今更名前を尋ねるなんて、失礼ではなくて?
不覚にもその笑顔にときめいてしまった。
推しでもないのに。
そんな姿がバレたくなくて私は慌てて顔を逸らした。
「そう言えば、あんたの名前なんて言うの?」
思い出したようにぽつりと呟く善逸。
今更な発言に私はまた口元が緩んだ。
「半日以上一緒に居て、今更聞くんだ」
「よく考えたら聞いてなかったと思って」
「よく考えないと気づかないんだ…」
「うるさい」
何だか私たち、バカみたいな会話をしているなと思ったらどんどん笑いが込み上げてきて。
くっくっくと不思議に笑う私を見て、善逸の顔が怪訝そうに歪む。
久しぶりに他人と過ごして気が良くなったのかもしれない。
そういう意味では私もこの男と半日居て、いい影響があったのかもと何となく思った。
「いいから、名前教えてよ」
「まず人にものを尋ねるときは自分からって習わなかった?」
別に名前を教えるのを出し惜しんでいるわけではないんだけれども。
もうしばらくこのテレビでは見かけることのない、表情がころころ変わる男の相手をしたいなと思ったから。
善逸はそんなこと聞かなくても分かるだろう、と呆れた顔をしたけれど、特に反論もせず小さく「我妻善逸」と呟いた。
「存じ上げてます」
「何で聞いたの?」
「はっはっは」
私が笑うと頬を膨らませた善逸もいつの間にか一緒になって笑っていた。
笑い声の間にどちらかのお腹がぐう、となってまた二人で笑う。
そりゃそうだ、二人とも昨日の晩から何も食べていないのだ。
私は起きていたけれど、寝ている人の横でむしゃむしゃ食べる気にはならなかったし。
「じゃあ、ご飯にしますか」
「おい、飯じゃなくて名前!」
よっこいしょ、と重い腰を上げると、笑っていた善逸が思い出したように声を上げる。
ああ、そうだった、もう忘れていた。
「苗字だよ」
「え、苗字? そこは下の名前じゃなくて?」
「別にどっちでもいいじゃん」
心底不思議な顔をして善逸は首を傾げる。
私はそれだけ言うと、台所へと消えた。
◇◇◇
冷蔵庫にあった余りものの材料で晩御飯を拵え。
それを出してやると善逸は勢いよく食べ始めた。
まあ、ほぼ丸一日食べていないので、気持ちはわかる。
飲み物も飲まないで食べ始めたので、すぐに喉を詰めたようで「んんんー!!」と顔を真っ赤にして苦しみだした。
それをまた「はっはっは」と笑うと、ガチめにやばい空気を感じたので、そっとコップにお茶を注いで渡した。
「っはぁ! 何考えてるの? 俺を殺す気?」
唾を飛ばす勢いで怒る善逸に口先だけで「めんご」と言うと、明らか納得いっていない顔で唇を尖らせた。
「……そう言えばさ、服、ないけどどうする」
「俺の話ちゃんと聞いてる? ……これでいいけど」
ぱくり、とカボチャの煮つけを口に放り込みながら呟く。
すると善逸は目を細めてしばらく睨んできたけれど、気を取り直して自分の胸元を押さえて「これでいい」と言う。
いや、良くはない。
だってそれは兄のパジャマだ。
新品があったからよかったものの、他にも男性用の服があるがそれは全て兄と父のものだ。
それをアイドル善逸に着せるのは流石に申し訳ない。
ここで帰ってくれれば、それはそれでいいんだけれども。
善逸の口元をじーっと観察したけれど、その口は「帰る」とは言わなかった。
本人も分かっているのかあえてそう言わないみたいだ。
本当にいつになったら帰るんだこの男。
はあ、と溜息を吐いて私は諦めたように口を開く。
「じゃあ、明日服買ってくるからさ、希望の服教えてよ」
「別に買わなくてもいいけど…買うなら俺も行くし」
最終的にはこいつの服を購入することにした。
それに買いに行くのは私一人で行くつもりだった。
何故なら、こいつがK-styleの善逸だからだ。
だから「俺も行く」と言われたとき、一瞬何を言われたのか分からなくてぽかんとしてしまった。
「…なんで?」
「なんでって、こっちがなんでなんですけど。俺の服を俺が買いに行くのは当たり前でしょ」
「いや、そうなんだけど…ご自分のお立場分かっておいでで?」
「案外大丈夫なもんだよ」
何を根拠に大丈夫と言えるのか。
私が何を言おうと本人は行く気満々のようだった。
仕方ない。そんなに言うなら拒否はしないけれど、私は一応止めたからね。
どうなっても知らないよ、という意味を込めて盛大に溜息を吐いたのだった。
結局そのあとも当たり前のような顔をして、善逸はウチの風呂に入り、
一緒にバラエティ番組を見て、たまに流れるK-styleのCMを見ては眉を顰め、そしてまたごろんとその場に転がった。
流石にまた床の上で寝かせるわけにはいかないと、ベッドで寝ろと言ってみたけれど奴は聞こえないふりをする。
少々大きな声で同じことを言うと、ちっと舌打ちをして面倒くさそうに私を見る。
「リビングで寝るな。寝るならベッドで寝ろ」
「俺はここでもいいのに」
「そういうわけにいくか」
兄の部屋のベッドの布団は最後に洗ったのはいつだっただろうか、と一瞬考えてすぐに自分のベッドを提供することを思いついた。
流石にカビまでは沸いてないと思うけれど、そんな疑わしいところで寝かせるのもどうかと思ったのだ。
すると、私の部屋に案内した途端、善逸がぎょっとした顔でこっちを見た。
「あんたの部屋じゃん」
「ですけど」
「俺がベッド使ったら、あんたどこで寝るわけ?」
「リビング」
「おい」
色々言いたいことはあるけどさぁ、と今度は善逸に溜息を吐かれた。
なんか解せない。
まあ、私は別になんとも思っていないので、そのままリビングに行こうとしたら、善逸が私の腕を掴んだ。
「ほら、寝るよ」
「うんおやすみ、離して」
「うるさい」
ぐいっと自分の部屋に引きずり込まれ、そして善逸に自分のベッドに寝かされる。
慌てて起き上がろうとしたら、今度は布団の中に善逸が入ってくる。
え?
驚く私をよそに、善逸がリモコンで部屋の電気を消して。
「おやすみ、苗字」
と呟いて、私に背中を向けて眠りの体制に入ってしまった。
えっと、これは、えーっと。
いつの間にか隣から寝息が聞こえてきても、私の思考はぐるぐると答えのわからない問題に直面していた。