「善逸…!? 真琴を連れて逃げろっ!」
私を抱く善逸さんに気づいた成瀬さんが声を張り上げる。
多分成瀬さんも何が起こったのか、未だ理解できていないようだった。
目の前に鬼が繰り出した爪が何本も折れて地面に転がっている、その様子が。
何故爪が私に触れることなく折れたのか、それは紛れもない私を抱いたこの人が見えない速さでへし折ったのだろう。
勿論私は目を瞑っていたので見てもいないけれど、何となくわかる。
「真琴ちゃんを守ってくれた事には感謝するけど、何でそもそも晴臣と一緒なんだよ」
チッ、と舌打ちと共に不機嫌そうな声が成瀬さんに向かって放たれた。
成瀬さんは先ほどの「逃げろ」と言った言葉を完全無視された発言に「はぁ!? 今はそんなことを言っている場合じゃ…!」と更に言葉を荒げている。
一般人からすればこの状況でこんな呑気なことを言っている善逸さんは、とてもじゃないけれど正気ではないと分かる。
だけども、今一番余裕のあるのはこの人だけなのだ。
「俺の可愛い奥さん。これ以上生傷増えてもらったら困るから、ちょっと離れててね」
ひょい、と刀を片手に持ちながら私の身体を持ち上げた善逸さん。
私は突然自分の身体が持ち上がったことで驚き「ひゃっ」と声を上げたけれど、善逸さんはとても大事そうにお姫様だっこをしてくれて、そのまま成瀬さんの隣にゆっくり腰を下ろしてくれた。
何が何だか理解できない成瀬さんは呆然としながらも、真剣と善逸さんを交互に見比べている。
「言っとくけど、指一本でも触れたらその指全部落とすから」
善逸さんは背中を向ける前に、成瀬さんを睨み散らし、おまけにまた一つ舌打ちを残して、器用に刀をくるくると回しながら鬼に向かって歩いていく。
成瀬さんが止めようと手を伸ばしたのを、私が慌てて制止した。
「真琴っ…」
「大丈夫です、成瀬さん。善逸さんなら」
まだ不安そうに揺れる瞳に言い聞かせるように。
先ほどまで恐怖で一杯だったけれど、それももう終わり。
何故なら善逸さんが刀を持ったから。
数か月振りに真剣を持つ姿は、こんな状況で大変申し訳ないけれども、とても絵になった。
私の、大好きな、光景。
「クソがクソがクソがあああ!!」
自分の攻撃がバラバラのバラになって地面に転がっている状況が当たり前だが面白くない鬼は、奥歯を噛みながら善逸さんに向かって手を翳す。
すぐさま、先程見た黒い影の塊が球体になって宙に浮いた。
善逸さんはそれを面倒臭そうに見つめていたけれど、はあ、と一つ溜息を吐いて瞼を閉じた。
空気が、変わった。
シィィ、と前までよく聞いていた呼吸が私の耳に届いた。
心地いいと感じる間もなく、善逸さんの片足がズザ、と後ろへ下がる。
そのまま身体が低くなって腰にそっと持ち替えた刀に手を掛けた。
「な、何が」
隣の成瀬さんの驚いた声が聞こえる。
きっと彼は知らないだろう、こんな善逸さんの姿を。
昔とは比べ物にならないくらい強い、善逸さんの姿を。
私の愛しい人の、姿を。
「雷の呼吸」
いつも私の名を呼んでくれるその口で、久しぶりに聞いたその言葉。
数か月経ってもなお、衰える事のないそれに私は胸がいっぱいになった。
鬼はやっと状況を理解したようだ。震える唇が「お、お前が…鬼狩りっ」と叫んでいる。
気づいた鬼が慌てて球体を操り、私達の時よりも多くの爪を善逸さんに向かって攻撃を仕掛ける。
けれど、善逸さんは慌てることなく、後ろに伸びた足を大きく踏み込んだ。
「壱ノ型 霹靂一閃」
声を聞いたが最後、私の視界にはその姿を捉える事は出来なかった。
目の前の影の球体と爪はもろとも木っ端微塵になり、跡形もなくなった。
ピリピリと辺りに走る閃光が遅れてやってくる。
例え私の目に映らなくとも、逸らすことは出来なかった。
「ぜ、善逸!?」
驚愕した声が隣から聞こえた。
きっと成瀬さんも見えていないだろう。
閃光が辺りから消えて、しばらく経ったあと、その場に残った黄色い人影。
刀は既に鞘に収まっていた。
「ところで、何で鬼がいるの?」
ふらりと背筋を伸ばした善逸さんが、すっかりお尻をついてしまった鬼の目の前に立った。
ギロリと睨みつける視線に恐れおののく鬼が手に取るようにわかる。
ドスの利いた声よりも恐ろしい。
何故ならば、自分が死ぬ直前に聞く最後の言葉なのだから。