昔は家族だったんだよね
「名前!」
居るはずもない声が乱暴にガラス戸を開ける音とともに聞こえた。
振り返るよりも先に私の前に姿を現したかと思うと、そのまま後ろ手に私を庇い、叔母さんに向かって睨みつける。
驚きすぎて私はすぐに声が出なかった。
目の前で「なな、何この男!」と悲鳴を上げる叔母さんに意識すら向かなかった。
なんで、こんなところに善逸がいるの?
外に出てって、言ったはずなのに。
ねえ、どうして。
「あんた、名前の家族じゃないのか?」
今までで聞いたことのないくらい低い声。
怒りで震えるように聞こえるその声は、私と叔母さんの肩がびくりと揺れるくらいの衝撃があった。
それなのに。
私の手を握るこの掌だけは、とても優しくて。
それだけで今まで枯渇していた涙が溢れ出そうになった。
「…は?」
「名前の家族じゃないのか、って言ったんだよ。まあ、違う事分かってて聞いたんだけどさ」
「何言って…勝手に人の家に入ってきた癖に何を…」
「家族でもない奴に言われたくないよ。勝手もクソもここは俺の家でもある。名前は俺の家族だ」
顔面の色を赤やら青やら色々な色に変化させて、叔母さんは口を開いた。
それを茶化すわけでもなく、真剣に受け答えをする善逸。
ただ、その一言一言の重みが、私にも伝わってきた。
「ぜん、」
何か言おうと口を開いたけれど、ぎゅっと強く手を握られ「黙って」と合図を送られた。
頭の中は混乱したままだけれど、どうしてこの手に安心してしまうんだろう。
こんなところを見られたくなかったから、外に出てもらったのに。
ずっと心配で、傍で見てくれていたんだろうか。
「名前! あんた親が残した家に男と同棲してたわけ!? 何を考えているの!?」
「そんなことはどうでもいいんだって。それよりオバさんさ、」
叔母さんの言葉を遮るように善逸が冷淡に言葉を発する。
そして、怒りで荒い息を繰り返す叔母さんがふと顔をあげて善逸の目を見た。
叔母さんの目は一瞬のうちに、見開いて目の色を変えた。
「アンタ、名前の家族が死んで、ずーっと心躍ってんだろ」
ひゅっと叔母さんの喉が小さくなった。
善逸が私から手を離し、自分の耳に人差し指で指して、ふう、と息を吐いた。
何を、善逸が何を言っているのか分からない。
喜んでいる…? 私の父と母と兄が死んだこと、を?
叔母さん、が?
「ずっと聞こえてんだよ、心臓が跳ねる音。そんなに楽しいのかよ、名前の家に来て、名前を詰って、仏壇の前で悦に浸ることが」
「何を、何を言ってるの!? あた、あたしは、姉の、姉家族が死んで…」
「死んでからずっとだろ、それ。俺には分るよ、アンタがこの家に入った時から、心の底から楽しくて幸せで仕方ないって思ってる」
「馬鹿じゃないの!? 頭おかしいわ、名前こいつ何なの!?」
叔母さんの必死な表情が善逸の身体の隙間から確認できた。
その表情は決して冤罪を突きつけられたようなものではなくて、「図星」を突かれたような、そんな。
後頭部を殴られたような衝撃が走った。
一瞬のうちに昔の記憶が蘇ってくる。
今まで忘れていた、記憶が。
『…また叔母さんから?』
電話の受話器を置いた母が、溜息を吐いたのを確認して私は声を掛けた。
母は私に見られていたことで、一瞬隠そうとしたけれど、隠せることでもないと思ったのか諦めて『そうなの』と呟く。
その声色は暗く沈んでいた。
『お金が足りないみたい。もうおじいちゃんのお金も残っていないんだって』
『まあ、散財化だからね。どうするの?』
『勿論貸しはしないけど、説得しないといけないわ』
『言ったところで、聞くような人かな』
そう言うと母は困った顔で弱弱しく笑って
『それでもお母さんは、あの子の姉だもの』
と言った。
「……昔は家族だったんだよね」
今まで黙っていた私が急に口を開いて、善逸と叔母さんの視線が私に集まった。
私は善逸の背中を「大丈夫」の意味を込めて軽く押した。
善逸の口元が僅かに笑っているような気がした。
「お母さん、ずっと叔母さんの事、心配してた」
「あんた何の話をしてるの?」
「なのに、叔母さんは分からなかったんだよね。鬱陶しかったでしょ、私達」
「…はぁ?」
ごめんね、お母さん。
叔母さんとは仲良くなれないや。
ぎゅっと自分の掌を強く握って、私はふ、と笑う。
叔母さんは気味の悪いものをみたように表情を歪めた。
もう表情すら隠すことなくなったよね。きっと、私達の縁はここまでだ。
「叔母さん、これからもお金は渡せない。私は家族の残したものを守らなきゃいけないから」
ごめんね、と本当に可哀想なものを見るように呟くと、見る見るうちに叔母さんの表情が土色に変わる。
ずっとそれが目当てだったよね、分かっていたはずなのに、頭が回ってなかった。
家族を亡くしたことで、頭がいっぱいだった。
それに気づけたのは、善逸のお陰だ。
「…この男に何を吹き込まれたか知らないけれど、後悔するわよ」
「しないよ。だって、私の家族はもう善逸だけだもの」
「…バカな娘」
叔母さんは私と善逸に肩をぶつけながら、ズカズカと部屋を出て玄関の方へ向かっていく。
姿が廊下へ消える前に、私の方をちらりと見ると、鋭い目付きで睨みつけた。
「……後悔させてあげるわ」
苦々しく呟いて、叔母さんは玄関から出て行った。
ドタン、と荒々しく閉められた扉の音にびくりと身体を反応させて、私はやっと大きく深呼吸をした。
「あー…お腹すいた」
思わず零れた言葉に善逸が隣でくすりと笑ったのが聞こえた。