誰かお医者様はいらっしゃいませんか
「名前、こっちに来て」
「……え、嫌だ」
ぽんぽん、と自分の右隣の床を叩いて、にこにこ微笑みながら善逸は言う。
私は手のあるお盆をゆっくりテーブルに置いて、真顔で首を振った。
表情は変えていないけれど、胸の中ではそりゃもう変な汗がダラダラ流れるわ、青ざめるわで大変なことになっている。
それを見せたくないので、なるべく平常心で答えた。
「普通に断るなよ、おいで」
「嫌なものは嫌」
割と酷い断り方をしているというのに、当の善逸は諦める様子はない。
おかしい、こんなはずじゃなかった。
ただ晩御飯を食べるつもりだったはずなのに。
二人で出かけたあの日から、何となく善逸の私への接し方が変わったような気がしていた。
慰めた相手に気を許してくれたのか、と簡単に考えていたのだけれど、どうやら違うらしい。
次の日の朝、仕事に行こうと玄関で靴を履いていたら、まだ寝ていたはずの善逸がいつの間にか後ろに立っていて、そして私の背中からぎゅっと抱きしめてきたのだ。
慌てて扉に引っ付くように逃げると、チッと舌打ちをした善逸と目があった。
何だ、これは。
善逸が急に意味わからん事をしてきた。
が、ただ寝ぼけているだけだろうと、私は振り返ることなく家を出た。
それは寝ぼけているわけではなかった。
仕事から疲れて帰ってきて、玄関で待っていたのは朝と同じ顔をした善逸だった。
無言で私に向かって両手を広げてくる。
意味がわからない。
「なんのつもり、それ」
「おかえりのぎゅー」
「……」
「おい、何か言えよ」
鳥肌が立つなんてものではない。
一晩寝ている間にどうやら善逸は頭をやられてしまったらしい。
精神的にツラそうではあったけれど、これほどとは。
赤ちゃん返り?いや、大人でそんなことあるの?
両手を広げる善逸の横を「精神的ショック…? それとも、二重人格?」とブツブツ唱えて家へ入る私。
善逸はそれを不服そうに見たけれど、何も言わない。
ただ私の後ろをぴたり引っ付いてくる。
自分の部屋でゆったりめの服に着替えようとした際にも、奴は部屋の中にいた。
「一応聞くけど、何してんの?」
「名前を待ってる」
「……私、着替えるんだけど」
「ああ、どうぞ」
どうぞ、と言われて分かった!とはいかない。
全力で善逸の背中を押して部屋から追い出した。
善逸は少し抵抗していたけれど、最終的には大人しく廊下で待つことにしてくれた。
大慌てで服を着替え、手元のスマホで「性格 突然 変化」と検索する。
出てきた病名に段々と青ざめていたら、いつの間にか善逸が部屋に入ってきており、私のスマホ画面を横から覗き込んでいた。
「俺はそんな病気じゃないよ」
「……病気の人はみんなそう言う」
「強いて言えば、恋の病?」
けろっとした顔で言う善逸に私はそのまま真後ろにぶっ倒れそうになった。
やばい、これは本格的にヤバイ。
病院に連れて行かないと、どんどん悪化していくだろう。
私はどうやって善逸を病院に連れて行こうか思考するけれど、善逸は全く気にしないといった風に、私の手を引き「晩御飯たべよーぜ」と居間へ連れて行った。
そして冒頭である。
私が帰ってくる前に善逸が作ってくれたチャーハンを自分の前に置いて、はあ、と溜息を吐く。
その日食べた晩御飯は全く味がしなかった。
◇◇◇
それから何日経っても善逸の状態は良くならなかった。
病院に行こうと言っても、首を横に振って私の腰に手を回してくる善逸。
そんなことをされるようになったので、普段善逸と目を合わせることもなく、半径1メートル範囲に近づかないことにした。
でも夜だけは頑なに同じ布団で寝ろ、と言うので大人しく布団に入り眠れない日々が続いている。
このままでは私の状態も悪化する、ストレスでハゲる。
そんなある日のことだ。
新聞のテレビ欄で、K-styleのライブがテレビで放送すると書いてあった。
心の中でほかほかと穏やかな風が広がるのを感じる。
ここ最近の意味不明なストレスに犯されていた心がじわりと癒されていく。
これは見なければなるまい。
朝一でテレビを録画し、ルンルンで仕事に出かけた。
その日一日、私は充実して仕事を終えることが出来、最高の気分で帰宅した。
のに。
帰ってきて、いつものように善逸の軽口を適当に流し、晩御飯を食べる前にテレビのチャンネルを変える。
もうその時には、私の膝の上には伊之助のペンライトを持ってきていたので、番組が始まると同時にテレビの前で振る予定だった。
「何?」
首を傾げてそんな私の様子を見る善逸。
ここ最近はあまり会話しないようにしていたけれど、今日は機嫌がいい。
私はいつもよりも饒舌に話し始める。
「今から伊之助を全力で愛でますので、どうか邪魔しないでください」
「は?」
酷く歪んだ善逸の顔。
どうせアイドルオタきめぇとでも思っているんだろうが、ここは譲れない。
私は番組が始まるのを今か今かと待っていた。
これは昨年のライブの様子である、勿論この会場の中には米粒のような私が客席にいるはずだ。
前番組が終わり、CMが終わり、そしてOPが始まった。
私の両手には伊之助カラーのペンライトが握りしめられている。
舞台からキラキラの衣装を着た炭治郎が手を振って出てきた。
そしてその次に出たのは善逸である。
最後に出てきた伊之助が見えた瞬間私は声を上げた。
「いのすけ!」
はあ、伊之助だ。
うっとりとそれを眺めていたら、急にテレビ画面が真っ暗になった。
「え?」
突然の事に戸惑う私。
カタン、と何かが床に落ちた。
視線だけ床にやると、さっきまで私の目の前にあったリモコンが何故か床に落ちていた。
あ、ら?
何も考えずにリモコンを拾うとしてを伸ばした。
けれど、その前に私は肩を掴まれて、無理やり首を左隣に向けさせられた。
「こっち見ろ」
金色の瞳が私を見ていた。