水も滴るイイ男とは彼のこと



「お風呂ありがとう」
「ど、どういたしまして」

ホカホカの体で、首からバスタオルを下げた男がリビングへ顔を出した。
日本人離れした金髪に滴る水を丁寧にタオルでふき取る姿は、ほんの少し色気さえ感じる。
私が善逸推しだったら奇声を上げてぶっ倒れているところである。
残念なことに私は伊之助一筋。善逸にはさほど興味はなかった。

興味はない、とは言え一つ屋根の下にテレビでよく見るアイドルがいるなんてまるで漫画の世界みたいだけれど。


路上で「善逸」と口にした瞬間、くちゃりとその端正な顔が歪んだ。
彼はアイドルとしての善逸を認知されていることに不快感を表したのだ。
それでも背に腹は代えられないからか、不機嫌にしながらも私の後を大人しくついてきた。
道中はもちろんフードを深く被って。
私もぜひそうして欲しいと思っていた。
人通りが少ないかもしれないが、アイドルが路上を歩いているなんてバレたら大変なことになるのは想像容易い。

そもそも何でアイドルが雨に濡れて路上に座り込んでいたのだろうか。
気にはなったけれど、それを堂々と口にして尋ねられるほど、私は神経図太くなかった。
私も自分の仕事について尋ねられた時、そっとしておいて欲しいタイプだからだ。
自分の仕事の辛さは本人にしかわからない。
それを口にして同情して癒してもらう方法もあるだろうけれど、私はどうしても苦手だ。
自分の弱さを口には出来ない。

だって私は独りだから。

だから、無理に彼に聞くことはしなかった。
アイドルなんて、普通の仕事とは全然違うだろうし、テレビの中でにこりと微笑む善逸だろうが、つらいこともあるだろう。
一般ピーポーが「そうね、つらいね、大変ね」なんて軽く口に出していい世界ではないはずだ。
自分がその立場なら、そんなセリフを口にされた時点で嫌悪している自信すらある。

どうせ、適当にしてたら勝手に帰るだろうと、その時は思っていた。


「家族は?」
「私だけ」
「ふうん」


善逸はキョロキョロと部屋の中を見渡し、テーブルの前に腰を下ろした。
私は善逸から距離を取ってなるべく遠いところに座った。
やっぱり芸能人は生で見るほうがイイ顔している。
それを簡単に直視なんてできない。

善逸が着ている服は、兄の服だったものだ。
一応新品のパジャマがあったので、それを渡したけれどサイズ的には問題なかったようだった。
私はコンビニに行きそびれたので、酒ではなくウーロン茶をコップに注ぎ、二つ並べてると、善逸を眺めた。
やはりどこからどう見ても、K-styleの善逸だ。
他人の空似説を考えたけれど、すぐに「いや、本人でしょ」と否定する声が頭で響く。
あれだけ追いかけていたグループである。
推しではないとはいえ、見間違えるようなことはないと自負している。

「……伊之助好きなの?」
「ハイ」

善逸はリビングの壁に掛けられた伊之助グッズを見て、ほう、と感嘆の声を上げた。
「あ、これメジャーデビューするときに作ったグッズ」とか「初期のファンクラブのメンバーグッズ」とかブツブツ呟きながら、周りを眺めている。
正直口に出さないでほしかった。一応伊之助本人ではないけれど、同じグループメンバーに自分の宝物を見られていると思うとそれはそれは恥ずかしいからだ。

大体、K-styleの善逸と知っていたら「お風呂入る?」なんて誘わなかった。
それだけうちにはK-styleの物であふれていた。

「俺のグッズ、一つもないけど」
「……」

唇を尖らせて、目を細める姿に私は耐えきれず視線を外した。
グッズがないのは当たり前。
答えは私の推しじゃないから。
三人のグッズはあるけれど、善逸個人の物なんて一つもない。

「あんまり見ないで」

恥ずかしさが限界点に達して、やっと私はそう呟いた。
いくらなんでも眺めるのだけはやめてほしい。

「見ないでと言われても、こう自己主張激しい感じで飾られてると、嫌でも目につくよ」
「…それは祭壇を作っているから…」
「祭壇?」
「ナンデモナイ」

ファンの中には自分の集めた宝物たちを祭壇のようにして飾っている人間もいる。
……私の事だけれども。
だけど、決して本人たちに見てほしいから作ったわけではない。
自分の自己満足のために作ったものだ。

「……まあ、いいや。どうして家に入れてくれたわけ? 一応、俺が善逸だってわかってるのに」
「むしろアイドルと分かって家に誘わない女なんている?」
「アンタ、俺が善逸だって明かす前に『風呂入る?』って聞いてきたじゃん」
「いや、まあ、そうだけど…」

やっぱり夢なんじゃないかと思う。
兄のパジャマを着て、うちのバスタオルを下げて、私が入れたウーロン茶を飲むアイドルが、目の前にいるなんて。
それくらい現実離れした光景だと今更思う。
ぶっちゃけ、テレビでの印象と目の前で実際に会話している印象は若干差異があるけれども。


それでも、放っておくことはできなかった。

あんな、悲しい目をした人を。


それを口に出すと嫌なことを思い出させてしまうかと思って、きゅっと唇を結んだ。


「正直、助かったから俺としては何でもいいんだよね」

いつまでも口を割らない私に呆れたように呟く善逸。
まあ、そんな風に割り切っていただけるならこちらとしては気持ち的にも楽だ。
あとは適当なところで彼が帰ってくれるのを待つのみ。

「なんか飯ない?」
「飯?」
「飯も食わないで出てきたから、腹減ってんの」
「カレー or 肉じゃがでよければ」
「何その意味不明な組み合わせ」

一度冷蔵庫にしまったそれらをテーブルまで持ってくると、善逸の口元がひきつったのが分かった。
いや、まあね。
私だってあり得ない組み合わせだとわかっておりますよ。
はあ、と溜息を吐いて目の前に置いたら、善逸は「味付け違うだけで材料一緒じゃん」と文句言いながらも、二皿ともぺろりと平らげてしまった。
結構お腹すいてたんだなぁ、と思いながらそっとおかわりの肉じゃがを用意したら

「嫌がらせ?」

と、口元を引くつかせて私を見た。


「…黙って食え」


相手はテレビの中の住人だというのに、私はわりと失礼な態度を取っているような気がしなくもないけど、
善逸を相手にしているこの時間はここ最近の疲れを違う意味で吹っ飛ばしてくれた。


prev next