09. 壁作ってるつもりなんですけど


「ありえないでしょぉぉぉおおお!! 死ぬってコレ! 絶対死ぬってぇぇええ!!」

はあ、うるさいなぁ。
朝、お弟子さん達のご飯の用意で台所は戦場である。
その戦場にまで聞こえてくる我妻さんの声は悲壮に満ちていた。
道場から台所まで距離はあるんだけど、どれだけ叫んでるの、あの人。

クスクスと隣で藤乃さんは笑いを漏らしているけど、こっちは朝っぱらから鬱陶しい事この上ない。
賑やかになったのは間違いないけど。

朝ご飯の準備が出来た時点で、修行に出ていたお弟子さん達を呼びに行くのも私の仕事だ。
私はさっと髪を括り直して、道場へと急いだ。

「皆さーん! 朝餉の準備が出来ましたよー!」

道場へ一歩足を踏み入れると、そこで行われていたのは盛大な鬼ごっこだった。
逃げているのは我妻さんで、追いかけているのは旦那様なんだけど。
他のお弟子さんは皆呆れた顔で、その様子を見ていた。

「おい」

一人を除いて。
獪岳が私の横に立ち、上から見下ろしていた。
一瞬ぎょっとするが、慌てて薄っぺらい笑顔を見繕う。

「なんでしょう?」
「あのボケナスを何とかしろ。お前女だろ」

不快感を孕んだ声色で奴が言う。
女だから何だというのだ。
確かに我妻さんを止めるには、男性より女性の方が正しいとは言える。
それは昨日で実証済みだ。

奴は顎で我妻さんの方を指しながら、如何にも機嫌が悪そうだ。
あなたを相手にしている私も同じような気持ちだと教えてやりたいくらいだ。
この暗黒感情を出さないように「わかりました」と呟いた。


「我妻さーん、ご飯ができ、」
「名前ちゃああんん!俺を呼びにきてくれたのぉぉ!?」


そこまで大きい声を出した覚えはないが、我妻さんの耳には届いたようだ。
旦那様から逃げている足を急旋回して、私の方へダッシュで向かってくる。
必死の形相でこちら向かう我妻さんと、その後ろを般若のような顔で追う旦那様。
うわぁ。

横にいた筈の獪岳もいつの間にか消えていた。
あの野郎!

「朝ご飯? 朝ご飯だよね!? 修行やめていいよね!?」

私の前へやってくると急ブレーキをかけ、私の肩に手を置く我妻さん。
その形相は恐ろしく必死だ。
どれだけ修行が嫌なの、少しはオブラートに包め。

「…ご飯を食べて、また頑張ってください」

我妻さんの手首をそのまま掴んで、ズンズン足音を立てながら道場を後にする。
「ぎゃああ積極的ぃぃぃ」と後ろで声がするけど、気にしない。
もしかして、私これからずっとこんな事しなくちゃいけないの?


◇◇◇


「名前さんは善逸さんと仲が良いですね」


屋敷の家事も一通り落ち着いた昼下がり。
お茶菓子を藤乃さんと味わっていたら、そんな事を言われて。
煎餅を掴もうとした手を、思わず空中で止めてしまった。

「……そんな風に見えますか?」

正直言うと、喉元まで「藤乃さんは目が悪いんですね」と言ってしまいそうだった。
我妻さんと仲がいい、と言われるのは迷惑極まりないのだが。
藤乃さんはにこにこと微笑んでいる。
同意と取っていいだろう。

「結構私、我妻さんには壁作ってるつもりなんですけど」

出来るなら物理的に我妻さんとの間に壁を築いてほしいくらい。
パーソナルスペース分でいいから。

「善逸さんの方は同じ年代の女の子がいて、嬉しそうですよ」

うふふ、と私に煎餅を一枚渡してくれる藤乃さん。
同じ年代とか関係ないよね。
っていうか藤乃さんも含め女の子なら我妻さんは喜んでいると思いますけど。
あれはタダの女好きだから。

煎餅を受け取り、一口サイズにパキっと割る。

「名前さんも、ここへ来た当初に比べて柔らかい雰囲気になりました」

いい傾向ではないですか?
藤乃さんにそう言われて、私は複雑な気持ちになる。
そんなつもりは全くなかったんだけど。
一応「そうでしょうか」と答えてぱりぽり煎餅を咀嚼する。


「後で皆さんに桃を持って行って下さいませんか?」

差し入れです。と藤乃さんは自分の背中から一つの籠を取り出す。
持っていくのは構いませんけど。構いませんけどね。
我妻さんのとの話をされた後だと、なんかこう思うところがある。

けれど、私は黙って藤乃さんから籠を受け取った。



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