馬の骨、そんな奴が真琴を守れるはずがない。
聞けば近くの作業場で働く普通の男だという。
そんな男よりも、民を守る警察である俺の方が、真琴を守ることができるはずだ。
事実、暴漢から守った実績もある。

顔も見たこともない彼女の夫に醜い嫉妬がどろどろと湧き出てくる。
彼女の前ではこんな汚い俺を見せたくない。
俺は、何も言わないで彼女の前から立ち去った。

どうすれば。
どうすれば彼女は俺のものになってくれるだろうか。
彼女を離縁させるには、どうすればいい。
そんな邪な考えが頭を巡る。

好き、と告げたかった、だけなのに。