13. ほら、帰るよ


「有難うございました。お蔭でスッキリしましたし」

少し腫れてしまった瞼を気にして、伏目がちに我妻さんにお礼を言った。
そんな私に気を遣って「いつもと逆だねー。眼福眼福〜」とあっけらかんとして答える我妻さん。
確かにいつも昼間、大粒の涙を流しながら修行しているのは我妻さんの方だ。
この時代で泣きべそをかいたのも初めての事だったし。

「それにしても俺一つ気になってるんだけど」
「はい?」
「名前ちゃんがさっき歌ってたの、歌詞も良く分からなかったんだけどなんて言う曲なの?」

俺耳いいから、ある程度はわかるんだけど。
首を傾げながらそう言う我妻さん。
言われて一瞬何と答えようかと思考を巡らせた。
そりゃそうだよね、現代の歌だし。特にあちらこちらに英語の歌詞もあるから、この時代の人で理解できる人なんて極小数だと思う。

「えーと…曲名まで覚えてない、ですね」

ははは、と笑って濁した。
ただ私の返答に我妻さんは納得いかなかったみたいで、我妻さんの目がすーっと細くなった。
便利だね、それ!

「曲名は分からないんですけど、確か失恋の歌だったような?」
「ええぇ!?名前ちゃん、失恋した事あるの!?」
「我妻さんだってあるでしょ」

耳元で何処の馬の骨だよぉぉと吠える我妻さんに思わず顔をしかめた。
別に私が失恋したわけじゃないけど。
ただ曲調が気に入っているだけだし、歌いやすいし。
それ以上の理由はないんだけれど、我妻さんに説明するのが面倒だから言わないけど。


「……まあ、いいや。今回は聞かないでおくけど、いつか教えてよね」


細めていた目を元に戻して、我妻さんが私を微笑みながら見つめる。

「そうですね、仲良くなる機会があれば」
「俺、名前ちゃんと仲いいと思ってたんだけどなあー…」

そんな我妻さんに私は感情の籠っていない声で答えると、シクシク涙目になりながら、我妻さんは岩から立ち上がった。
あ、そうだ忘れてたと何か思い出したようにブツブツ呟きながら私の方の見つめる我妻さん。
我妻さんの黒髪が月に反射して、まるで藍色のように見えた。


「お誕生日おめでとう、名前ちゃん」
「あ、ありがとうございます…」


我妻さんらしい優しい笑みに、私は少し動揺してしまった。
反射的にお礼は口にしたけれど、まさか祝ってもらえるとは思っていなかったので、
胸の中がほんの少しほっこりした。


「ほら、帰るよ」


いつもなら躊躇してしまうのに、自然と差し出された手に、私は迷いなく手を重ねた。
我妻さんの掌は鍛錬でできたまめでボコボコしていた。
けれど、この手は嫌いじゃない。
この人の努力の結晶だから。


「そうですね。明日二人とも目に隈ができますね」
「でも名前ちゃんと同じ夜を過ごした証だよね!! ウッヒョォオオ!!」
「はあ、もう黙ってください」


折角真面目な雰囲気だったのに。
調子に乗るとすぐこれである。
結局帰りはずっとこの調子で、隣で煩く吠える我妻さんの相手を適当にしながら、お屋敷へ戻ったのだった。


◇◇◇


「名前さん? 凄い隈ですね…」

次の日の朝、炊事場に顔を出した私を見て藤乃さんの表情が固まった。
ほらここ、と藤乃さんが自分の目の下を指さしながら、心配そうに顔を覗き込む。
存じ上げております、それはもう昨晩子供のようにうえんうえん泣いたので。
目が腫れて、余程酷い顔だというのは重々承知なんです。

「はい…。暫くお見苦しいですが」
「いえそんなこと、でも昨日は眠れなかったのでしょうか」
「夜更かし、したんです」

あんなに泣いたからか、どこかすっきりした気持ちでそう言うと、藤乃さんは一瞬ぽかんと私を見つめて、


「元気になったようで、良かったです」


と、いつものように穏やかに微笑んでくれた。


「ちなみに、今日善逸さんも凄い隈が出来ていて…旦那様に叱られておりましたよ」

確かに朝一から旦那さまの声がよく響くなぁと思っていた。
背中にダラダラと変な汗が伝う。

やばい、我妻さんに申し訳ない事をしたな…。
我妻さんにはこっそり今日のおやつ、私の煎餅をあげることにしよう。

我妻さんが私と同じすごい隈で煎餅を食べる姿を想像しながら、私はテキパキとお昼の用意をするのだった。



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