「鬼狩りの娘か」
ゾクリと全身を駆け巡る悪寒。
どこか覚えのあるそれに、頭の中で「そんな馬鹿な」と慌てて言い訳をする。
でも間違いなくその気配は、死を直感した時のモノで。
振り返る私の表情が自然と強張るのも仕方がないと思う。
振り返った先、私達より数メートル後ろにその人は立っていた。
正直、浮浪者同然の恰好、どこか異臭漂う姿に隣の成瀬さんが顔をしかめたのが分かった。
でも私は顔をしかめるなんて所の話ではない。
全身に力が籠り、今すぐにでも走り出さないといけない空気を感じ取った。
其の人の、目を見てしまったから。
……この人、混じっている…?
ざり、と足元の砂を踏み、足が動くことを確認した。
ダメだ、この人は。
今までの経験上、こういう濁った眼をした人は近づいてはならないと、身をもって知っているのだ。
「な、るせ、さん。逃げましょう」
口は何とか動いた。
まだ変質者を見る目で目の前の男を見ている成瀬さんに、私は必死で伝える。
「逃げる?」
成瀬さんは男から目を外し、小首を傾げて私を見た。
そして、私が震えていることに気づき、慌てて「どうしたんだ、真琴」と肩に手を置く。
私は男から目が離せない。
離したら最後、自分の胴が繋がっているのかも怪しい。
一体何が起こっているというのだろう。
なんで、こんなことが。
何故、鬼が存在しているの…!?
ゆらりと身体をゆらし、ゆっくり近づいてくる男。
口から吐き出された息が、まるで意思を持っているかのように男の周りに纏わりついている。
ありえない、だって。鬼は皆で倒した。もう一人も残っていないはずだ。
私の青ざめた顔から何かを察したらしい男は、ブンと勢いよく顔を上げて、私を見つめた。
「…っ…」
息を飲んだ。
男の目に白目が無かった。
にやりと口角が上がり、舌をちろりと顔を出して、また笑う。
異様な装いに成瀬さんも「なんだ?」と怪訝な顔を見せた。
「鬼狩りなのだろう、娘。その刀、忌々しい刀を持っているのが証拠だ」
刀。
鋭く尖った爪の生えた指を持ち上げて、私の背中にある日輪刀を指さす男。
もう一度、男は”鬼狩り”と言った。
その意味が私に残酷な真実をもたらす。
「……怖いか、娘。お前の考えている事が、手に取るようにわかる。何故、こんなところに鬼がいるのかと。どうして、鬼が存在しているのかと。そう言いたいのだろう」
耳を塞ぎたくなるような不快な声が私を狙い撃つ。
男はまた一歩一歩と近づいてくる。
私の肩が震えている事に気づいた成瀬さんが、私を背中に隠し、前に出る。
「男、それ以上この娘に近づくな」
そう言って成瀬さんが牽制する。
が、男の足は止まらない。ゆらりゆらり、確実に私に近づいてくる。
「あの人が死んだ時、俺はまだヒトだった。そう、クソみたいに弱く脆い、ヒト」
あの人とは誰だと問わなくても分かってしまう。
無惨、と小さく漏れた声を聞いた男が嬉しそうに顔を歪める。
その口から滴る唾液がぽつりと土に落ちた。
「残された血が消える前に、全部摂取した。なあ、鬼狩りの娘よ。あの人の最期はどんな最期だった? 最強の始祖の最期は、なあ?」
自らの掌を見せつけるように握ったり開いたりを繰り返す。
その拳から肉を握りつぶしたような音が聞こえて、それからボタボタと尋常じゃないくらいの出血がその場に流れた。
成瀬さんは目を見開いて驚き「何をしているんだ!」と荒々しく声を上げたが、私はその腕を必死で掴んだ。
「成瀬さん! 逃げてください! このままでは鬼に食われます!」
「…真琴、何を言っているんだ? 鬼?」
「振らないのか、刀を。お前のものだろう、それは」
私と成瀬さんを見ながら、男が喉を鳴らす。
それはまるで面白い光景を目にして楽しんでいるように見えた。
「お前たちが、殺したんだろう、あの人を。俺のすべてだった、あの人を。だったら今度は俺の番だ、順番に奪ってやる。お前から、順番にな」
男は私が鬼狩りだと勘違いをしている。
つまりは、成瀬さんだけでも逃げれば、生き残る可能性がある。奴の目的は私なのだから。
必死で制服を掴みながら、私は声を張る。
「逃げて、成瀬さんっ! 早くっ!」
「逃げる…? 真琴、いったいどうしたんだ?」
無理矢理成瀬さんの身体を押してみても、そもそも体格に差がありすぎて動きはしない。
困惑した顔のまま成瀬さんが私の肩を掴み、優しく問う。
けれど、そんな質問に悠長に答えている場合ではない。
男の、鬼の足が止まった。
私は恐怖で震える指をなんとか動かして、自分の懐にあった短刀を取り出す。
鞘からすぐに抜いて、鬼に向かって突きつけると、そこでやっと成瀬さんが表情を変えた。
「真琴…!! 何を!!」
私の短刀を見て、それを奪おうと手を伸ばす成瀬さん。
だけども、それは遅かった。
鬼がニヤニヤと笑い立つその影が、私達の間合いを詰めるように伸びてきたからだ。
私と成瀬さんの間を割って入るように伸びた影から、勢いよく飛び出したのは鋭い爪だった。
着物の裾を割く音と、成瀬さんの腕を掠めた音。
「ぐぅ…っ」
成瀬さんの腕から飛び散る血液。
腕を押さえ、混乱する表情のまま成瀬さんが声を上げた。
「成瀬さん!」
横に倒れる成瀬さんに駆け寄り、私は傷口を押さえる。
傷は深くはないようだ。寸前で成瀬さんの腕を押さえたのがよかったのかもしれない。
だけど、一歩遅ければこの腕は成瀬さんから離れ、地面に転がっていたことだろう。
私は袖の中からハンカチを取り出し、それを傷に当てながらもう一度叫んだ。
「逃げてください! 今すぐに!」
でなければ、貴方と私はこの場で死ぬ。
状況を理解できていない顔の成瀬さんの瞳が揺れる。
私は奥歯を噛んでもう一度、鬼に向かって刀を向けた。
状況は、過去一最悪である。