涙味の
善逸の私を抱きしめる力が凄く強くて「んぶ」と変な声が出た。
それを聞いて善逸はすぐに力を緩めたけれど、相変わらず私の背中まで手を回したまま。
善逸の身体が震えているのを感じながら、私は善逸の胸に手を当てる。
バクバクと鼓動する心臓。緊張なのか、突然の事に驚いているのか。
どちらにしても私はただ善逸の胸の中で小さく息を殺して、善逸がしゃべりだすのを待った。
「……最初は大したことなかったんだ」
どれだけそうしていたのかわからない。
やっと耳元に聞こえた掠れ声。
私は何も言わないでこくりと頷く。
「ただ、プロデューサーだか何だか知らないお偉いさんと、食事をするだけだった」
「……」
語尾が少しずつ力を失っていくのがわかる。
それだけ言いたくない話なんだと分かったので、無理して話すことはない、と私は善逸を見た。
けれど、善逸は悲しそうに笑って「大丈夫」と一言。
全然、大丈夫そうには見えないけれども。
でも、善逸が私に話そうとしているのなら、きちんと聞くべきだ。
私だけが、それを分かってあげられる。
自惚れかも、しれないけれど。
「それがさ、最初は三人で参加していたのにいつの間にか、俺にしか話が来なくなって」
「…善逸、だけ」
「小料理屋だったのが、ホテルの一室になったときに俺は気づいたんだ」
「……」
「そういうことを、強要されてるんだって」
あ、勿論相手は女の人だよ、と変わらないトーンでポツリと呟かれて。
私は血の気が引いていくのを感じていた。
アイドルの、善逸が、女の人とホテルの一室に。
それだけで何が行われようとしていたのか、察せないほど馬鹿でもない。
「……すぐに気が付いて、とりあえず相手に酒で潰れてもらっている間に出てきた。それからは、言わなくても分かるよね。名前に拾って貰ったから」
「善逸」
「何で俺が、って思ったけど、よく考えれば俺が適任なんだよ。炭治郎はそういう仕事を許さないだろうし、伊之助はきっと大暴れするし」
「違う、善逸」
今のも死にそうな顔で善逸は続ける。
けれども、私はそれを遮って首を横に振った。
違う、違うよ、善逸。そんな仕事に適任者なんていない。
「実際、お偉いさんと食事に行ったことで貰えた仕事もある。だから、一晩過ごすだけで、俺たちは、K-styleはもしかしたら、もっと大きな仕事を貰っていたかもしれない。俺が、俺だけが我慢すればよかった、って思うとあいつ等に申し訳がなかったんだ」
「……」
「でも、出来なかった。逃げた」
「うん」
善逸の背中の服をぎゅ、っと握った。
大丈夫だと、間違ってないと。そう伝えたくて。
いつの間にか私の目には涙が溜まっていて、ツーと頬を伝ってシーツに染みていく。
善逸は急にぎょっとした顔になって私の頬に手を伸ばす。
「ご、ごめん、嫌な話して」
少し焦った顔は初めて見たかもしれない、なんて頭の隅で考えながら私は緩く首を振った。
嫌な話だったから涙が出たわけじゃない。
私は、善逸の気持ちが分かったから。胸が、痛いから。
「善逸がK-styleを好きなの、知ってるから」
それは一緒に暮らしているから、知った話ではない。
ずっと彼らを追ってきたからだ。
私が一番つらいときに好きになった、彼らを。
善逸がどれだけK-styleを、炭治郎と伊之助を大事にしているのか、それはテレビを見ているだけで分かる。
大変な仕事もあっただろうし、それでも今まで続けてこられたのは、他の二人のため。
優しい、善逸だからだ。
「K-styleを無くしたくなかったんだ、よね」
そんな善逸があの日、二人で外に出た日にあの報道を見た時、どう思ったのだろう。
自分が逃げたから、無期限の休止。
炭治郎と伊之助にはきっと何の説明もされていないことが分かる。
じゃなければ、まだK-styleが存在しているはずがない。
ただ、ただ。善逸だけがつらい目にあった。
だから、雨に打たれていた善逸は、すべてを諦めたようなそんな目をしていたんだ。
全てを理解して、私はもう自分の涙を止めることは出来ない。
善逸も、同じだ。
独りになったのだ。
「ちょ、マジで泣かないで…俺、どうしたらいい?」
ボロボロ泣き止まない私に焦りすぎて素早く頭を撫でてくる。
頭を撫でて泣き止むなんて、子供みたいなことあるわけないでしょ、と口にしたかったけれど、私の口からは小さな嗚咽しか漏れない。
痛い、痛い。胸が苦しい。
善逸が泣かないから、余計に苦しい。
私が泣いてどうにかなる問題でもないことは分かっているのに。
「…っ」
私の頭を撫でていた手はそのうち、後頭部に回り。
ぐいっと引き寄せられたと思ったら、気が付いたときには私の唇に柔らかい感触があって。
眼前には善逸の柔らかな前髪があった。
一瞬で時が止まった。
善逸の唇と、私の唇がくっついている。
驚きすぎて抵抗することも忘れた。
5秒、10秒。
どれくらいだったのかは分からない。
短くない時間でやっと善逸の唇は離れて行って。
その閉じられていた瞼がゆっくり開いて、真剣な顔で私を見ていた。
「泣くな」
さっきまでの死にそうな声とは全く違う、強い善逸の声。
私は何の反応も出来なかったけれど、涙はもう止まっていた。