「さあ、時間もあまりありませんし、急がなくてはいけませんね」
「時間? 藤乃さん、どういう…」
白いお着物を優しく抱き、それをそっと私に手渡しをする藤乃さん。
もしかして、と嬉しい想像が頭をよぎるけれども、確信はない。
まだ混乱する顔で藤乃さんを見るけれど、藤乃さんは何も答えてくれない。
私の想像が正しければ、このお着物は…もしかして。
「これって…」
「そんなお話は後ですよ、いいから鏡の前に立ってくださいね」
有無を言わせず私の帯を緩めにかかる藤乃さん。
されるがまま、抵抗することなく私は目の前にある鏡を見つめていた。
鏡の中の私はやはり、戸惑いが見られた。
しゅるしゅると私の着物が脱がされていき、そして代わりに手に持たされていた白いお着物に袖を通す。
とてもじゃないけれど一人で着られる代物ではなくて、見ただけで上等なお着物だということがわかった。
振袖のように長いお袖も、汚さないように腕を少し持ち上げて、想像以上に着込んだ着物に少し熱を感じたところ。
藤乃さんが「ふう」と息を吐いた。
「綺麗ですよ、真琴さん」
「お、お着物が素敵なんです…」
ふふ、と鏡越しに微笑まれ、私は思わず赤面してしまう。
いつもの着物とは違うそれ。
いくら鈍い私でも、これがどんな時に着るお着物なのか、流石に見当はつく。
どきどきと心臓が嬉しい悲鳴を上げていた。
以前、愈史郎さんと会話した内容も頭を掠める。
『式はしないのか? しないなら写真でも撮ればいい』
まさか、そんな。
あれが現実に起ころうとしているのだろうか。
誰が…いや、そんなことをするのは一人だけだ。
着物を着た私を座らせると、今度は私の顔に白粉を叩いていく藤乃さん。
真剣な表情だけれども、どこか楽しそうなその顔に、こちらまで嬉しくなってしまう。
「私もお話を聞いたときは驚いたんですよ」
「え、っと」
「あ、動かないでくださいね」
「は、はい」
詳しく尋ねたいけれど、お化粧を施してくれているので、あまり表情は動かせない。
そんな私の聞きたいことが手に取るのだろう、藤乃さんがそのまま続ける。
「花嫁を幸せにするんだそうですよ。式はその第一歩だと」
そんなことを、あの人が口にしたのだろうか。
恥じらいが先行してあまりそういうことは言わない、あの人が。
それだけ想われているなんて、自惚れもいいところかもしれないけれど、そう確信してしまう。
「…髪は、まとめ上げることは出来ませんね」
「いいんです、この長さは私、気に入っているので」
なんとか私の短い髪をアップにしようとしてくれたけど、あまりにも無理がある。
難しい顔をした藤乃さんを安心させるように言うと、ほっと藤乃さんの表情が緩んだ。
そんな中、こんこん、と扉を叩く音がした。
丁度こちらの用意が出来た所だった。
藤乃さんが慌てて立ち上がり「はーい」と言って、玄関へ走る。
私も動きづらい身ではあるけれど、尋ねてきた人の顔を見ようとゆっくり振り返った。
「おお、花嫁の準備も整ったか」
そう言って、扉から顔を出したのは。
「宇髄、さん?」
眼帯の色男が、自身のお嫁さん三人を後ろに控え、そこにいた。
私は驚きのあまり、思わず唇に手で触れてしまいそうだったけれど、寸前でそれを止めた。
折角藤乃さんにお化粧してもらったのに、剥げてしまう。
「どうぞ」
藤乃さんが相変わらずにこにこしながら、宇髄さんを招き入れる。
お家に入ってきた宇随さん、そこまで小さい家ではないのに宇髄さんみたいな大男が入ると途端狭く感じてしまう。
宇髄さんやお嫁さんたちは所謂、正装をしていた。
なんとなく、状況を察しつつある私は、私の真向かいに腰を下ろした宇髄さんに向かって正座をし直し、ゆっくり頭を下げた。
「一応、俺が善逸の保護者だからよ。花嫁に挨拶しに来てやったぜ」
「保護者と言う割には善逸くんから物凄く嫌われてるのに…」
「本当の事でもそんなこと口にするな、須磨!」
「あんたたち二人、煩いわよ」
宇髄さんはちっ、と舌打ちをして後ろに控えるお嫁さんたちを睨む。
口を開こうとする須磨さんを両サイドに座っていたお二人が慌てて口を塞いだ。
それが面白くて私は気が付けばくすくすと笑みが零れていた。
「宇髄さんも知ってたんですか…」
「知らねぇのはお前だけだ。今頃あいつ、屋敷の中の準備するのにてんてこ舞いだろうよ」
「……ほんと、突然なんだから」
「いいじゃねえか。若いうちだぜ、そういう無茶ができるのも」
暫く宇髄さんたちとお話をして、それから迎えがあるんだと言われて促されるまま外へ出た。
都会でしか見ない車がうちの前に停車していて、私は顎が落ちそうだった。
「なんです、これ」
「車だ、知らねえのか」
「よく存じておりますけども、そういう事を聞きたかったわけではなくて」
いいからさっさと乗れ、と折角着付けしてくれた私の背中をボンと押し、無理やり車に積み込む宇髄さん。
宇髄さんの後ろにいた雛鶴さんが「天元様、花嫁ちゃんになんてことを!」と声を荒げる様子を見つつ、私はぽかんである。
私の隣に藤乃さんが座り、窓の外に向かって小さく会釈をすれば車がゆっくり発進する。
現代のそれとは乗り心地は全然違うけれど、それでも徒歩よりも格段に速い。
窓から後ろを眺めたら、ちょうどもう一台の車がやってくるところだった。
それに宇随さんたちも乗り込む様子が見えたので、私は安心して視線を前に戻した。